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Ⅸ-Ⅱ ヘビの眼と弥生の目

 * * *


 電話の後、ゲームを再開する気分にもなれず、一海はベッドに寝転がりながらあれこれ考えていた。


 そのうち、眠ってしまったらしい。

 おまけに寧々たちの話のせいなのか、奇妙な夢ばかり見てしまった。



 夢の中のひとつには弥生が出て来た。


 デート中に一海が見立てたネックレスが気に入らないと言ってごね出し、みるみるうちに首がろくろ首のように伸びて行く。



「私の首にそんな貧相な物が似合うと思うの? 私のこと、その程度の女だと思っていたのね?」と、ろくろ弥生に思いっきり上から文句を言われ、一海がひたすら謝ってる――という夢だった。



 翌日は寝覚めが悪いまま朝食を終えた。



「あんだけ長けりゃ、どんなんだって似合わねえだろうよ……ったく、夢の中とはいえあんなに理不尽にキレられるのはよ――」



 ぶつぶつと夢の内容に文句を言いながら自転車をガレージから引っ張り出そうとした時に、『それ』が一海の目に入った。


 いや、正しくは『それ』と一海の目が合った。




 ガレージの暗闇の中には、(あか)く光る一対の『眼』があったのだ。



 一瞬遅れて一海はうろたえる。



「う、わっ、わわわわ、ヘビぃっ?」



 一体どこから入って来たのか、自転車のカゴの中に真っ黒なヘビがいた。


 長さは一海の指先から肘までくらいだが、そのサイズのヘビにしてはやたらと太い。一般的にイメージされる蛇が、蕎麦打ちなどに使用される麺棒くらいの太さとするなら、一海の目の前にいる黒蛇は西洋風の麺棒といった感じだった。



「こ、こんなのこの辺に野生でなんていないよな……どこかから逃げたのかな? 随分デブってるけど……何食ったらこんなになるんだ」


 一海は冷静な態度を取ろうとするが、心臓はばくばくしている。



 ――しかしまぁ、もしどこかで飼われているものなら、毒蛇ではないだろう。というかそもそも野生のヘビにしてもこの辺りに毒のある種類なんて生息しているだろうか? いや、いるわけがない。だからその、万が一噛み付かれてもきっと平気、多分大丈夫……



 自分に言い聞かせながら、一海はそうっと自転車のハンドルに手を掛け、自転車を引っ張り出した。



 十月上旬の、徐々に力なく白っぽくなって来た朝の陽光と、住宅街のまだ緑色が濃い花壇やプランター。それらを背景に映したカゴの中の黒い生き物は、やはり違和感があり過ぎる。


 しかし光を反射してきらきらと輝く黒い鱗や、つやつやとして真っ赤な果実のような眼は、不思議な美しさもあった。



 ゆっくりと自転車をバックさせる。ヘビは束ねられたロープを無造作に投げ入れたような格好で、じっと一海を見たまま動かない。



 一海はスタンドを立てたところで途方にくれた。



「困ったな。ここまではいいとしても、シャッターの音で確実にびびるよな」



 びっくりしたヘビが飛び掛って来るところを想像してしまい、一海は(おぞ)()()つ。

 その前に(にわ)(ぼうき)か何かで追い立てるのが正解かも知れない。



「そノ程度の音デ驚くなラ、シャッターを開ケた時ニ逃げルでショウ?」


「あ、それもそっか――えっ?」



 ひどくしゃがれた声に話し掛けられ、思わず同意してから、一海は慌てて周囲を見回す。


 一ブロック先では近所の主婦が三人、箒やゴミ袋を持ったまま立ち話をしているが、今の声はすぐ近くで聞こえた気がした。が、後ろを振り返ってみても誰もいない。



 いや、いつもの三毛と赤毛の猫のコンビがゆっくりと歩いて近づいて来ている。しかし……



「……んなわきゃないよな」



 一海は首を振った。寧々たちの話を完全に信じたとは言いがたく、彼らの話を信じるとしても、まさか猫が喋るなんて――



「なにガでス?」


「なんか喋った!」



 今度は明らかに猫たちとは逆方向、自転車の前部分から声が聞こえて、一海は飛び上がりそうになった。



 赤い瞳がこちらをじっと見つめている。



「喋っタが、どウシましタ?」



 かろうじてそう聞き取れる言葉をヘビは発する。その声にはしゅーしゅーと耳障りな音が混じる。



「ヘビ……ヘビ? だって、ヘビは確か」



 寧々たちの、つまり一海にとっても敵側だったんじゃ――そう言おうとしたが、主婦たちの視線を感じて一海は言葉を飲み込む。




 フゥー……ふしゃーっ!




