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Ⅶ-Ⅱ 寧々の機嫌と弥生の困惑

 * * *


 一海はじんわりと汗ばんでいたが、同時にうそ寒さも感じていた。

 喉の渇きを覚えてコーヒーを一口含む。すっかり冷めていたコーヒーの、苦味と酸味が舌の上に広がった。



「……ね、どう思う?」



 弥生は試すような(いど)むような視線を一海に向ける。



「……どうって、言われても」


 一海は氷の欠片がかろうじて残っている水を口に含む。残った酸味を洗い流すように、ゆっくり飲み込んだ。



「正直なとこ、俺はその話だけじゃ何とも言えない」


 一海の言葉を聞いて、弥生は眉間にしわを寄せ、あからさまに落胆の表情をする。



「やっぱり――」

「でも、さ」



 弥生の言葉を遮ってから、一海はまた水を飲む。


「でもひょっとしたら、別の視点からの話を聞けるなら、真実はどうなのか、横峰が見たモノが何だったのか、わかるかも――ん? なに?」


 不思議そうな顔で自分を見ている弥生に気付き、一海は言葉を切る。



「一海くんって……見掛けによらず、オカルト()きだったの?」



 一海は吹き出した。


「何でそうなるかなぁ――あー、いや別に好きでも嫌いでもないよ。幽霊は怖いけど見たことないし、いるともいないとも思ってない。宇宙人なら、いて欲しいけど」


 笑いながらそう答える。二人の間にあった、というか一海が抱えていた緊張が一気にほぐれたのを感じる。



「じゃあ何故?」

「うん。横峰の話を聞いてて思ったんだ。違う方向から見ていた人たちが、少なくとも二人はいるってことだろ? んで、多分それ、俺の知人だろうな、って」


 弥生は更に目を丸くする。



「だから、そのケーキを食べたら会いに行ってみようと思ったんだ。俺、ちょっと電話掛けて来る」


 弥生を置いて、一海は携帯電話(スマートフォン)を手に立ち上がった。


 * * *


 入口付近に移動し、寧々の番号を選択する。七回コールしてようやく出たその声は不機嫌そうだった。



「えっとー、この電話は現在使われ――」


「寧々さん、今どこにいます? 事務所にいるなら、これからお邪魔してもいいですか?」

「何よう。あたし今仕事中なんだけど。一海くんはデート中でしょぉ?」


 嫌味をスルーして一海は話を続ける。


「じゃあその仕事、何時頃終わります?」

「んー? 珍しく積極的じゃない。なになに? 電話じゃ無理なの?」



 声色が少し明るくなったのを一海は聞き取った。これは会ってもらえるだろうと考える。


「電話よりも直接会った方が」

「やだぁん。寧々さんに会いたいのねぇ?」


 そんな寧々の言葉も、普段なら照れたりしただろうが、今はとにかく気持ちが急いていた。



「会いたいというか、会わせたい人がいるんです。あとできれば(げっ)(こう)さんにも来て欲しいんですけど」



 話し方で何かを感じたのか、寧々もおちゃらけた口調を正した。


「あれ、ゲコちゃん今日いないんだわ。どうしよう。あたし今チェシャーの店番してるんだよね。ちょっと高価な商品が入荷するんで、きちんと確認できる立会人が必要なの。だから、検品が終るまで待っててもらうことになるけど」



「そうなんですか……」


 寧々一人を相手にしていると、弥生を会せてもいつもの調子でまた混ぜっ返されてしまうかも知れない。



「まあいいや。じゃあ事務所で待ってて。所長がいると思うけど、来客の予定はないから待たせてもらえるはずだし。そうだね、十八時半には事務所に行けると思うよ。時間大丈夫?」


「あ、はい、ありがとうございます。じゃあお願いします」


 一海は電話を切って脳内で会話を反芻する。



 月光がいないのは残念だが、寧々だってきちんと話をすれば聞いてくれるだろう――さっきのやりとりで確信し、一人でうなずく。カイルさんに同席してもらえるのもアリだろう。今はとにかく二人を会わせることが重要な気がしてならない。


