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Ⅵ-Ⅰ 探偵のコスプレと猫のソファ

 翌日の土曜日、一海はまたBWエージェンシーの前にいた。

 一海は前日に聞いた『血筋』の意味を、もう一度寧々に問い質したかったのだ。



 明日は弥生とのデートなので、できればよれより前に――と、ほとんど衝動的にアポなしでここまで来てしまった。


 だが、冷静に考えてみると、何故今日でなければいけなかったのか、自分への言い訳ができず、階段への一歩がなかなか踏み出せない。


 かれこれ五分以上ここでうろうろしている。




「……いや、なんで俺が後ろめたさを感じなきゃいけないんだよ。別に、あいつがいないとこで寧々さんに会うのがアレだとか――」



 ビルの入り口でひとりでぶつぶつと言い訳をながら、迷いを振り払うように首をぶんぶんと振る。


「ほんとに昨日の話が気になって……それだけだし――」



「何やってんの? こんなところで」



「わわ、寧々さんっ?」


 急に後ろから声を掛けられ、一海は飛び上がりそうになる。



「いや、あのちょっと……近くまで来たので」

「ふぅん?」



 不思議そうに一海を見ている寧々は、両手にコンビニのビニール袋を持っていた。



「早く上がんなよぅ」



 連絡などしていなかったのに、まるで来るのが決まってたかのように寧々は一海をうながし、先に立って階段を上り始めた。



 ビルの細く急な階段を一歩一歩、ゆっくり踏みしめるように上る一海たちの耳に、どこからかピアノの旋律が届いた。


 と、数段上がった寧々が急に立ち止まる。



「あ、しまった。お香が切れそうだから買って来てって言われたんだよ。そのついでの買い出しだったのに……」

「――はぁ」



 一海がよくわからず相槌を打つと、寧々はちらりと一海を窺い見た。



「ちょっとこの袋持って先に行っててくれる? 鍵は開いてるから。今日は所長もいるし」

「え、でも――」


「ちょっとひとっ走り行って来るからさ。それ、中にアイスも入ってんだよねー。保冷材も一緒だし、室内に置いとくなら数分平気だけど、今日はまた天気がよくて暑いじゃん? やっぱこれもってうろうろしたくないからさぁ。じゃあよろしくー」



 一海の言い分などはなから聞いてない様子で、寧々は荷物を押し付けるとまた外へ飛び出して行った。


 呆然としてその後ろ姿を見送ってから、荷物の中身が要冷凍だというのを思い出し、一海はとりあえず階段を上る。



 二階の細長い廊下の両端には、それぞれ重そうな金属のドアがついている。


 真ん中の、探偵事務所のドアだけが木製だった。



 模様ガラスが填め込まれたレトロな扉には、ごつごつとした印象のカリグラフで事務所名が掛かっている。一海は三度目の来訪にして初めて、扉にも文様が彫刻されていたことを知った。



