第321話 一度壊れたココロは元に戻らない【唯我 新 & ウィルside】
~ボトムズ地下3階 植物園~
「ウオオォォォーーーーッ!!!」
両の拳を燃やし、新はグレガーの顔をひたすら殴り続ける。そこでは純粋な暴力が展開されていた。
『もう止めてくれ―――』などという命乞いをグレガーはしない。むしろ、横でその光景を見ていたウィルの方が先に止めようかと声を上げようとしたくらいだ。
それほどまでに痛々しい光景。グレガーの口からは血が滴り落ち、頬の肉は飛び散り、骨が視えていた。
「グググ・・・」
『元に戻れ―――』
グレガーはそう言葉を上げようとした。グレガーの《言騙し打ち》なら、言葉にするだけでそれが実現する。
しかし、グレガーの声は出ない。いや、出せなかった―――
新はグレガーの喉元をガッチリと掴み、声を出させないようにしていた。
「テメェの能力が喋って出すなら、声を出させねぇようにすりゃいいんだろ―――」
「ッーーー!?」
グレガーは新に首を掴まれ、持ち上げられる。
見下ろすグレガーの瞳は新を睨みつける。言葉は出せないが、その瞳には確かに怒りを感じる。
「おーーおーー!!やっとテメェの気持ちが視えてきたぜッ!!」
「この間の喧嘩の時はポーカーフェイス気取って、気持ち悪かったからな―――」
「大分マシな面になったじゃねェーか!!」
シュトリカム砦でも同じことがあった。同じように首を掴まれ、言葉を封じられた。
でも言っただろう―――
ボクの書いた文字にも力を付与することが出来るんだよ。
「高速に綴る」
グレガーは高速で文字を綴る。
が、新はその行動を既に読んでいた。一瞬でグレガーの両手の骨を砕く。
「ッ~~~~!!?」
激痛がグレガーに走る。
「前に同じことをされたからな~~!!」
「同じ手は食わねぇーぜッ!!」
「テメェはオシメェーだよッ!!」
そう言って、新は右手で思いっきり殴る為、振りかぶった。
その時だった。
グレガーはダラダラと涙を流す。
「ッーーー!?」
思っても見なかったグレガーの涙につい、新の左手は掴んでいた喉元を離した。
「なんだテメェーー??」
「やられそうだからってお涙頂戴で同情を誘おってのか~~~!?」
新は殴るのを止めるつもりはない。この手の外道に同情を掛けるつもりは最初からない。
「ズルいよ―――」
グレガーは小さくそう呟いた。
「あぁん?」
怪訝な顔をする新。
「アラタ!!その男の言葉に耳を傾けてはダメだッ!!」
横からウィルが声を上げる。しかし、二人にはそんな言葉は届かない。
「ボクだけが一方的に殴られるなんて―――ズルいとは思わないかい?」
「ボクは君のパンチを何百と受け続けたにも関わらず、こうして立ち上がってきた。それなのに君はボクの攻撃を全て躱したり、跳ね返して一発もまともに受け切っていない―――」
「多分、君の最後のパンチを喰らえばボクは暫く立ち上がれなくなる程のダメージを頭に受けることになるだろう。」
「だけど、それは"負け"じゃない。ボクは負けを認めないから負けじゃない―――」
「負けじゃないだと~~~!?」
新はグレガーの言葉に少しの動揺を見せる。新はこれまで誰かを殴っては相手を倒して問題を解決してきた。それ故、新にとってグレガーの言葉は意外だったのだ。
「君がボクを倒してココを立ち去った後、暫くしたらボクは再び何の罪もない人達をこの能力で殺し続けるだろう―――」
「だってそれはボクがここで"負けて"ないからだ―――」
「負けを認めていないからだ―――!!」
「テメェーーー!!」
悪ぶりもしないグレガーに声を荒げる新。
「だったらどうしろってんだ!?」
「コレからボクは最大の負の感情を言葉に乗せる―――」
「それを君が受け切って、ボクに一撃を与えたら、君の勝ちを認めるよ!!」
「君が勝ったら、ボクはもう誰も罪のない人々をこの力で傷つけないと約束しよう―――!!」
それがグレガーからの提案だった。その時のグレガーの顔は真剣だった。新が初めて会った時とはまるで別人。あの最初のどうしようもない雰囲気など一蹴するように晴れやかな顔つきだった。
だからこそ―――
「あぁ―――いいぜ!!その提案乗ったッ!!」
新は少しの笑みを浮かべ、グレガーの提案を受けることにした。
実のところ、ワクワクしていた。そんなことを言ってくる者は初めてだったから。あまり頭の回る方ではない新にとって、実にシンプルで分かり易かった。
「じゃあいくよ―――」
「ボクの好敵手―――アラタッ!!」
心に闇を抱えた少年が歳を取り、騎士として人の上に立った。しかし、その秘めた闇は消えることなく少年の心の奥底に生き続けた。
その闇が少年の力となり、能力となった。
これはグレガーに限ったことではない。
人の心の闇は決して晴れない。年月がいくら経とうとも、人の闇は晴れる事は無いのだ。一度壊れたココロを時間が解決することはない。
