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Ⅰ-Ⅲ 空気系男子と屋上系女子

 * * *


「よう木ノ下。なんだよ朝っぱらから不景気な顔してぇ。ってか、()()ったらヤだから、あんまこっち来んな」



 教室に入った一海に声を掛けたのは、先々月に彼女ができたばかりの(とび)()だった。



「冗談にしてもひでぇそれ。お前は朝っぱらから景気いい顔だよなぁ。彼女と上手くいってん――って訊くだけ虚しいわ」


「そうそう、今朝も『行って来ますはぁと』なんてさぁ……お、噂をすれば。もう、甘えんぼだなぁレイはぁ。そろそろそっちも担任が来ちまうだろぉ?」



 ただでさえタレ目なのに、鳶田は更に目尻を垂らして携帯電話(スマートフォン)をいじりだす。


 ついでに、ただでさえ面長なのに、彼女ができてからは更に鼻の下を伸ばしっぱなしだ。しょっちゅう彼女とメールしては惚気ている。聞かされる方の身にもなって欲しい。




 ――俺も、彼女ができた暁にはあんな風になってしまうのだろうか。


 と、呆れ顔で眺めつつ一海は自席に着く。



 ――腑抜けたようになるのがデフォルトなら、彼女はしばらくいらないんじゃないだろうか……いや、モテないのが悔しいわけではない。断じて違う。うん。




 座った途端、尻ポケットに入れた携帯電話(スマートフォン)が振動した。朝からメールを交わす彼女もいなければ他校の友人もいない一海にしては珍しいことで、少しどきどきしながら画面を開く。



「……なぁんだ、リコさんか。って当たり前じゃないか」



 消去法で考えれば李湖が残って当然なのだが、鳶田のでれでれした様子のせいで変な期待をしていた。そんな自分を心の中で叱咤し、メールを開く。


 『下校途中に、ちょっとお使いを頼みたいのだけど』という内容だ。

 住所を読んで、頭の中に大まかな地図を作る。少し遠回りになるが自転車なので気にするほどの距離ではない。


 素早く了承の返信を送る。



 一海が席に座り直すのと担任が教室に入って来るのは、ほぼ同時だった。



 担任はそろそろ三十近いというのに、毎日寝癖を直し切れていないままで生徒たちの前に立つ。面倒臭がりなのか、外見を気にするような相手もいないのか。



 ――まさかあのトシでそれまで彼女がいなかった、なんてことはないだろうけど……と、思考がまた引きずられた時、教室の後ろの扉から弥生が入って来る。




 一番後ろの列の一海は、一瞬だけ目が合う。だが弥生は顔色ひとつ変えずに担任に視線を移し、しかし挨拶をするでもなく悪びれる風もなく無言で自席に向かう。


 逆に担任の方が気を遣っているようだ。弥生が席に着いたのを見届けてから、咳払いをひとつして出席を取り始めた。




「木ノ下さぁ、今朝横峰と一緒にいたって?」



 鳶田が弥生の方をちらちらと見ながら、シャープペンシルで一海の脇腹を突いて囁く。ついさっきの話だというのに、もう噂になっているらしい。



「ああ、タイヤがパンクしたとか言っててさ、チャリしまうの手伝わされたよ。朝から余計な奉仕労働、って感じ」


 一海はシャープを手で払い、わざとらしくため息をつきながら返す。



「そりゃ災難だったなぁ。生活委員はなんでも屋じゃないっての」

「まったくだよ。他のクラスじゃ生活委員なんて一番暇なのにさ。うちはあいつのお陰で毎日走りまわされてさぁ……」


「あいつ、黙って澄ましてりゃそれなりに――まぁ俺のレイちゃんには遠く及ばねえけど、ここの女子らよかはイケんのに、口開けばキッツイしなぁ。木ノ下(おまえ)よく相手できんなぁ……俺苦手だわ。なんか(こえ)ぇし」



 鳶田は「こえぇこえぇ」と小声で付け足し、ぶるぶる震えてみせる。



「まぁ、相手したくてしてるわけじゃねえけどな。ってか、さり気に惚気ぶっ込んでんじゃねーよ」


 愚痴混じりに軽口を叩いて笑っていると、プリントを読み上げていた担任の、「またお前らか」と言いたげな鋭い視線が二人に向けられる。



 鳶田と一海は慌てて姿勢を正した。


 * * *


 昼休み。一海が空になった弁当箱をカバンにしまっていると、女子が数人、団子のように固まったままやって来て、話し掛けられた。



「木ノ下くぅん。ねえ、横峰さんに注意して来てよ。生活委員でしょ? またなのよあの人。ねぇ」


「あの人、自分のこと可愛いとでも思ってんでしょ? 鼻に掛けてるってゆぅかぁ、うちらと話す気もなさそうってゆぅかぁ」


「ねーえ。ほんと、やることなすこと自分勝手なんだからぁ」




 ――女子が男子に話し掛ける時は、何故こんな、誰に向かって媚を売っているのかわからない口調で話すのだろう。


 一海はそう思うが、顔には出さない。



 女子の愚痴の()()にされないうちに、一海は礼をしつつ立ち上がる。


「またかよ……ありがとう、吉田さん、曽我さん」




 集団の中のひとりが、何故か勝ち誇ったように話し始めた。


「だからさぁ、あの人は変わってるって言ったっしょ? 昔誘拐されたことがあって、一ヶ月くらい監禁されてて、それから性格が変わっちゃったんだってさ。あと自殺未遂したとか、うちのイトコが同じ中学だったから――」