 いつの間にかすぐ足元まで来ていた猫たちが、急に威嚇の声を上げてカゴに飛び掛って来た。



「うわっ」



 一海は慌てて自転車を押さえる。三毛猫が大きく体当たりして来たせいで、危うくヘビごと自転車が倒れるところだった。



「お、おい、ちょっと。チャリ、傷つく」



 一海は動転しながらも猫に文句を言うが、そんなことはお構いなしに猫たちはカゴに猫パンチを繰り出す。


 黒ヘビは目を細めて猫たちを見つめていたが、猫たちが何度目かのジャンプをしようとした瞬間、ふいっと横を向いてカゴの反対側から飛び降り、あっという間に民家の庭に滑り込んでしまった。



 猫のコンビは一瞬あっけに取られていたが、すぐさまうなり声を上げながらヘビの後を追い掛けて(かん)(ぼく)の茂みに姿を消して行った。


 それはいつもの悠然と歩く猫たちからは想像もつかない俊敏さで、一海は妙に感心しながらしばらくその後姿を見送っていた。



「やだぁ、ヘビが出るの? この辺」

「怖いわねぇ。でもすごくきれいだったわ。ペットが逃げたんじゃない?」

「災難だったわねぇ。大丈夫?」



 ヘビがいなくなった途端、様子を窺ってたらしい主婦たちがわらわらと寄って来て一海を取り囲む。始めは一海に同情的な言葉を掛けていたが、あっという間に噂話に移行した。



「ヘビを飼いそうなお宅って、この辺りにあったかしら?」

「片倉さんのところは?」

「あそこはインコを何羽か飼ってたはずよ」

「園田さんのお隣さんって、夜中でも物音がするって……」

「あら、あそこは息子さんがネットカフェのバイトで、夜に出掛けるんですってよ?」

「へぇ~……息子さんって、一番上? 二番目? たしか、下に妹さんいたわよね? ねえねえ、木ノ下さんのとこ、同じ学年じゃなかった?」



 井戸端会議に巻き込まれそうになり、一海は慌てて携帯電話(スマートフォン)の液晶を確認した。



「あ、あの、えーと、そうだ、俺もう時間が」


「あらもうそんな時間?」

「木ノ下さん、まだガレージ開いてるわよ」


「あ、そ、そうですね。閉めなきゃ」


 一海は慌ててシャッターを下ろし、挨拶もそこそこに自転車を飛ばした。


 * * *


 担任の矢坂が来る直前で教室に飛び込んだ一海は、息を荒くしたまま席に着き、急いで『ヘビが出た。黒ヘビ』と寧々にメールを打つ。


 送信ボタンを押す直前に思い直し『あいつらって喋るの?』と付け足す。



「っつーか、まさかとは思うけど、授業中に電話掛けて来られたら困るよな」



 送信してからまた思い直すが、矢坂が出席を取り始めている。ホームルーム中に携帯電話をいじっているのが見付かるとその日一日没収されるので、焦れながらも上着のポケットにしまう。



「何? 彼女?」


 明らかにからかい口調で(とび)()が一海の顔を覗き込む。一海は顔をしかめた。



「お前さ、毎回毎回独り言拾うなよ」

「だって木ノ下が朝っぱらから慌ててメールなんて珍しいしぃ?」


 鳶田はにやにやする。



「ほっとけよ」


 そう言いながら、一海はポケットの中で携帯電話の電源を切った。


 * * *


「木ノ下くん、ちょっといい?」


 後ろから声を掛けられて、一海は卵焼きを噴き出しそうなほど驚いた。


 一緒に食べていた鳶田や、鳶田の雑誌を借りて集中していたはずの守屋も一海に、いや、一海の頭より上に視線が釘付けになっている。



「な、なに? 横峰、さん」


 一海がおそるおそる振り向くと、弥生が冷たい視線で一海を見下ろしている。



「ごめんね、ごはん中に。ちょっと話したいことがあるんだけど」

「でも俺、見ての通り弁当食っ――」



「ちょっと、話したいことが、あるんだけど」



 普段はどちらかというと一海を無視するような態度を取っているので、その弥生の行動に違和感を覚えた。


 だが弥生の目が「大人しくついて来ないと、何を言い出すかわからないわよ?」と冷静なまますごんでいる。



 鳶田たちまで一緒になって、弥生の威圧感に慄然としているのが伝わって来た。まるで蛇に睨まれた蛙。もしくはメドゥーサに睨まれた一般人だ。



「……わかったよ」


 一海の負けだ。



 お茶を飲み、弁当箱に蓋をして、既に歩き出している弥生を追い駆けるように席を立つ。ちらりと友人たちを振り返ると、同情的な視線で一海を見送っていた。


 一海はがっくりと肩を落として教室を出た。


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