Ⅳ-Ⅱ 彼の解放感と彼女の開放感
一海は聞こえないと思ったが、弥生は耳ざとく一海の声を拾ったらしい。
「ん? 何か言った?」
一海は慌てて弥生から視線を外し、何か、何か――と少ない話題の引き出しを急いで漁った。
「いや、なんでも――っつーかよ、こないだの……カミサマ? の話だがよ」
「うん? 神様?」
弥生は首を傾げる。が、すぐにうなずいた。
「ああ、興味を持ってくれたの? それじゃこれから、あの方が舞い降りて来た時どれだけ神々しく美しかったのかとくと語って――」
「いやその話はまた今度でいいんだけど」
すかさず、弥生の話を遮る。
「ええっと。あ、そうそう。そん時、なんで写真撮らなかったんだ? そんなことも思いつかないくらい見とれてたのか?」
最近の幽霊はデジタルに対応しているらしいぞ、という、今朝の久保のジョークをふと思い出して一海が話題を変えると、弥生はそれあっさりと否定した。
「あぁ、そんなこと。撮れないよ。無理」
無理、と聞いた瞬間に一海の背中には鳥肌が立った。
いつだったか、心霊写真などの特集番組でそういった系統の専門家とやらが「『彼ら』は撮ろうと意識すると写らないものなのです」などともっともらしく語っていたのを思い出してしまったのだった。
「え、と、それってまさか、やっぱり、撮ろうとすると逆に写真に写らないとか――」
おそるおそる問うと、弥生はふるふると首を横に振った。
「ううん、だって私携帯持ってないから」
「――へ?」
予想外デス。というカタコトの台詞が一海の頭の中に流れる。
弥生はその反応が気に入らなかったらしく、一瞬だけ眉間にしわをよせた。
「なに? そんなにおかしいことでもないでしょ? 持ってない人はいくらでもいるよ。私が携帯持ってないことで、木ノ下くんに迷惑掛けた?」
弥生の反応は、以前他の誰かにも同じように訊かれたことがあるかのようだった。
中学卒業時や高校入学直後など、やたら連絡先交換が流行る時期はあるものだ。一海はというと、そういうタイミングにさり気なく席を外すなど、のらりくらりと適当にかわしていたのだが。
「そりゃ持ってないやつもいるけど……迷惑とか別にないけど。でも、少数派だよな」
俺でさえ持っているのに、と続けそうになったが、それは自分がかわいそうになるので飲み込み、自分の尻ポケットの携帯電話に手をやる。
友だちが多い方ではないという自覚があるが、そんな一海でもこれを手にしてから二、三年は経っている。
――でも、流行最先端の機種とまでは行かなくても、高校生にもなればほとんどのやつが、ガラケーかスマホを持ってるもんじゃねえの?
一海はそう思っていたが、どうやら身近にレアケースがいたらしい。
「正直なとこ、持ってたって使いどころがないのよ。そもそも電話は好きじゃないし、お喋り自体あまりしないし、メールもゲームも興味ないの。そんな時間があったら本を読みたい。たまに、出掛けて出先から自宅に連絡することはあるけど、公衆電話で用事は済むでしょ? 私、逆に訊きたいくらい。みんな普段それで何をやってるの?」
「みんな、ってか俺はまぁ、ゲームしたり写真撮ったり?」
――ってもまぁ実際、ゲームをしたい時はゲーム機を持ち歩くし、写真なんて滅多に撮らねえけど……
とりあえず一海は自分のことを棚に上げる。
「そんなに写真撮ってどうするのよ?」
「えっと、ほら、あれだ、よくやってるじゃん。つぶやいたり顔ったりインスたり?」
「……ごめん、何言ってるのかよくわからない」
――俺もほんとはよくわかっていない。やってないし。
とは言えず、一海は曖昧に笑って誤魔化す。
「まあいいわ。メールとかは?」
「たまに……」
――といっても、届くのはリコさんからか鳶田の惚気か、あとは中古ゲーム屋のメールマガジンくらいだけど。
一海は心の中で付け足す。
弥生の冷めた視線が、一海には少し痛い。やたら痛い。見透かされている気がする。
「……電話は?」
「や、あまり……」
――そういえば最後に電話機能を使ったのは、寧々さんがが酔っ払って掛けて来た時だっけ……と一海は思い出した。
それも既に一週間以上前の話だ。
「ふぅん……それ、スマホじゃなくてもいいよね」
「……まぁ」
――もうやめて! とっくに一海のライフはゼロよ! むしろマイナスよ! っていうか考えれば考えるほど、なんか俺、携帯持ってないこいつよりも寂しい奴、みたいになってんだけど……
一海自身も非リア充な自分を認めたくはないが、認めざるを得ないのだった。
自分が情けなくなりフェンスにもたれてうなだれている一海の様子を、しばらく観察するように見てから、やがてくすくすと笑う弥生。
「それでなんだっけ一海くん。あの方の話を聞いてくれるんだっけ?」
「いや、それはまた今度で――もうちょっとライフとかヒットポイントとかが残ってる時に」
「うん、じゃあまた今度ね。今日は考査が終わった解放感と屋上の開放感を胸いっぱいに感じましょう」
こんな状態で何をどう感じればいいのか、という状態の一海に、弥生はにこやかに語り掛ける。
* * *
いつの間にか周囲の騒音が静まっていた。
解放感より先にそういうものを感知するのが、生活委員たる一海の悲しいところだったが、どうやら昼休みの校内放送も終わって、そろそろ予鈴が鳴る頃らしい。
結局今日も、一海は弥生に付き合って自分の昼休みを潰してしまったことになる。
やはり解放感なんてこれっぽっちも感じられなかった。
「あー、とにかくそろそろ屋上から出てってくんないかな」
一海は本来の自分の仕事――これを仕事と言うのもまた虚しい話だが――を思い出し、生活委員としての台詞を口にする。
「あ、くれぐれも階段からな!」
先週注意した時に「じゃあ出て行く」と弥生がまたしてもフェンスを乗り越えようとしたのを思い出し、軽く身震いしながら一海は付け足す。
弥生は名残惜しそうな視線を空に投げてフェンスから離れ、一海は安堵した。
「あと、そのカミサマとやらは、屋上でなきゃ見えないのかよ? 例えば、四階の廊下の窓じゃ駄目なのか?」
素朴な疑問が浮かんだ一海だったが、余計なことを言ったらしい。
弥生は軽蔑、いや侮蔑に近い視線を一海に投げながら、無言のまますたすたと非常口に向かった。
「……駄目なわけね、はいはい。ったく、宗教だか妄想だか知らんけどよう」
ぶつぶつと文句をたれながら一海も歩き出す。
と、一海があと数歩で届くというところになって、目の前で大きく重い音を響かせ、非常口が閉ざされる。
続いてガチャリ、という冷たい金属音。
一海は一瞬何が起こったのか理解できなかった。
自分の耳を疑いつつも非常口に駆けつけ、がちゃがちゃとドアノブを回す――が、手遅れだった。
「ちょ……まじ? 嘘っ! 閉め出された?」
屋上の非常口は内側から施錠するようになっており、外側には鍵穴すらない。
担任にこっそり合鍵を作ってもらった一海でも、鍵穴がないドアに対しては手も足も出ない。
――ということは、つまり――
「ちょ、ちょっ、おまっ、よこみねぇー! 何しやがんだこらーっ!」
軽い絶望と情けなさを感じつつ、一海は非常口を殴りながら叫び続けた。