Ⅷ-Ⅱ 彼らの能力とおまけの目
* * *
放課後、一海はまたBWエージェンシーを訪れた。
昼前に寧々からメールが来ていたのだ。要約すると、『昨日は言えなかったことがあるから、もし聞きたいなら事務所に来てくれると嬉しい』、というような内容だった。
絵文字もついてはいたが、いつもよりかなり少なめで、寧々なりに真面目に書いたつもりらしい。
今日もやはり階段を上って来る足音で寧々がドアを開けた。寧々の勘の良さに一海は感心してしまう。先日階段ですれ違った人がいたのだから、毎回ドアを開けるわけではないのだろう。
「お、お邪魔します……」
寧々に招き入れられてそう答えたが、一海は自分でも緊張しているのがわかった。やはり寧々と二人っきりだと変に意識してしまう。
弥生と二人の時とはまた違う緊張感だった。
「今日はあの子が一緒じゃないんだねぇ……」
見透かしたようなタイミングで寧々がぽつりと言う。
昼休みにさり気なく弥生の予定を確認したが、どうもその時の一海の態度で、ここに来ることがバレている気もする。
「そういえば、電話の時は叔母さんって言ってたけど、寧々さんが叔母さんなの? 随分若いよね?」と、逆に探りを入れられたのだ。
甥と叔母という関係は正しいので、そこは改めて説明した。
だが寧々の容姿や、一海が寧々と話している時の様子など、思い返せば弥生にはどことなく引っ掛かるものがあったらしい。
しかし実際、昨日の話の内容からも、弥生がいると訊きにくそうだと一海は考えていた。
「ちょっと待っててねー。今飲み物用意するからさ」
いつものように三人掛けのソファに一海が案内され、寧々はキッチン側に一度引っ込んだ。
「いえ、お構いなく。あの今日は俺――」
一応、一人で来た理由を述べようかと切り出したが、すぐ寧々に遮られた。
「わかってるよぅ。あの子がいると話しづらいでしょ? アイスティーでいい?」
その言い方では語弊があるような。と、思っても、そこまでは口には出せない一海だった。
「ええ、まぁそうですけど」
二人分のグラスをテーブルに並べ、寧々は隣に腰掛けた。寧々が近くにいると、甘い香りがする。
「なんだよぅ。敬語とかさぁ、めんどいからタメ口でいいんだよ?」
「そういうわけにも、いきませんよ。だって……」
「えー? 何それ。寧々さんが年上だからって遠慮してるの?」
寧々は一海の方へ向き直り、ずいっと迫る。バニラのような甘い香りが強くなる。
いい匂いだとは思うのだが、一海はその香りを嗅ぐと何故だか落ち着かず、そわそわしてしまう。
「いや、遠慮ってわけじゃないですけど――」
威圧感に負けて後ずさる一海に、寧々は更に迫った。
「じゃあ何なのよ。あの子にはタメ口だったじゃない」
「ちょ、寧々さん、近いですってば」
一海が情けない声で抗議をするも、寧々は怒ったような表情で更に一海を追い詰めた。
「わざとやってんのよ。当然でしょ?」
寧々が何故不機嫌なのか見当もつかない一海は、もうほとんど押し倒されそうな体勢で、何をどう謝るべきかと必死に考える。
「あの、寧々さん。なんか俺が悪かったんなら――」
「うるせえなぁ少年。人んち来てぎゃあぎゃあ騒ぐもんじゃないぜ?」
絶妙なタイミングでロッカーの陰からカイルが現われた。ハスキーな声が、起き抜けのせいか更にがさがさと荒れて不機嫌そうに聞こえる。
「――逢引なら、もっとこっそりやってくんねぇかなぁ」
あくび混じりで投げ掛けられた言葉の内容はともかく、一海はカイルの出現にほっとして振り向いた。
次の瞬間、一海は自分が今どういうシチュエーションに陥っているかも忘れ、目を丸くしてカイルを指差す。
「え、カイルさん、その頭……?」
眠たげなカイルの顔を縁取っているのは、盛大な寝癖だった。しかも、ギャグ漫画で爆発に巻き込まれた後のようだ。