 * * *


 段取りを考えながら席に戻ると、弥生がものすごい形相でじっと見ていた。


「え、なに横峰。なんか怖い――」

「随分と親しそうだったわね……どちらさま?」


 その声は、触れれば流血必至というほどに刺々しい。


「どちらさま? って、な、なんで?」

「普通、彼氏が他の女と親しげに電話してたら嫉妬するでしょ?」

「そ、そ、そうかもね……で、でも、横峰もそんな風に考えるんだ。あの、相手は俺の叔母なんだけど」



 どぎまぎしながら答えると、次の瞬間、弥生の顔がいつもの無表情に戻った。


「こういう時って、そうした方がいいのかなぁ、って思って。雰囲気出るでしょ?」

「そういう雰囲気は出さなくてもいいよ――あ、食べ終わったんだ」



 一海は心臓がばくばくしているまま、新しくなっていたお冷を飲んだ。口の中が一瞬で乾燥してしまった。弥生の視線のせいなのか、後ろめたい気分になって落ち着かない。



「何そわそわしているのよ。トイレなら奥の右側よ?」

「あ、うん……じゃあちょっと」


 特に行きたかったわけではないが、言われるままに席を立つ。



「大丈夫よ。一海くんがいない間に荷物検査したり携帯の履歴確認したりしないから」



「……そう言われると逆に不安になると思うぞ」


 弥生には聞こえないように小声でつぶやきながら、一海は店の奥に向かった。






 鏡には、あからさまに疲れた表情の男子高校生が映っていた。弥生と二人なのが緊張するのか、話の内容のせいか。一海は鏡の中の人物に同情する。


 視界の端にナニカが映り込んでいる気もして落ち着かない。これはやはり聞いた話のせいなのか。冷たい水で幻覚を流すように手を洗い、ついでに顔も軽く洗ってからトイレを出た。



「そうだ、横峰の都合訊いてなかったよ、ごめん。門限とかある?」


 席に着きながら一海は問う。弥生はきょとんとした顔で答えた。

「今時の高校生に門限なんてあるの?」


「あ、じゃあ――」

「うちは、塾や病院の時以外は十九時半だけど」

「いやいやいやそれじゃ無理だろ。ってか、門限あるんじゃねーか」



 慌てて突っ込む一海を満足げに見ながら、弥生は余裕の笑みを浮かべた。


「連絡しておけば大丈夫よ。携帯貸してくれる?」

「あぁ、うん――ってまさか、『彼氏のケータイからぁ』とか言わないよな?」


「ん? 言って欲しければそうするけど?」

「いや、いい。ごめん……さすがに今のは先読みし過ぎたようだ」



「……そうしようと思ったけど、先読まれたのでやめるわ」


「そ、そうか……」



 ――やはり先読みしておいて正解だったらしい。


 悔しそうな表情をしている弥生に自分の携帯電話(スマートフォン)を渡しながら、一海は安堵した。


 * * *


 喫茶店から探偵事務所までは徒歩で十五分程度で、チェシャーの近所を経由することになる。


 弥生が禅二郎に会ったというのは、更に先にあるブティックが数軒並ぶ辺りだったという。一海はその辺の状況を、自分の目でも確認してみたいと考えていた。



 チェシャーの脇には一台のトラックが停まっている。商品の搬入をしているのだろう。弥生が一海の視線を辿り、驚いた。



「あ、ここのお店」


 一海はうなずく。

「ここだろ。禅さんと横峰がベンチに座ったっての」



「うん、そう。それでわかったのね……あれ? じゃあ待ち合わせしてるのってここ?」

「いや、もう少し先の、あの信号の辺り」


 説明しながら、並んで歩く弥生の様子を窺う。顔色が優れない。こういう時に、気の利いた言葉のひとつくらい言えた方がいいのだろうが、一海には何も浮かばない。


「あのさ、横峰、もうそろそろ……」



「――んさん?」



 急に弥生が立ち止り緊張した声色でつぶやく。



「え?」


 一海は辺りを見回した。買い物途中の主婦や、一海たちと同年代の遊びや塾帰りらしい集団などしか見当たらない。



「誰かその辺にいるのか? 何か見えるの?」



 そっと弥生に尋ねる。視線を追うが一海には何も見えない。弥生は何もない一点を凝視し、浅い息を繰り返して答えることもできないでいる。



「横峰……?」



 ひょっとして自分は『見えていない』方の人間なのだろうか、という考えが頭をよぎる。


 弥生は小さく震えて目を見開いたまま、絞り出すようにやっと声を出した。



「禅さん……何故? 戻ったんじゃないの? どうして?」

「おい、横峰? しっかりしろ」


 一海は弥生の前に回り込んで両腕を掴み揺すった。




「――ちゃん? 大きくなったなぁ」



 ふいに、一海の背後から男性の声が聞こえた。


 ぎょっとしながら振り向くと、いつの間に現われたのか、もう一歩下がればぶつかるくらい間近に男性が立っている。一海は慌てて飛び退いた。



「うわ、いつの間に……危なかった。ごめんなさい」


 弥生の様子を気にし過ぎるあまり、周囲が見えていなかったのか、と一海は反省した。



 男性は長髪を後ろで縛り、骨ばった輪郭に意志の強そうな太めの眉、涼しげな切れ長の目をしていた。



 ――和服を着せたら似合いそうな風貌だなぁこの人。


 そう考えながら弥生に視線を戻すと、弥生は一海を見て驚いた様子をしている。



「一海くん、見えるの?」

「え?」


「見えてなかったのに」

「何が?」



 知り合いらしき男性は二人のやりとりなどお構いなしに、にこにこと話し掛けて来た。



「やあ、この子は弥生ちゃんの彼氏なのかい?」

「え、ええ、あの、禅さんこの前――」



「久し振りだね。確か五、六年は会ってないし、大人っぽくなるはずだ。当時は俺もまだ大学生だったっけ……もう高校生なんだなぁ。彼氏までできて」


 男性は思い出を懐かしむように、ふと視線を逸らす。



「え、それって……?」


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