 まるでゴシップ紙の記事のような話を喜々として喋っているのは、一海と同じ中学校だった長浜だった。



 ――こいつ昔から変わってねえな……噂好きで、嘘かほんとかわからない話でも、勝手にそれを広める悪い癖がある。



 一海自身、長浜の根も葉もない噂の被害者になったこともある。うっかりその一件を思い出してうんざりした。顔をしかめ、無言で教室を出る。



「頑張ってねぇ」という、小莫迦にしたような声援と笑い声が後ろで聞こえた。


 嘲笑が含まれているような声色で告げ口する女子を見ていると、一海は同席している自分にまでどろどろした何かが張り付いて来るような、居心地の悪さを感じてしまう。



「それよりも仕事仕事。あーあ」


 重たい脚を引きずり上げながら一海は階段を上る。屋上まで。




 屋上のドアの鍵をいともたやすく解除する常習犯を連れ戻しに行くのが、一海の、というより弥生がいるクラスの生活委員の、主な仕事になっている。


 今週は晴天が続くせいで、これで三日連続だった。



 最近では一海も、晴天の昼休みには弁当を慌てて食う、という癖がつきつつある。「一種の職業病か」と鳶田に指摘されたのは昨日の話だ。




 立ち入り禁止の鎖をまたぐ。転がっている吸い殻を横目で見ながら、ドアを開ける。


 いつから蝶番に油が差されていないのだろう。金属のきしむ音と軽い振動を感じながら、まだまだ陽射しがきつい屋上へ一歩踏み込んだ。




 弥生がいる位置は決まっていた。いつも南側の真ん中辺りでフェンスにもたれ掛かり、遠くを見つめているのだった。

 だから一海は、東向きのドアから出て南側に回り込むことになる。



 決まった台詞を繰り返すように、まだ視界にはいない弥生を呼ぶ。


「あのさぁ横峰さん。いつも言ってるけど屋上は立ち入り禁止だからさっさと下り……って、あれ?」


 予想していた場所に弥生の姿がない。慌てて目を細める。



 ほどなく、南西の角のフェンスの上に腰掛けているのを発見した。黒髪とスカートを風になびかせ、足をぶらぶらさせてぼんやりとしているようだ。



「高いとこが好きとか前世はカラスかよ……じゃなくて――何やってんだよ。危ないじゃないか」



 声を掛けながら一海が近付く。


 あと五メートルという辺りでやっと、今その存在に気付いた、という顔で弥生が振り向いた。




「あら、木ノ下くん」



 その緊張感のなさに一海は腹立たしさを感じる。



「あらじゃねえよ。何度言ったらわかるんだよ。俺の仕事増やさないでくれる?」


「いいじゃない。ほっといたら超暇でしょ、生活委員」


 弥生は澄ましたままそう言うと、また景色へと視線を戻す。




 景色と言っても、風光明媚な眺めが得られるわけでも、賑やかな歓楽街があるわけでもない。学校の南側にはテニスコートが二面、その向こうには古びたオフィスビルがでこぼこと何棟か並んでいるだけだ。


 むしろ一海には嫌な記憶が蘇る景色でしかない。うっかり目にしてしまい、気分が悪くなりかけた。慌てて視線を屋上内に戻す。




「なりたくてなったわけじゃねえんだから暇でいいんだよ。お前がいなきゃ、俺は平和なまま生活委員を(まっと)うできるんだけど?」



 投げやりな口調で応戦すると、弥生はまた振り返って鼻で笑った。



「ふぅん……木ノ下くんって、なるべく波風立てないように振舞ってるって感じだけど、そんな言い方もするのね。私がいない方がいいって?」


「え、いや、いない方がいいとか言ってねえし。お前がいなけりゃ平和だ、っつーたんだよ」



 ――喧嘩を売ってるつもりだろうか?



 弥生の言葉の意味を量りかねて一海は顔を上げる。しかし半逆光で見下ろしているその表情は、やはり静かなままだ。



「同じことでしょ。私がいなければ面倒なことは何もなくなる――」


 弥生は息を思いっきり吸い込んだ。




「そうでしょ? 試してみる?」




 無表情だった弥生が薄笑いを浮かべる。


 「試すって、何を?」と問い返そうとしたその瞬間、弥生はフェンスについていた両手をバネにして、ふわりと飛び――反転してそのまま屋上から消えた。


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