第2話 ファンリルという町
東京は地元じゃないから土地勘が分からない。
避難所らしき場所もどこに位置しているのか、さっぱりだ。
誰かに訊いて教えてもらおうと、目立たないように街の中を歩きながら、人の姿を探す。
「人……人いないねぇ。ひとー、ひとー」
彼方にもらったクッキーを一気に食べ尽くした後、那智は彼方と共に人探しをしている。
が、どうやらやる気ゼロらしい。
一緒に探す『フリ』をしながら、スキップしたり、ケンケンしたり、しゃがみこんで動かなくなったり。
まさに自由奔放。
呆れた声で彼方が言う。
「壊れた壁の亀裂の中に人はいない、水たまりにも人はいない、ポスター剥がしても人は出てこない、小石の下にも人はいない、どんなサイズの人間だよ! ったく」
「あ、空き缶」
「入ってねーよ!!」
ふいに那智が立ち止まる。
そして足元にいたダンゴ虫を指差して、振り向いて彼方に言った。
「虫が、もうここには人がいないよって言った」
「ダンゴ虫がそう言ったんだな? 本当に言ったんだな?」
「ごめんなさい、ウソつきました」
前途多難。
面倒極まりないお子様と出会ってしまった。
子供を危険な中に一人置き去りもできない。
結果、今は行動を共にするしか選択肢がない。
彼方は大きくため息を吐いた。
道の途中で、ドアが開いて乗り捨てられた車を見つけた。
中を覗くとキーが付いていた。
キーを回してカーラジオをつけたが、聴こえてくるのは砂嵐の雑音だけ。
「ダメか」
都会の街が、今は廃墟のゴーストタウンのように、異様な静けさに包まれている。
数人くらい人が残っていても不思議じゃないのに、一人もいない。
さっきの召喚者の姿も既に消えていた。
壊された店や家屋、乗り捨てられたバイクや車。
目の前の光景は、怪獣映画に出てくるワンシーンのようだ。
思い出したように。
ふと彼方は一歩前を歩く子供に訊いた。
「そういえば、那智君は学校はどうしてるんだ? 七歳だと日本では二年生だな。今日は学校休み?」
「学校いない。ずーーっと前に死んで、お星様になった」
「学校は死なない。お星様にならない」
「僕、おなかすいたぁ」
「話を変えるな」
グゥ~~、と那智の腹が鳴る。
つぶらな目で訴えるように見上げられたら、そりゃ呆気なく降参。
腕時計を見ると、午後一時半を過ぎていた。
「よし相棒、食事にしよう。さっき、途中にコンビニあったはずだ」
「僕パン持ってる! お兄ちゃんの分もあるよ。ファンリルのパンすごくおいしい、だけど三日しかもたない。今日で三日目。今日中に食べないとダメなの」
「そうなのか? それじゃあ、ありがとう。もらうよ」
「うん!」
二人は食事をするため、歩道沿いにある扉が開いたままのカフェの中に入った。
小じんまりとした店内は無人。
開店準備の最中に出て行ったのか、入り口にはバケツとモップが放置されたまま。
中は、少しお洒落なガラステーブルとスチールイスが置かれた席が数席。
彼方達は、入り口の一番近くの席を陣取る。
那智は背負っていたリュックを足元に置くと、中から一枚の青色のバスタオルを取り出した。
そしてイスの上に広げてから座る。
不思議に思った彼方が訊く。
「なにしてるんだ?」
「僕、金属アレルギーなの」
「金属アレルギー?」
「鉄、アルミ、スチール、金属全般に触れるとヤケドする。ヤケドしても治す力が強いからすぐ治る。だけど痛みはリアルだから、ヤケドしたくない」
「タオルを敷けばヤケドしないのか?」
「うん。直接触れなければダイジョーブ」
足元のリュックを、ヨイショ、と今度はガラステーブルの上に置く。
中をガサゴソと探っている、目の前の小さな子供を見ながら、向かいの席に座った彼方が言う。
「金属アレルギーなんてあるんだな……知らなかった。他にアレルギーとか、注意事項あったら先に言っといてくれ」
「他にはないよ」
「了解、相棒」
言われて見てみれば。
那智の身につけている物には金属系の物は一切ない。
リュックのボタンやチャック、シューズも、金具類は全てプラスチック製だ。
たった今それに気付く。
小さな手が、リュックの中から拳大サイズの丸や四角の形をした物を取り出す。
そしてテーブルの上に数個置いて、彼方に言う。
「丸いのはパン、四角いのはジュース。軽く一回振ると大きくなる、も一回振ると小さくなるよ」
「は?」
言われた通りに素直に。
拳大サイズの丸い形の物を一つ手に持ち振ってみた。
すると菓子パンサイズにデカくなった。
四角い形の物も振ってみる。
すると縦十センチ、横五センチサイズに変身。ストロー付きだ。
それらはもう一度振ると元のサイズに戻る。
ついさっきの水鉄砲の時同様。
頭の中にたくさんの『?』マークが浮かぶ。
…………なにこれ?
