Ⅸ-Ⅰ ゲームの記録と寧々の作戦
――ブブ、ブブブ、ブブブ、
夕飯を終え、ベッドに寝転がりながらポータブルゲーム機でシューティングゲームに熱中する。そんな至福のひとときに掛かって来る電話というのは、往々にして無視されがちである。
ブブブ、ブブブ、ブ。
……ましてや、久し振りに自己最高記録が出そうな時などは。
――ブブ、ブブブ、ブブブ、ブブブ、ブブブ、ブブブ、
しかし相手は粘り強くコールを続ける性格らしい。
一海は記録を諦め、渋々携帯電話を手にした。
「……何ですか寧々さん」
「何してたのさぁ。あたし三分くらい鳴らしたんだよ?」
――そんなに鳴らしてないじゃん。ってか、そんなに鳴らして出ないんなら、諦めてくれればいいのに……と思うが、うっかりでも口には出さない。
「俺に四六時中スマホ持ち歩けって言うんですか。トイレだって風呂だって――」
「言ったでしょ。甥っ子にプライバシーなんてないの。さては寧々さんに言えないようなことをしていたなぁ?」
何故か偉そうな寧々の態度に、一海はため息をついた。これは正直に言わないと後々面倒なことになりそうだ。
「ゲームしてただけですよ。ってか、新記録が出そうだったのに……」
「なぁんだ。残念だったねぇ」
寧々はケラケラと笑う。
「で? まさか俺の記録更新の邪魔をしただけでおしまいってことはないですよね」
「ああそうそう。ちょっと困ったなぁってことがあってさ――彼女の話だけど。一海くんの」
寧々の困ったことと弥生がどう繋がるのかはわからないが、あまり面白い話ではなさそうだ。
更に言えば、こういう切り出し方をされる話は、えてして長くなるものだと一海は予想する。
ゲーム機のスイッチを切り、起き上がってベッドの上であぐらをかく。
「彼女っていうか、どういう関係なのか、俺も未だによくわかんないですけど」
「あの子はね、やめなさい」
「はぁ?」
まるで子離れできない母親の台詞だ。しかしからかっている風ではない。一海は少し考えてから答えた。
「横峰が彼女だったら、何かまずいですかね。そりゃ、ちょっとかなり変わってると思うけど」
「んー? まさかこの寧々さんが、見た目や性格で判断してると思ってるの?」
「え? それ以外に何があるんです?」
心外そうな寧々の声色に対して、一海は更に心外だという声で返す。しかし寧々は混ぜっ返すでもなく少し拗ねたように答えた。
「見た目や性格なんて大して重要じゃないよ。一海くんが好きになった子だったら、例え周囲がどれだけ反対したって、一海くんにしかわからないいいところがある、ってことじゃん」
「ええっと、まさかマジレスされるとは思わなかった。いやそもそも付き合ってるのかも微妙だし、好きとかまだ――」
「それよりあの子ね……血筋じゃないんだよ」
一海は数秒悩んで、『血』というのが性格占い的な分類の話ではないことを思い出す。
「今更何言い出すんですか。当たり前でしょ。まさかカイルさんみたいに、血の濃さがとか言わないですよね?」
「あ、それはいいの。あたしが一海くんの赤ちゃんを産めばいいだけだからさぁ」
「なっ!」
一海は盛大に咳き込む。「どうしたの? 大丈夫?」と言う声が聞こえるが、返事をするどころではない。たっぷり一分以上咳き込み続け、ようやく収まってもまだぜいぜいと肩で息をする。
「寧々、さん……」
「何よ。どうしたのよ」
「あの、イタイケで純情な甥っ子を毎回からかわないでください」
「何が?」
「その、あ、赤ちゃん、とか……」
寧々が目の前にいるわけではないのに、一海の顔は赤く染まり声はうわずり言葉はつっかえる。
しかし寧々はあっさりと言い返した。
「あたし、本気だけど?」
「えええええ? だってそれはほら、やっぱり、ほ、法律とか倫理とか、その」
一海はしどろもどろになるが、一方の寧々は欠片も気にしている様子がない。
「日本の法律がどうかは知らないけど、あたしたちのためには必要なことだと思うよ?」
「いや、その……」
「なによう。あたしじゃ嫌っての? って、あ、ちょっ――」
慌てたような寧々の声が急に遠ざかった。
「少年。寧々の誘惑の邪魔をして悪いが、あの子は駄目だ。いや、駄目とは言わんがあまり親密にならない方がよさそうだ」
「あ、カイルさん……」
カイルに一連の会話を聞かれていたのかと、一海はまた赤面する。
「なに、寧々はあんなことを言う割には身持ちが固いので、きみがしっかりしていればそれほど心配することはない」
「あのっ、今はその話、いいですからっ」
思わず全力で突っ込む。
大人だからなのか、種の保存がどうこうだからなのか、寧々もカイルも一海の純情など欠片も気にしないようだ。
