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Ⅴ-Ⅰ 近所の井戸端とネットの口コミ

 朝食の前にシャワーを浴びた。

 だがやはり仮眠だけではすっきりしないようだった。



 ――まるで吸血鬼になったような気分だ。朝日が無駄に眩しいっていうか……



 陽光に顔をしかめながら自転車を出している時、ふと視線を感じて振り返る。短い私道の奥に二匹の猫がいた。

 観察するような視線で眺めながら、のんびりと寄り添い合っている。


 こうやって、誰かが出入りするたびに冷やかしに来て、気が済んだらまたいつもの位置に戻るらしい。



 日向ぼっこしている猫の姿というのは、のどかな日常を演出するのに必要なアイテムだ。だがこのどっしりとした三毛猫と、そっと付き添う赤毛猫のコンビは、どうも当てはまらない。


 それは近所の住人たち共通の意見だった。




 小学生の頃、一海は三毛猫を撫でている間に段々怖くなって泣き出したことがあった。記憶の中ではまるで化け猫みたいに怖かったのに、こうしてほぼ毎朝顔を合わせるようになると特に恐怖は感じない。


 むしろ何がそんなに怖かったのかと、当時の自分に訊いてみたくなる。




「……いってきます」



 猫相手にうっかり挨拶をして、何やってんだ俺、と心の中で突っ込みながらペダルに足を掛ける。


「にゃおぅん」と、か細い返事のような鳴き声が耳に届いた。


 * * *


「よう木ノ下。ひでえ顔だな」



 対照的に晴れ晴れとした表情で迎える(とび)()に、一海は力なく手を上げて挨拶する。



「おぅ鳶田、坂上――はよ。お前余裕あんなぁ。課題どうした? 諦めたか?」


「やって来たぜぇ、ばっちり。ほら」



 訊かれると思い用意していたのか、鳶田は後ろ手に持っていたノートを目の前に突き出し、効果音つきでぱらぱらとめくってみせる。



「おーすげえ。お前、やる気出せばできるんだな」

 一海は素直に感嘆した。だが鳶田はへらりと笑った。


「ううん、全然」


 今まで鳶田と話していたらしい坂上は、にやにやしながら様子を眺めている。



「どういうことだ?」

 一海は首をひねる。寝不足で頭が回らない。




「それがさーレイちゃんがさー、『あたし英語得意だから教えてあげよっかー?』って言ってくれたんで、昨日ファミレスで教えてもらったんだー」


 裏声で彼女の声真似をする鳶田。

 坂上は我慢できなくなったのかぷふっと吹き出した。



「えー? なんだそれずるくないか? ってか、教えてもらったんじゃなくて、写さしてもらったんじゃないのか?」

「まぁ、多少はそうかも知れんけど」



 一海もゆうべ考えていたが、自力でこなしてみて意外にハードだったのでつい不平をもらす。



「多少じゃねーだろ。ずるいなぁ。俺はお前の巻き添えなのに自力でやってんだぞ?」


 一海は自分のノートを鳶田に突き付けた。

 しかし鳶田はハエを追い払うようにノートをはたき、口を尖らせた。



「巻き添えなもんか。昨日木ノ下が大人しくノート見せてくれてたらこんなことにならなかったんだし」


「それだけは絶対、ない」

「なんで即断言するかなー」


「明らかに鳶田の課題の方が多かったし。俺は、見せてない、鳶田が勝手に見てた、ってのを矢坂に強調しての結果がこれだし」


 一海はノートの表紙を叩いた。すると坂上がはたと手を打つ。



「そうだ。木ノ下も英語が得意な彼女を作ればいいんじゃねえの?」



 坂上は我ながらいい案だとばかりに何度もうなずいている。しかし一海はまたかよ、と言いたげな表情になる。



「何故彼女に教えてもらうの前提なんだ? まず自分で――」

「ちなみに俺の彼女は料理は上手いが、国語が苦手だぜ?」

「って訊いてねえし、っつーか坂上、お前それ言いたいだけだろ」

「その通りだ」



 一海の突っ込みに対し、胸を張って開き直ったかのような坂上の台詞に今度は鳶田が爆笑する。


 だが一海は憮然としたままだ。



「くだんねーよ。彼女彼女ってお前らもさ」


「木ノ下モテないもんな」

 坂上がストレートの剛速球をぶつけて来た。


「はいはいすみませんね。坂上はいいよな。彼女いるのに更にモテるしなあ」と、一海は適当に受け流す。




 坂上がモテるのは事実らしい。だが、背は低いしいわゆるイケメンでもない――むしろ『潰れた大福につぶらな瞳』などと本人が自虐ネタで言うような容姿である。


 更には、久保と一緒になって親父ギャグですらない面白くないジョークをたびたび口にする。



 そんなこいつのどこにモテ要素があるのか、この世は不思議で理解しがたい。




「木ノ下はさぁ、素材は悪くないと思うんだけどなぁ。それ、天然でふわふわ茶髪だろ? んで、どっちかっていうと女顔で子犬系つーか子猫系つーか、女子にはウケそうな顔してるしさ」