「ファンリルの匠のおじさんが、金属アレルギーの僕のために色々作ってくれた。そのひとつ」
「これ……どんな仕組みだ?」
「おじさんのひみつー、入れ物の素材が特別なの。折り畳める皿とコップ、スプーンとフォークとナイフ、ストローとお箸もあるよ」
「折り畳める皿?」
「これ」
そう言って那智は、リュックの表側のポケットから、親指サイズの三角の物を取り出す。
そして畳まれたものを開いていった。
すると、あっという間にごく普通サイズのカレー皿に大変身。
皿には変な折り目も凹凸もない。
彼方の目が点になる。
「……お前、実は魔術師だったりする?」
「僕、まじつしじゃない」
「まじゅつし、な」
「細かいことどーでもいー」
お腹を空かせた子供は、テーブルの上に置いてあった、紙おしぼりで両手を丁寧に拭いた後。
両手を合わせて『いただきます』の挨拶をしてから、振って大きくしたパンとジュースを早速食べ始めた。
振ると大きくなる、も一度振ると小さくなる。
それが不思議で仕方なくて、彼方は何度も何度もやってみた。
すると向かいの席に座る住人が苦情を言う。
「食べ物で遊ぶとバチ当たる」
「……はい。スイマセン……いただきます」
子供に叱られた男子高生は素直に謝り、紙おしぼりで両手を拭いてから、静かに食事を始める。
紙とプラスチックを混合させたような素材で、クリーム色の、お弁当箱のようなフタ付きの丸い入れ物。
フタを開けると、中に丸い形の白いパンが入っていた。
手に取り口に入れると、ふんわりもっちもち、芳醇な麦の香りがする。
真ん中にはイチゴジャムのようなものが入っている。
果実感がじつに最高ー!
言葉が見つからないほどの、それは初めての食感と美味しさ。
ヤバイくらいにこれはマジ絶品。
ボーノ、ボーノ!!
「このパン、すごく美味しい。こんなパンは初めて食べた。たこ焼き食べに大阪行った……ファンリルおじさんだっけ、の手作り?」
「ファンリルは町の名前だよ。おじさんの名前ちがう。パンを作ってくれたのは町に住んでたおばさん。僕が住んでる間、ずっと親切してくれた」
「へぇ」
彼方はあっという間に一個のパンを平らげる。
そして次のパンを食べる。
今度は中にブルーベリージャムが入っていた。これもまた絶品。
そしてジュースにストローを差し込み、飲むとレモン味。
レモンの香りがさわやかで、まるで摘みたて搾りたての濃厚なみずみずしさ、酸味と甘味のバランスが絶妙。
今まで味わったことのない最高の味に感動しながら、食べながら那智に訊く。
「日本に一緒に来たおじさんは、那智君の親戚? あとでどこかで合流するのか?」
「親戚ちがう、町の住人のおじさんだよ。もう会わない。おじさんは旅に出るために町を出たの。僕もそう」
「分かった! お前は魔法使いだろ。一人前の魔法使いになるための修行で日本にやって来た! 当たり?」
目を輝かせて彼方が断言する。
那智はひとつ瞬きした後。
テンション低めに、テーブルの上に置いた、四角いジュースを指差しながら言う。
「入れ物が黄色はレモン、赤はストロベリー、青はブルーベリー味のジュースだよ」
「ガン無視するなよ。俺の推理ハズレ?」
「大ハズレ。お兄ちゃんは探偵に向かない。謎は解けないし犯人は一生つかまらない」
ハズレた上にダメ出しをくらう。
……ファンリル。
彼方はその名前に聞き覚えがあった。
三個目のパンは中にミルククリームが入っていた。
濃厚な味でこれもまた美味しい。
それを食べながら、父親の言葉を思い出して言ってみる。
「ファンリルという名前の町を知ってる」
「え?」
「と言っても、俺のは語り継がれた存在しない都市伝説みたいなものだけどな。そこは地球の最南にあるドラゴンに守られた町。気候が温暖で、景色が美しい綺麗な町。町の人達は育てた麦を売って生計を立てている。住民は寿命がなく、永遠に生きると言われている。心の清らかな人しか立ち入れない、天国に一番近い場所。その町の名前が、ファンリル」
パンをかじったまま、那智が目をぱちくり。
苦笑いをしながら、彼方は話を続けた。
「俺の父さんがその町の噂を聞いて、若い頃に地球最南を探しまくったらしいんだ。恋焦がれて、でも結局見つけられなかった。そんな話を、俺が幼い頃に父さんから何度も聞かされた」
その町は絶対存在するって今でも信じてるよ、そう付け加える。
無言で聞いていた那智は、ジュースを一口飲んでから言った。