「ああそうだ。あのお嬢さんだがね。彼女は我々の血筋じゃない」
「それはさっき」
「――そして純粋な人間でもない」
「え?」
反射的に訊き返す。カイルはもう一度繰り返した。
「彼女は純粋な人間じゃなく、我々と同じような、だが別の何某かの存在である可能性が高い。だから同じ系統ではない場合は子どもを作らない方がいい。前例がないんだ」
「前例とかより、あの、けっ、結婚するって話じゃないですし」
一海はわけもわからず焦る。
自分が特殊な能力を持つ血筋の者だと言われてもピンと来ないのに、更に身近にそんな相手がいたなんてそう簡単に信じられるはずもない。突然異世界へ投げ込まれてしまった気分だ。
「あの、でもカイルさん。横峰が人間じゃないってのは、何を根拠に?」
無駄だろうと思いつつ、一海は反論してみる。
「残念ながら、根拠はあまりない。強いて言えば野生の勘や本能とでもいうのか、俺だけじゃなく寧々や月光も同意見だ」
「そうですか……俺は信じたくないけど、カイルさんや月光さんが言うのなら」
直後に「あたしの勘は信用できないのかよっ!」という寧々の声が遠くで聞こえる。
「まぁ、勘以外にも、月光のパワーストーンが効かなかったことや、狭間の人間と会話して影響を受けないことなど、状況証拠がいくつかあったんだが」
「それ、むしろ勘よりも確実じゃないですか? ってか、ハザマの人間って?」
「何を言ってるんだ少年。勘の方が確実に決まっているだろう?」
カイルは呆れたような声を出した。だが正直なところ、それを根拠とする方が一海には理解できない。
「狭間の人間というのは、生きても死んでもいない不自然な状態の人間だ。少年はあのザクロという青年と会った後、酷い虚脱状態に陥っただろう? 普通の人間や、我々の仲間でも防御能力が低い者は、著しく生命力を消費するものなのだよ」
一海はあの時の疲労感を思い出す。弥生は一海より早く目を覚ましていた。
弥生が一人で禅二郎に会った時にも、酷く疲れたような話は聞いていない。
「確かに俺はあの後ぐったりして億劫だったけど。でも寝たら回復したし、あんなこと初めてだったからなのかと」
「少年がかなりつらそうだとハチワレから聞いたので、回復力を強化させていたのだよ。インセンスで」
「インセンス……って、確か……あ、あのお香?」
「他にも色々種類はあるのだけどね。あれは万が一のために月光に用意させていた物だ。本当ならあの一本で一万円以上はするらしいのだが、今回の事態は未然に防げなかった彼らの責任でもあるので自腹を切らせた」
カイルは軽く笑う。
そこ笑うところじゃないんじゃ……と一海は心の中で突っ込む。
――しかも、万が一のためにってことは、アレが予想されてたってこと? だから寧々さんが秘密兵器とか言ってたんだ? ――カイルさんって何気に怖い……
「それでだね少年。親密になるなという話をした直後で申し訳ないが、きみに確認をお願いしたい。彼女が何者であるのか」
「確認って。でも横峰はそんなこと何も」
「ねえ、カイルは話を深刻にし過ぎるんだよっ」
寧々の声が割り込んで来た。
「大丈夫だって。一海くんが何かしなきゃいけないわけじゃないんだから。ただ弥生ちゃんに、こっちで用意したアクセサリーをプレゼントして欲しいんだよね」
「はぁ……それだけですか?」
一海は少しホッとする。
「それをつけておけば、もしも人間だったら悪いモノの影響も受けにくくなるし。あ、でもそういう話をしちゃうと逆に不安になるだろうから、何も言わずに普通のアクセサリーってことにしといて欲しいんだけど」
それぐらいなら、そう言い掛けて、一海は気に掛かったことを口に出す。
「あの、もしも、横峰が人間じゃなかったら?」
電話の向こうで、寧々が一瞬息を飲む。
「……万が一悪いことしようとしても、力を抑えられるんじゃないかな」
本当にそれだけなのか、問い質したい気持ちもあった。しかし寧々が託す物なら、最悪でも寝込んだり死ぬようなことはないだろう。
そういうことはしない人だと、信じたい。
「そうですか。わかりました。あいつを騙すようなのはちょっと後ろめたいけど、なんでもないってわかれば安心できるし」
「ふぅん……一海くんは、弥生ちゃんが好きなんだ?」
また寧々の声が拗ねたようになる。
「えっ? いや、あの」
「まあいいや。振られたら寧々さんが慰めてあげるからねー。んじゃ、よろしくぅ」
一海が反論する前に、また一方的に電話が切られてしまった。
「急に切るな、って今度文句言わなきゃ……あ、いつ取りに行けばいいのか訊くの忘れたよ」
通話時間が表示されている画面を見ながら、一海はつぶやいた。