もし、その心の闇が晴れるようなことが、キッカケがあるとするならばそれは運命に感謝するレベルに幸福なことだ。
「集まれ―――言霊よ!!ボクの負の感情を全て!!」
「発動しろ―――《言騙し打ち》!!」
「ふぅーーー!!ふぅーーー!!」
グレガーは一呼吸置く。そして、数回の深呼吸をする。
「自己中心で何が悪い!!自分が世界の中心なんだ!自分の事を第一に考えるのは当たり前だ!!」
「卑劣で残忍で何が悪い!!一度は弱い人間を見て愉悦に浸ったことが在るだろう?何故それを他人がしただけでまるで親の仇のように侮蔑するのだ!!」
「薄情で何が悪い!!みんなが誰しも愛や思いやりを持っていると思うなよ!!他者に関心を持てない者だっている!そういった者を思いやる気持ちがなくて何が薄情だ!!薄情なのはそっちだろ!!」
「欲望に忠実で何が悪い!!欲望があるという事は目標があるって事だ!!欲望の無い人間は光を失い、道を見失う!!だからみんな欲望を持つべきだ!!欲望を持たないことを美徳だと思うな!!」
「怠惰で何が悪い!!努力したら全て解決するのか?解決しなかった人間だっているんだ!!栄光は皆が平等に得られるものなんかじゃない!!必ず、何も得られない者だっているんだ!!」
「ずる賢くて何が悪い!!ウソや見栄で対面を保ち、人を欺き、利益を求めることがいけないのか?自分の価値観だけで語るな!!そうしなければ生きてこれなかった人間だっているんだ!!結局は結果が全てなんだ!!綺麗ごとだけ並べるヤツは自分の手を汚したくないだけだ!!泥水を啜ってでも前へ行かなければいけない者だっているんだ!!」
「意志が弱くて何が悪い!!人間はみんな弱い!だからこそ他者が選んだ楽な方へ付いて行くモノだ!!それを非難するのは自分が弱くないからだ!!他者が切り開いた楽な方にしか行けない人間だっているんだ!それを悪く言うな!!」
「自分の失敗を他者や環境のせいにして何が悪い!!人は生まれながらに不公平なんだ!!自分に才能や金が無いのは生まれた家が裕福でないからだと思うことの何がいけない!何も成し遂げられないのはパートナーが失敗しているからだと人のせいにして何がいけない!」
「真面目に真面目に真面目に―――幼少期よりそんな教えで育てられてきて、優秀な存在になれたのか?」
「大そうご立派になれたんだろうな!?」
「大人の言いなりで育った者が、他者の気持ちを本当の意味で分かるのか!!」
「身体だけ大きくなって心が子どもな人間など五万といるんだろ―――!!」
「だから・・・だからこそ、重要な局面で判断を他者に委ねる!!そうすれば失敗しても自分が非難されることが無いからだ!!!!!」
「ボクは弱い、卑怯で卑しい人間だ―――!!」
「だからこそ、そんな立派で優秀な大人の言いなりになってきた人間が嫌いだ―――!!」
「努力なんて絶対にしない!!死んでもやるもんか!!それでも、それでも勝ってきた!!そんな当たり前の幸せを手にしている人間をこの能力で踏みにじってきた!!」
「ボクに視えている世界は他の誰にも視えないし理解されない!!そんな暗闇の中でボクは生きてきた!!生きるしかなかった―――!!」
「ハァーーー!!ハァー!!!」
一しきり言い切るとグレガーの前に漆黒の球体ができていた。
これがグレガーの心の闇か―――
「なぁ?アラタ!!」
「君ならこのボクの闇を理解してくれるよね?」
「いいぜ―――!!」
「テメェの全て俺が受け止めてやるよッ!!!」
「ありがとう―――」
グレガーの言葉と同時にその漆黒の球体は新を飲み込む。
「アラターーーッ!!!」
ウィルは大きく叫ぶ。新の命を心配しての事だった。グレガーの心の闇はそれほど大きい。
「ウオオォォォーーーーッ!!!」
「グレガァーーーーッ!!」
「テメェはいつもふざけてヘラヘラしてっけど、それは逃げてるだけだ!!」
「現実に向き合ってねぇ!!」
「それがどうした?逃げることの何が悪い?」
「悪かねェよ―――!!」
「逃げてェー時は思いっきり逃げりゃいい!!」
「だがな、そのテメェーの下らねェ逃避行に関係ねぇー奴ら巻き込むんじゃねぇーー!!」
「ッーーー!?」
新を覆い尽くした漆黒の球体はどんどん小さくなっていく。グレガーの全ての心の闇を新はその鉄拳で打ち砕こうとしていた。
「どうしても吐き出したい思いがあんなら俺にぶつけろッ!!」
「トコトン付き合ってやんよーーーッ!!!」
「ウオオォォォリャーーーーッ!!!」
あぁ―――ボクの最大の一撃が・・・
グレガーの瞳に無残に砕け散るその光景が映る。
その新の拳が眼前に来るまで放心状態となっていたグレガー。
どうやら負けを認めるしかないみたいだ―――
アラタ―――君は凄いヤツだ。
新の拳はグレガーの顔面を打ち抜き、グレガーの意識を消失させる。
このどうしようもない勝負に勝ったのは、唯我 新だった。




