Ⅷ-Ⅳ 増殖する呪いと鳶田の悲劇
* * *
「また?」
鳶田から顛末を聞いた一海の感想は、その一言だった。
鷹野と上条の一件から数日。あれがきっかけだったかのように、クラスの誰かしらのデータが消えるという事件が今週何度も起きていた。
今朝も既にその話題だったようで、黄色い声が教室内を飛び回っていた。
聞くともなしに聞いている限りでは、被害者の八割が女子。しょっちゅう携帯電話をいじったり互いに見せ合ったりしているので、その最中にうっかり誤操作という可能性もある。
だが本人もその友人たちもそのような操作をした覚えがないという。
残り二割の男子生徒に至っては、貸し借りした覚えのない者もいる。
「これで何人目だよ?」
一海が女子の集団を眺めながら誰ともなしに問う。
「やっぱ、いたずらだろうなぁ」
鳶田が指折り数え始めた隣で、坂上がうんざりした様子でため息をついた。
「それがさ、誰が言い出したのか、呪いだの祟りだのって盛り上がってんの。もう秋なのに。すげくね?」
指を折りつつの鳶田の口調は、まったく信じていないという態度がありありと出ている。それを耳ざとく聞き咎めたらしい女子が、遠くでじろりと睨んでいる。
「女子ってそういう話好きだからな……っておっかねえ。相真、鳶田のこと睨んでたぞ」
「ソーマ? あぁ、あいつ昔っからオカルト好きなんだよなぁ」
鳶田は睨んでいる女子に一瞥を投げるが、まるでどこ吹く風。鳶田と相真が幼馴染みらしいことを、一海はその言い方で初めて知った。
「女子ってやっぱガキん頃から変わんないもん?」
思い当るエピソードでもあるのか、坂上が苦笑しながら訊く。鳶田が大いにうなずいた。
「何つーか、表面上はギャルギャルしくなったりキレイなお姉さんになったりするけどさ、やっぱ好きなこととか、あんまし変化がないよな女子って」
「だよなぁ。俺んちの隣にいるトモコってのも、昔っから漫画が好きでさぁ」
もう鳶田は件数をカウントするのは諦めたようだ。一海は二人の話題がずれ始めたのを聞き流しながら、カバンの中身を漁る。一時限目に提出する予定のレポートを読み返すために手に取り、席に着いた。
「そういえばさぁ、坂上くん、おじいさんに訊いてくれた?」
相真と何やら話していた荒井が、大声を張り上げた。坂上は小さくため息をついてから振り返る。
「わり、やっぱそういう知り合いはいないってさ」と、少しも済まなくなさそうな表情で返した。
「えーそうなんだぁ。困ったよねぇ、呪いがこんなに広まってるのって、やっぱお祓いしてないからじゃないかと思うんだけどなぁ。ねえ」
荒井と相真は「ねえぇ」と言いながら顔を見合わせる。そのあっけらかんとした口調は、怖がっているのか面白がっているのか、一海にはイマイチ理解できない。
荒井たちはまたこそこそと何事か耳打ちして、こちらを見ては小さく笑っている。
「何が呪いだか……お前らの態度の方が俺には呪い的だわ」
坂上がぼそりとこぼす。
「ところでよ、木ノ下は何か幼馴染みなエピソードねえのかよ?」
鳶田が一海に話を振る。一海自身、彼らの話を聞いていて思い出したことがないわけではなかったが、一応思案顔をしてみせる。
「んー……幼稚園の頃は仲いい奴がいたけど、そいつ普通に男だったし。海賊ごっことかよくやってたなぁ……俺、卒園前に幼稚園から保育園に変わったからなぁ。それ以降は正直あんま覚えてねえんだ」
覚えていないわけではないけれど、実際、園を変わる前後の記憶はかなり曖昧だった。
「男の話はいいんだよ。女でないのかよ?」
「ないと思うなぁ……幼稚園の時はままごととか、たまにやらされたけど」
一海が答えると坂上が大袈裟にため息をついてみせた。
「つまんねえの。やっぱ木ノ下は空気系だわ」
「わけのわからん言い掛かりをつけんな」
一海は殴る振りをした。
* * *
「あれぇ?」
昼休み、それぞれ弁当やパンなどを広げて食べ始めた頃に、鳶田が携帯電話を握りしめながら素っ頓狂な声を上げた。
ちなみに鳶田には、彼女の画像を開いて置き、時々うっとりみつめながら昼食を摂るという、はたから見ると――正直、ちょっと気持ち悪い習慣がある。
「何だよ。レイちゃんが男にでもなったのか?」
カップラーメンの時間を計りながら、久保が気のない口調でジョークを飛ばすと鳶田がむっとした。
「それ面白くない」
「知ってる」
しれっと返す久保に、また鳶田がむっとする。その様子を見守っていた一海は苦笑した。
「知ってるって何だそれ。ジョークってのは面白いと思うから言うもんなんじゃないのか?」