 一海にとって女顔は決して褒め言葉ではないのだが、鳶田は褒めているつもりらしい。



「でも何かこう、どっか空気みたいな――」


 すかさず坂上が食いつく。

「ある意味草食系より上級だよな。新ジャンルじゃん。空気系男子?」



「お前らぁ! いい加減にしろよ!」



 一海はすごんでみせるが眠いせいで目に力がない。しかも大声を出したせいで頭がくらくらする。

 挙句、坂上はまるで慰めるように一海の肩をぽんぽんと叩き、うんうんとうなずいている。


 一海はもう反論も抗議もする気力がなくなり、ため息をついた。


 * * *


 今日の弥生は珍しく、一海が歩いて来るのをずっと見ていた。


 そして、いつもは声を掛けるまで知らん顔をしているのに、一海が近くまで来るのを待ち構えていたとばかり、皮肉交じりの一言を発する。



「毎日毎日ご苦労なことね。一海くん」



「横峰もな」


 何を言い出すのかと思えば、と一海は呆れる。



「――まぁ昨日今日に限って言えば、教室にいても落ち着かないから別にいいんだけどさ。女子どもが事故の話であーでもねーこーでもねー」


「事故の話? なんだっけそれ」

「事故は、こないだのバイクの事故だよ」



 お前が上条に絡んだ……と、うっかり言いそうになり、一海は咳払いをひとつした。口は禍の元、である。



「――保護者用のプリントが配られただろ。それ。っつーか、今女子がぎゃーぎゃー言ってんのはネットの方で」



 弥生は小首を傾げる。

「ん? 意味がわからない。バイクの事故ではなくネット? の事故?」


「あー、えーと、いや、バイクの事故なんだけど。ってか、そうだな。口で説明するよりも見せた方が早いか」



 一海は尻ポケットから携帯電話(スマートフォン)を取り出して操作する。指の動きを面白そうに目で追って、弥生は軽く感嘆の声を上げた。



「そうかわかった。このような場合に便利なのね? これはすごい。携帯でもインターネットができるとは」


「横峰、いつの時代の人間だよ。今はネットできねえ携帯を持っている方が貴重だと思うぜ? ――っと、これだこれ。事故や事件の無責任なデマって、昔は口コミだったじゃん。それが今はネットだから、伝播も早いし」



 地域の情報が書き込まれる掲示板を開きながら一海が説明する。

 と、弥生はまた首をひねった。



「疑問なのだけど、全世界に開かれているはずのインターネットで、そんな局地的な情報を垂れ流すのが流行っているの? 個人情報保護法とやらはどうなっているのだろう」


「っつーか、そうやって垂れ流す奴らが多過ぎるからそういう法律ができたんじゃねえの? まぁ、俺もよくわかんねえけど」


「流れ的にはそっちの方がしっくり来るね」

 一海の言葉に、弥生はこくこくとうなずいた。



「えーと、話を元に戻すと、そのバイク事故の話をネットに流した奴がいて」

「でもそのニュースはテレビでやってたでしょう? 何故わざわざまたインターネットに?」


「だからちょっと人の話を聞けよ。テレビで流してない細かいことまで話したがる奴らが、こうやってネットに流すんだってよ。そいつのバイクがどこ製の何だとか何色の服を着てたとか、直前にどこにいたとか――ん? なんだよ?」



 弥生は話を聞きながら首をひねり、無言でそっと手を挙げていた。


 一海が反応したために質問が許されたと判断したらしい。弥生にしては珍しく、おずおずといった様子で切り出した。



「やはり気になるのだけど……」


「うん、まぁいいよ。何? っつーか今までの話でどこがどう疑問になるんだか、逆に俺の方が訊きてぇけどよ」



 一海が不満げにため息をつく。それを見て弥生はぷうっと頬を膨らませた。


「だって腑に落ちないのだからしょうがないでしょ。つまりね、事故の目撃証言なら警察に行けばいいと思うのだけど、何故無関係な人にまでバイクの種類や服の色を教えなきゃならないの? その人が何か特別なバイクに乗っているということ?」


「――あぁ……もう……」



 一海は舞台俳優のようなポーズで天を仰いだ。『自分の常識は他人の非常識』とはよく言ったものだ。誰の言葉なのかは知らないけれど。



 弥生の疑問はもっともかも知れない。が、何故かと訊かれても『そういうものだから』で納得してしまっている一海には、的確に答えられそうになかった。


 ただ、世の中にはそういう『他の人が知らない特別な情報』を見せびらかしたいという心理状態を持て余している人で溢れているのだ。


 一海は神妙な顔を作り、少しだけ重々しい口調でそう説明した。



「そういうものなのか……いや、でも」

 弥生は少し考え込む素振りを見せてから一海に向き直る。



「ひょっとしたら、自分だけがその特別な情報とやらを持っているのは苦痛だからなのかも知れないよ」

「あぁ、うん、そういう場合もあるかもね」と、一海は同意した。



「――例えばきみは、私が幽霊を見た、と言ったらどうする?」


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