Ⅷ-Ⅲ 猫の探偵と悪の組織
聞き間違えたかと思い、一海は問い返す。
「あの、すいません……今なんて?」
「だから、猫。英語で言えばキャット。あたしたちは猫なの」
「……またからかってます?」
一海は不満顔になる。それに応戦するように寧々も眉間にしわを寄せた。
「だからぁ、あたしたちの血筋ってのは――」
「寧々、急ぎ過ぎだ。少し落ち着け」
カイルが割って入った。
「急に突拍子もないことを言われて、信じられないのも無理はない。寧々の説明が言葉足らずだからな」
そう言いながら寧々の隣に座ると、カイルは「ところで」と話を引き継いだ。その髪はいつの間にか梳られていた。
「少年は、一般的な進化論の内容を知っているか?」
「はぁ、一応……そんなに詳しくないですけど」
一海が首を傾げながら答えると、カイルはうなずいた。
「うむ、俺もよくは知らん。しかし現在の人類が猿のような動物から進化したとか、巨大ねずみから進化したとかいう仮説があるくらいなのだから、他の動物に似ているものから進化した人類がいたとしても、不思議ではないだろう?」
一海は少し考えてから答える。
「それは、可能性はゼロじゃないでしょうけど」
「つまり、そういうわけだ」
猫から進化した、ということなのか。
「でも――」
言いたいことはなんとなく伝わったが、一海はそんな説を聞いたこともない。
「クジラやイルカは、魚類とよく似ているだろう? でも彼らは哺乳類だ。同じように、俺たちがどこから来たのかはわからんが、進化の過程でヒトとよく似た姿に――もっと言えば、ヒトとの間にも子をもうけられるほどよく似た状態に、変化したということらしい」
「うーん。わかったようなわからないような」
らしい、という言い方で、カイルも誰かからそう教わったのだと一海は考えた。
「わからなくてもいい。そういうものだ、と覚えておけばいいのだよ。そもそも一般的な進化論も理解が難しいものだからな」
カイルは話を締め括る。一海にはまだはぐらかされている気がしてならない。
「えっと……確認させて欲しいんですけど」
一海は慎重に言葉を選びながら質問した。
「カイルさんと寧々さんが猫系の人間? だとして。この前寧々さんと一緒に禅さんの生霊を退治した――」
「退治じゃないよ。身体に返しただけ」
寧々が鋭く突っ込む。
「――返したっていう、月光さんは」
「あの子もそう。ってか、あの時いたのはゲコちゃんじゃないよ。ゲコちゃんの双子の弟で、ニコちゃん。あ、日光。当然兄弟揃って猫」
「……でも、人間にしか見えない。猫要素がないような」
やはり理解できない。一海はため息をついた。
「別に、猫耳や尻尾が生えてるわけじゃないよ?」
「そうだけど……でも、それってただの猫やただの人間とは違うんですか?」
一海の質問に、寧々は胸をぐんと張って答えた。
「あったりまえじゃん。ただの猫や人間にはそんな簡単に『術』が使えないじゃん? 禅さんみたいな状態の人間を返したり、悪霊やモノノケと闘って封印したりするためには――」
「ちょ、ちょっと待ってください……悪霊はいいとして、モノノケ?」
慌てる一海。ここまで来ると、ゲームなどの仮想世界と言った方がしっくり来る気がする。一海の頭の中で、猫耳や尻尾を生やした寧々やカイルが魔法の杖を手にして走り回り始めた。
「あー、うん。まぁ、こちら側でそう呼んでいるだけなんだけど。同じような能力を持った奴らで、それを悪いことに利用するのを生甲斐としている、悪の組織みたいなもんだと思ってて」
「そんなあっさりした説明でいいんですか? それ、大事件じゃないですか」
超人的なパワーを手に入れた悪役がどれだけ周囲に被害を及ぼすのか、一海が知っている映画や漫画だけでも充分理解できる。
「でもさぁ、今まで十何年も生きてて、知らなかったでしょ?」
寧々の呆れたような見下すような問い掛けには、ただうなだれるしかない。
「ぅ……知りませんでした……」
「普通の人間は知らないまま一生を終えるだろう。仮にどこかの国でとてつもない秘密兵器が開発されていても、一般人には知らされないのと同じようなもんだ。まして事故や事件などの厄災の陰にモノノケがいて、ヒトの運命を弄んでいるなどとは尚更気付かない」
カイルは一海に優しい口調で説明した。
「じゃあひょっとして、禅さんの事故ってのも?」
一海は窺うように寧々たちを見る。
寧々がふぅ、と息を吐いて肩をすくめた。