「それこそ何言ってるんだよ坂上くん。面白いか面白くないかは別として、思いついたらとりあえず言ってみなきゃ反応がわからないじゃないか」
したり顔で久保は持論を述べると、おもむろにカップラーメンの蓋を剥がしに掛かる。
「よくわかんねぇよ」
どうやら坂上は、駄洒落やオヤジギャグを面白いと思って言っているらしい。
「ってか鳶田、結局何がどうしたんだよ?」
両手で携帯電話を握りしめたまま動かない鳶田に一海が声を掛けると、鳶田は今にも泣きそうな表情で見上げた。
「レイちゃんが……」
「別れのメールでも来たのか?」
今度は坂上が割り箸を割りながら茶々を入れる。
「それ面白くないどころか俺がかわいそうだからやめれ」
「いいから何なのか教えろよ」
一海がうながすと、鳶田は悪友たちの顔を交互にみつめた後でおもむろにつぶやいた。
「……消えてる」
「はぁ?」
「どういう意味だ?」
一拍置いて、一海たちは顔を見合わせる。その瞬間、思い当って同時に鳶田に視線を戻す。
「やられたのか?」
「メール? 写真?」
「まじで?」
「やられた……写真……俺、一番気に入ってたショットなのに……」
鳶田はもうすっかり意気消沈した様子で、弁当の蓋を開ける気力すらなくなったようだ。やたらため息をついては、諦め悪く携帯電話をいじり続けた。
半分以上食べ終わっている久保やマイペースな坂上とは対照的に、鳶田に付き合って弁当を開けずにいた一海だが、今更どうすることもできないのが判明したので、慰めの言葉を口にしながら弁当箱を開け始めた。
「なぁ、その、なくなった物は戻らないんだからさ。飯食おうぜ」
「だって、だって、初めてデートした時のベストショットでさ……」
子どもみたいにえぐえぐとしゃくりあげている様子は、かわいそうを通り越して少し気持ち悪い。
しかし本人にしてみれば相当ショックなのだろうから率直な意見も言えず、一海たちはその後も黙々と食事を続けた。
「……なぁ坂上」
もそもそとカツ丼をかき込む坂上に、暗い表情の鳶田がぼそりと語り掛ける。坂上は無言で食べ続けるが、視線だけは鳶田に向けた。
「呪いとか、ほんとにあるのかな……」
「何言い出すんだよ。あるわけないだろ」
一海が代わりに答える。細目タレ目の鳶田がこの世の絶望を絵に描いたような表情をしている方が呪いより怖い、と思ったが口には出さない。
「だって、俺のスマホ……」
「うっかり消しちゃったんだろ。莫迦莫迦しい」
坂上はぶっきらぼうに言葉を投げる。
「消すわけないだろうが」
全世界の哀しみを背負ったかのような表情の鳶田が顔をしかめる。坂上は鼻で笑うと麦茶を一口飲んで言った。
「消すわけなかったら消えてなかったろうがよ」
「消してないのに消えたから大問題なんだろ。少しは人の気持ちもわかれよ。人でなしかよ」
鳶田にしては珍しく声を荒げていた。怒りで頬がうっすらと紅潮する。
しかしそのお陰か、先ほどまでの暗く重い哀しみのオーラはどこかへ消えさったようだ。
「その程度でめそめそするのがおかしいだろ、っつってんだよ」
対して坂上は淡々と応戦する。だが鳶田の態度にいらついているのは一海にもわかった。
「お前らさ、そんなことで険悪になるなよ」
一海が箸を置いて仲裁すると、鳶田はまたしょぼくれた表情と声で繰り返した。
「だってレイちゃんが……」
ころころと表情を変える鳶田に呆れながらも、一海は助け船を出した。
「写真くらいまた撮ればいいだろ。もっとかわいいやつ。ってか、お前、その写真は彼女に送ってないのかよ?」
「おお! その手があったか。木ノ下お前冴えてるなぁ」
「俺が冴えてるんじゃなくてお前がボケてるんだよ。それに、データ復活させるソフトも売ってなかったっけ?」
「そんな物あんのか?」
憤怒、悲哀、歓喜、そして驚愕。京劇の早変りもかくやと思いながら、一海はうなずく。
「俺、そういうの電器店で見たことあるからさ」
「俺持ってるぜ……」
ぼそりと坂上がつぶやく。
鳶田は細い目を極限まで開いて更に驚きの表情になった。
「マジで? それ貸せ。いや貸して下さいお願いします坂上様! 荷物持ちでも太鼓持ちでもしますからぁ!」
さすがの坂上も鳶田の勢いには負けたらしく、吹き出した。
「そこまで態度豹変させなくても。どうせ明日持って来ようと思ってたしよ」
きょとんとする鳶田に向かって、坂上は照れながらぼそりと付け足した。
「――こう見えても、俺は結構ツレ思いなんだぜ?」
鳶田は一目惚れでもしたかのように、目をうるうるさせて坂上を見つめる。
一海は、坂上が密かにもてるという理由の一部分がわかった気がした。