 ブザーを鳴らし、反応を待つ。



 ピアノのメロディが途切れ、中から眠たげでハスキーな声が答える。

「はい……どうぞ?」


「あの、俺、寧々さんの甥で――」



 言い終わる前にうなるような返事が聞こえた。

 ひょっとしてあまりよく思われていないのだろうかと、一海は不安になる。



「あの、今日は寧々さんに用事があって」


 勇気を振り絞ってもう一度一海が声を掛けると、中から「おう」と短い声が返って来た。



「どうしたんだ? さっさと入って来いよ少年」



 続いて聞こえた言葉に、一海はきょとんとする。ドアの向こうの相手は、一海が勝手に入って来ると思ってたのだろうか。



「あ、あの、じゃあお邪魔しま――」と挨拶をしながら、真鍮色の丸いドアノブに手を掛けようとした手は、しかし思いっきり空振った。




「わわっ」



 一海は重心を崩し、たたらを踏む。その視線の先には、爪先が鋭角に伸びている黒い革靴がつややかに光っていた。


 体勢を立て直すと同時に視線が上に移動すると、その上も黒い。黒い。全身真っ黒で、まるで――



「喪服じゃねえぞ」



 頭の上から、まるで心を読んだかのようなタイミングでぼそりとつぶやく声。

 その声に思わず一海が見上げると、一対の碧い眼が冷めた視線を向けていた。



「……っ! は、はろう。えっと、あの」


「いや、今まで普通に日本語話してただろう。というか、その態度は俺のような立場の者を傷つけることになるので、可能な限り是正してくれたまえよ少年」


「えっ、あ、ごめんなさい」



 一海は動転したまま謝った。しかし相手は言うほど傷ついていないらしい。


 小さく首を横に振り「まぁ気にするな」とつぶやくと応接セットのソファへと身振りで案内する。




 ソファの上には赤毛の子猫が二匹と、白に茶斑の親らしき猫がくつろいでいた。だが、一海たちに一瞥をくれてからするりとソファを下りて部屋の奥へ消えて行った。


 客が来たらよけるようにとしつけられているのか、単に知らない人間が嫌いなのか。




「ひょっとして寧々から何も聞いていないのか?」


 ソファに座ったもののどうにも落ち着かない様子の一海を見下ろして、男性は呆れたような口調で言った。



「あの、所長さんがいらっしゃる、とは言われたんですが」


 一海は緊張しながら答える。



「俺がそうだ。このBWエージェンシーの所長、(くろ)(だか)(かい)()だ」



 男性はハスキーな声でそう言うと、手をくるりと返し、気障にも見える仕草で一海に名刺を渡す。


 名刺を受け取りながら、一海は改めてその男性を眺めた。



「くろ、だか……かいる? さん、えっと初めまして」


 挨拶をしようと立ち上がるが所長はくすりと笑う。



「カイルでいい。座ったままでいたまえ、遠慮はいらん。ところで実は初めてではないのだがね、少年。先日、寧々に荷物を運ばされただろう? 俺はその時このロッカーの裏で寝ていた」



 カイルはそう説明しながら、やはり気障な仕草で肩越しにロッカーを指し示す。



 ロッカーはその奥にある簡易ベッドやシャワールームを隠すような配置になっていたのを一海は思い出した。




「きみは一度、こちら側にあった箱を持ち出した」

「あ、そういえば毛布でミノ虫みたいになってる人がいたような……」

「ミノ虫か……」


「ああ! ごめんなさい」


 一海は失言に赤面する。



「いや、寧々にもよく言われるのでね」

 カイルはくつくつと笑い続ける。


「そ、そうですか……」



 うっかり喋るとまた失言しそうで、一海はなるべく口を閉ざしていようと思い直す。



 しかしカイルはお喋りを続けるつもりではなかったらしく、一海にくつろいでいるように言うと、静かな音楽を流し始めた。



 メロディに合わせて低く鼻歌を歌いながら窓際の机に向かう。書類がいくつも山のように積み上がっているその場所は、どうやらカイルの席らしかった。


 無造作に伸びっぱなしといった風情のくせ毛に、クリーム色のワイシャツがアクセントカラーになっている細身の黒いスリーピース。


 これでフェルトの中折れ帽でもかぶれば、十中八九、探偵のコスプレをしていると思われるだろう。



 と、思ったら、山のように積み上がった書類の一番上にまさにそういう帽子がちょこんと乗っていた。




「どうも緊張しているのは少年だけじゃないようだな。珍しい来客に、うちのものたちも随分人見知りしているらしい」



 独り言のようなカイルの言葉に続き、マッチをする音が聞こえる。


 やがてほんのりと甘い香りが漂って来た。カイルが香を焚いたのだ。チェシャーの店内に満ちているようなエキゾチックな香りではなく、どこか懐かしく感じる和風の香りだった。



 ソファの足元でかさりと物音がした。一海は、先ほどの親子猫かと思いながらソファの下を覗き込む。そこにはつややかなグレーの、スリムな猫が澄ました顔で横たわっていた。



「あの、猫は何匹くらい飼ってらっしゃるんですか?」



 昨日は一匹も見掛けなかったと一海は思い返す。そうすると所長が飼っている猫を連れて来ているのだと考えるのが自然だ。


 しかしカイルは書類の山の隙間から一海を見やり、すぐまた引っ込んでぼそぼそと答えた。



「飼ってるわけじゃないさ。そいつらは勝手に出入りしているだけだ……もっとも、中にはうちのエージェントも含まれているがね。そこのグレーのやつなんかは、割といい働きをする」



「はぁ、そうなんですか……?」


 一海はカイルの発言のひとつひとつが、いまいち理解できなかった。



 本当によその飼い猫や野良猫がうろうろしているのだとしたら、近所から苦情が来そうなものだから、多分彼特有のジョークなのだろう。


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