「まぁそういうことかなぁ……どうやらコウモリが何かを仕掛けたらしいんだけどねぇ。でもあいつら、自分で悪事を練ることができない小物だから、更に後ろにもっと強いモノノケがいるはずなんだけど。なかなか尻尾を掴めなくてね。なんとも情けない」
「可能性としてはやはりヘビだろう。最近はずっと大人しかったが、あいつらは執念深くて狡猾だ。しかも――」
カイルはちらりと一海を見やる。
「何ですか?」
「――いや、話が逸れたな」
一海が首を傾げると、カイルは一呼吸置いて首を振った。
「俺たちがモノノケと呼んでいるのは、主にコウモリやヘビ、ネズミやカラスなどで、そいつらもヒトの中にまぎれて生活しているわけだ」
「そんなに色々いるんですか……でも、ヘビとかカラスって哺乳類じゃないですよね」
猫や猿やネズミなら、人間に進化したと言われても信じようと思えるが、さすがに卵から生まれる人間というのは一海の想像力の範疇を超えている。
カイルは一海の疑問に対し、よくぞ訊いてくれたとばかりにびしっと人差し指を立ててみせた。
「その通り。だから奴らはヒトとは交配ができない。ヒトのように社会に紛れ込んでいても、それはただヒトの姿を模した別の生き物だ……と、言われている」
「言われている?」
カイルはため息をついて首を振る。碧い眼が翳った。
「残念ながら、奴らのことはすべてわかっているわけじゃないんだ」
「じゃあ、そいつらがどこにいるのとかは?」
「わからない。目につく所では群れないからな。当然、個体数も不明だ」
お手上げポーズをするカイルに、寧々もうなずく。
「じゃあカイルさんたちはどうして……その、モノノケがいるって知ってるんですか?」
できれば面倒なことには巻き込まれたくない。嘘であれ真実であれ、この件に関して深く知るごとに、無関係ではいられなくなるという予感があるのに、どうしてこんなことを訊いているんだろう、と一海は考える。
禅二郎が何をやったのかは知らないが、彼のように事故に巻き込まれたら……?
そう考えると身震いしてしまう。しかし同時に、モノノケについて予備知識があれば、何かしらの予防が得られるかも知れない、という淡い期待も抱いていた。
「普通の事故や事件と、奴らが何か仕掛けた場合とでは痕跡――これは説明が難しいんだが、とりあえずヒトには似たように見えても、俺たちからすればそこは明らかに違うんだ。そしてもし命を落とす人間が出たりすると、その人間は死霊となって更に厄災を呼ぶ原因になる」
「事故が頻発するトンネルとか、うっかり足を踏み入れると呪われるって噂の廃屋とかさぁ、一海くんも聞いたことあるでしょ?」
寧々が付け加える。
なるほど、そういう話なら特殊な能力がなくても判断ができるだろう。
「でもそれって……都市伝説みたいですよね」
「一種の都市伝説だよねぇ。奴らは次々と仕掛けて来るし、こちらは原因がわかった時点で退治したり封印したりとイタチごっこが続いているわけで、噂を聞きつけた人が見に行っても結局何もなかったよー、みたいな?」
寧々の話は、心霊特番で何も起きなかった時の言い訳ナレーションのように聞こえて、どうにも胡散臭さばかりが増してしまう。一海は質問を変えた。
「えーと、『こちら側』って猫しかいないんですか? 悪い奴らはヘビとかカラスとか、結構異種交流会が盛んですよね」
一海の言い方に、カイルは軽く笑った。
「まぁ、ざっくり分けると悪い奴らになるんだろうが、中には悪くない奴もいるんだよ。一応言っておくと」
「えっとそれ、国同士が戦争してても民間レベルではそうでもない、みたいな?」
「ちょっと違う気がするけどな。時として戦争はどちらも正義だったりする場合が――」
一海が聞きながら眉間にしわを寄せていると、寧々が茶々を入れた。
「カイルの話は例えが難し過ぎるんだってばぁ」
「すまん……で、少年の言う『こちら側』だが、我々の他にも勿論いる。寧々や俺の知り合いには犬の奴もいるし、会ったことはないが、猿や水棲生物もいるという噂だ」
「犬、ですか?」
一海の頭の中を、パイプを手にした犬が走り回った。鼻が利くだけにさぞかし名探偵になれるだろう。
「そいつは今刑事をやっているんだが、頭の固い奴でね。『刑事と探偵がしょっちゅう会ってたら、お互いに不利になる記事をマスコミに書かれるかも知れない。自重しろ』と滅多に会ってくれないんだ。最後に飲みに行ったのはもう五年前だったかなぁ」
「そうなんですか……」
警察犬ではなく刑事……人間の言葉を話す犬を想像していたが、そういう話ではないらしい。結局、一海には実感が持てなかった。