「地球の最南じゃなくて、地球の最東。ドラゴンに守られた町じゃなくて、霧に守られた町。町の人達が売っているのは、育てた花の種。住民に寿命はある、けれど命が進む速度はすごく遅くて、星の数ほど生きると言われてる。ちなみにファンリルにドラゴンなんていないよ」
そう言って、ニコリと笑う。
彼方の目が大きく見開かれていく。
「……マジか!」
「まじ」
「その町から来たのか? 住んでいたのか? うそっ……父さんが言ってたファンリルの町は、マジで存在する!?」
那智はモグモグとパンを食べながら、コクコクと頷き返事をする。
彼方はズボンのポケットからスマホを取り出した。
「聞いたら父さんひっくり返るぞ……あ、クソッ。そうだ圏外だった」
恨めしそうにスマホの画面を見た後、テーブルの上に置く。
視線を一度窓の外に移し、辺りを見たが、相変わらず人の気配は感じられない。
那智に視線を戻して、ジュースを飲みながら言う。
「ファンリルの町の話を聞かせてくれないか?」
「いいよ。町のなにが知りたいの?」
「全部」
「よくばりだね」
ファンリル……。
そこは地球最東の場所にある、地図にも、グーグルアースにも載っていない町。
ドローンも、獣一匹さえも辿り着けない秘境。
町の入り口には年中、濃い霧がかかっている。
奥に進めば進むほど、霧はより深く、より濃くなり、幾重にも立ちこめる。
まるでよそ者を迷わせるが如く。
町の人達はこの霧を『霧様』と呼ぶ。
霧様が許可した者だけが、この霧を通り抜けて、町に入れる。
入れるのは、心の清き者だけ。
心が汚れた者は誰一人入ることはできない、そう言い伝えられている。
唯一、町に出入りできる部外者がいる。
それは種売りの行商人。
霧様が許す種売りの行商人は、先祖代々、受け継がれた一人がこの町を行き来している。
ファンリルの町で育てられた花の種を買い、その種を他の町で売る。
ファンリルには多種多様な花が、町中一面に植えられている。
その景観は素晴らしく、綺麗すぎて息を呑むほど。
どの花も美しくて香り高い。
だから種はいつも高く売買される、注文は後を絶たない。
気候は年中温暖、だから花は一年中次々と咲き続ける。
山から流れて辿り着いた清水と、栄養豊富な土、澄んだ空気に育まれた花達は、そうして幾年も絶えることなくこの土地で咲き続けている。
時折優しい風が吹き、時には優しく雨も降ちる。
けれど自然災害に繋がるような天気とは無縁。
白い雪が降ちることもない気候。
大きくもなく小さくもないこの町には、五十人ほどの住人がいる。
髪の色は薄いブルー、瞳の色も薄いブルー。
絹で仕立てられた独特の衣服を着ている。
家畜を飼い、食べる分だけの食物を植えて育て、自給自足の生活を送る。
十六歳まではごく普通に成長して、その後は命が進む速度はゆっくりとなり、星の数ほど生きると言われている。
病気とはほとんど無縁。
穏やかに長寿な人生を歩むから、心身共に満たされて、誰もが優しい心を持つ。
そこにいるだけで気持ちは安らぎ、心は穏やかになれる。
花の種を売って収入もあるが、それを使う機会もない。
満ち足りた町の生活に不満を持つ者はいない。
だから住人は町を出たいとも思わない。
町の外の情報は種売りの行商人から聞かされる。
楽しい話、面白い話、驚いたできごと、幸せな光景、美味しい料理の話。
一方で、人災、自然災害、凶悪事件の数々。
毎年一人は外の世界を見てみたいと町を出て行く。
けれど一度出て行った者で再び町に戻った者はいない。
外の世界で死んだか、心が汚れて町に戻れなくなったのか、理由は分からない。
町の中央の広場には一本の大木が植えられている。
ネーベンの白い木。
樹齢何千年の白くて大きな木だ。
町の神木で、精霊が宿り、この町を守っていると言い伝えられている。
「僕は精霊を見たことは一度もないけどね」
向かいの席に座る七歳の子供は、そう言ってから、指についたジャムをペロリと舐めた。
難しい言葉をソツなく使いこなして説明を終える。
子供が話す会話とは思えない。
やっぱりコイツ……魔法使いだ。
火を吐く怪鳥や、召喚者、自分の手から水鉄砲出した後では驚きもしない。
目の前の魔法使いを見ながら、彼方が訊く。
「俺が行ったら町に入れるかな?」
「分からない。それを決めるのは霧様。霧様が許可した者しか町に入れない。僕が次に行っても、入れる保障はどこにもない……」