一体何時間寝ればそれだけ寝癖がつくのだろう。
「ん? あぁ、いつものことだ、気にするな」
カイル自身は本当に気にしていないようで、がしがしと頭を掻くと大きなあくびをした。
クリーム色のワイシャツはよれよれで、ボタンも上から二つほど外されており、絵にかいたような寝起き姿だ。ここ数日の間、一海が目にしていたクールな二枚目探偵の面影はほとんどない。
「悪いね、カイル。さっき寝たばっかりなのに」
寧々がくすくす笑い、一海の上からやっと身をどかした。
「いや、一瞬でも深く眠れたみたいだから、別にいい」
カイルは大きく伸びをし、またロッカーの陰に引っ込む。続いてグラスに水を注ぐ音が聞こえて来た。
「それより、あまりからかうなよ寧々。少年がかわいそうじゃないか」
一海が呆然としている隣りで、寧々が今度は苦笑する。「ごめん、つい、ね」
「俺、からかわれてたんだ……って、さっきって? カイルさんいつ寝たんですか?」
「そうねぇ……四時前かしら?」
カイルの代わりに寧々が答える。一海は壁の時計を見上げる。午後四時半を過ぎたところだった。
「え? じゃあせいぜい三、四十分じゃないですか?」
一海は心底驚いた。寝癖選手権があるとすれば、確実にメダルを狙えるレベルだ。それがたった三十分程度でできてしまうとは。
「ただでさえ、くせっ毛でハネやすいからねぇ。それでいつも帽子着用なわけ」
寧々は苦笑しながら説明する。
「探偵っぽさを出してるだけじゃなかったんだ……」
「だけ? それは偏見がかなり含まれている気がするぞ少年」
一海が思わずつぶやいた言葉に、カイルが突っ込む。
「ご、ごめんなさい」
しかしロッカーの向こうからは低い笑い声が聞こえていたので、気を悪くしたわけではなさそうだった。
* * *
「で、一海くんが知りたい血筋って話だけど」
寧々が向かいのソファに座り直し、ようやく本題に入った。
「はい」
一海も神妙な面持ちでうなずく。
「まぁ、幽霊が見えるってのもそうだけど、それはどちらかというとおまけなんだよね」
普通の人間は幽霊が見えただけで大騒ぎするのに、それがおまけとは。一海のクラスメイトの女子たちがこの台詞を聞いたら何と言うだろう。
「本当の能力は、あたしの場合には風を操ること。カイルの場合は雷を作ること。他にも火や水を操る能力を持つ仲間もいるんだけど」
「はぁ……?」
一海は気の抜けた返事をした。中途半端なゲームの説明を聞いているようだ。
「もっと……超能力みたいに物を動かしたり、魔法使いみたいに飛んだりするのかと思った。あと透視とかテレパシーとか……」
寧々は一海の言葉にころころと笑った。
「箒には乗らないけど、あたしは一応飛べるよ。飛べるっていうか、風にお願いして乗せてもらうようなもんだけどさぁ。あいつら友だちになるにはちょっと気難し過ぎるから、遊びじゃなかなか乗せてくれないけど、心を込めてお願いすればね。物を壊したり動かすのも一応できるかも知れないけど、透視やテレパシーはできる人がいるかどうかわかんないなぁ」
「……そうなんですか」
簡単には使えないとなると、寧々の話が本当かどうかも確かめようがない。ただ、弥生から聞いた話でも、多分寧々は風を使って禅二郎をどこかへ送ったという。
「あまり信用してないよね?」
寧々の笑顔が少し歪む。一海は何と答えればいいか悩んだ。
「実感が湧かないというか……あと、カイルさんと寧々さんの能力って全然違うのに、どうして同じ血筋って言えるのかとか、理解できなくて。親戚じゃないんですよね?」
「そうねぇ。親戚なのはあたしと一海くんだけだね。カイルは、遠いご先祖には親戚がいるかも知れないけど」
「じゃあ何で――」
「あのね、猫、なのね」
「……はい?」