099.神無
「ようこそ、アキオさん、カマラさん」
約束の時間である昼前に、シャルレ農園に着いたふたりを、エルドが出迎えた。
杖をついている。
空は、雲一つない快晴だ。
シュテラ・サドムは大きな街だった。
街というより、外門近くに、街らしき建物と通りが集まってはいるものの、それ以外は広大な農業地帯だ。
農作地を、石の塀ではなく、背の高い木製の柵で囲っている。
もちろん、街と呼ばれるからには、PS濃度は限りなくゼロに近く、内部で魔法は使えない。
昨夜の花火も、街の外の荒野から打ち上げられていたのだ。
だから魔獣はやって来ない。
強度の低そうな木製の柵は、作物荒らしの動物を寄せ付けないためのものだろう。
エルドは杖を突きながら、満面の笑みでふたりに近づく。
杖を持たない方の手は、昨日の幼女と手をつないでいた。
足を軽く引きずるその姿を見ると、言っていたほど軽い怪我ではなかったのかも知れない。
「こんにちは」
カマラが挨拶を返すと、彼の後ろに幼女が隠れた。
「これ、昨日も隠れて出てこなかっただろう。さあ、ご挨拶しなさい」
そういって、女の子を前に引き出し、ふたりを対面させる。
「は、初めまして、オルガです」
「カマラです。こちらはアキオ。よろしくね」
「あんまり、カマラさんが綺麗だから、びっくりして挨拶ができなかったそうなんですよ」
「まあ、ありがとう、オルガちゃん」
カマラは艶やかな笑みを見せ、それにまたオルガは後じさりする。
「ははは」
エルドとやって来た母親のメイビスがそれを見て笑う。
「頼んでいたものだが――」
「こちらに」
エルドが地面に積まれた大きな袋2つを示した。
「これが内容です」
受け取った紙片に目をやり、ついでカマラに渡す。
ひと通り目を通した少女もうなずいた、
代表的な作物の種と苗、あとは希少種の種が何種類か含まれている。
いずれも的確な量だ。
あらかじめ、ザルド2頭で着ていることは伝えてあったので、それに載る量にまとめてくれたのだろう。
代金を渡そうとするが、命の恩人から金は受け取れないと頑なに固辞される。
「あ、そうだ」
メイビスが、ポンと手を打つ。
「代金の代わりに、これから行われる儀式に出ておくれよ。せっかく来てくれたんだから。時間はとらせないよ」
カマラがアキオ見る。
彼はうなずいた。
「わかりました」
彼に代わってカマラが答える。
「どうぞ、こちらへ」
エルド親子について農場を歩く。
なんという作物かわからないが、延々と続く、大人の背よりも高く生い茂った作物の間を抜けると、急に視界が開けた。
青空にぽっかり浮かんだ雲が見える。
「こっちだよ」
メイビスの指さした場所には、すでに多くの農夫たちが集まっていた。
「強い人が来てくれたんだ。みんな感謝しておくれよ」
「アキオ」
場の雰囲気から、何が行われているか察したカマラがつぶやく。
「そうか」
その言葉に応え、アキオは少女の手を握ってやる。
アキオたちが近づくと、人の輪が開いて道ができた。
その先には、木でできた棺桶があり、中には、安らかな表情で目を閉じた老女が寝かされていた。
人々の集まっているこの場所は、墓地だったのだ。
皆、それぞれに、手にした花を老女の周りに置き、身体に手を触れて、別れの挨拶をしている。
「ゆっくり眠るんだぞ」
「良い夢を」
「俺たちが守ってやるからな」
皆、それぞれに思いを口にする。
「さあ、あなたも触れてやってください。あなたのような強い人に守ってもらえたら、アガサは、永遠に安らかに眠ることができるでしょう」
アキオは老女に触れ、
「ゆっくりと眠れ」
と、言う。
「おやすみなさい」
カマラも優しく声をかける。
全員の挨拶がすむと、棺桶に蓋が打ちつけられ、そのまま横に掘られた穴に下ろされた。
土がかけられていく。
完全に埋められると、エルドが簡単な樹の杭を立てた。
そこに帽子が掛けられる。
アガサと呼ばれた老女が使っていたものだろう。
最後に、全員が一列になって、帽子に一度だけ触れると墓地を去って行く。
見方によれば、しごく簡潔にしてあっさりした葬儀だった。
「ありがとうございました。アガサも、あなたの強い力に守られて、きっと静かに眠り続けるでしょう」
エルドの心からの感謝の言葉だった。
だが、アキオは儀式の最初から強い違和感を感じ続けていた。
我慢できず、ついに声を出そうとしたその時、
「すみません。エルドさん。わたしたちは、遠い辺境の出身のために、よくわかっていないのですが、お葬式に神父さまは呼ばれないのですか」
彼の代わりにカマラが疑問を口にしてくれた。
ローマカトリック教会の司祭の名を出したのは、この世界における同職名が分からなかったからだろう。
「しん……なんです?」
「神さまに仕える人です。人が生まれた時や結婚式、葬式を取り仕切る」
カマラが代わりに尋ねてくれてアキオは助かった。
彼ならもっと直截に疑問をぶつけたことだろう。
今の儀式で、神はどこにいた、と。
だが、エルドの答えは、ふたりの想像を超えていた。
「『かみ』……ってなんです」
聡いカマラは質問を切り替える。
「今、わたしたちが送ったアガサさんは、どこに行くのでしょう。天国ですか?」
「その、『てんごく』というのは分かりませんが――どこにも行きません。行くわけがないでしょう。アガサは死んだのです。ずっとあそこにいます」
「眠りから覚めたり、生まれ変わったりは……」
「そんな馬鹿げたことはありません。死んだら、それまでですよ」
「それは、この街だけの考えですか?それとも、サンクトレイカの?」
「何をいっているのですか。どの国でも同じですよ」
さすがに、エルドが不審気な表情になる。
「もちろんそうですね。いえ、辺境のわたしたちの故郷とはずいぶん違うので、驚いただけです」
「埋められる前に、強いものに触れられると、その者の力で魔獣や野の獣から守られるということだな」
アキオが尋ねる。
「そうです」
アキオとカマラは、エルドたちから、自然な形で遅れて歩く。
声が届かないほど離れると、カマラが言った。
「アキオ、ここで生まれたわたしがいうのも変だけど、この世界は少し変わっていますね」
カマラの控えめな表現にアキオは苦笑する。
「そうだな」
「おそらく知的生命体が存在し、自分たちの生と死を認識する世界なら、必ず自然発生するはずの『宗教』がないのですから」
アキオはうなずき、言った、
「ああ、この世界に神はいない」
今頃、気づくとは迂闊だった。
兵士のアキオも、AIのミーナも、そして彼女によって地球の教育を受けたカマラも、科学の徒として宗教に興味がなかったことが原因だ。
うかつにも、そのテーマで、一度も他の少女たちと話をしなかった。
だから気づかなかった。
だが、今、思えば気づくべきだったのだ。
彼女たちが、生死の狭間に立つその瞬間ですら、神の名を口にしなかったことを。
どの街にも、教会その他の宗教施設がなかったことを。
「アキオ――偶然、この世界で宗教が発生しなかったのでしょうか」
もちろん、彼の答えは決まっている。
「俺は、偶然は信じない」
「ということは」
「この世界全体に、何者かの作為が働いている、ということだ」
「そんな……」
それは、異常な想像だった。
これほど広範囲に、長期にわたって、この世界の人類に影響を及ぼす存在などいるはずがないのだから。
もしいるとするなら……
アキオは、立ち止まって、表情を硬くする美少女の頭をポンポンたたいた。
「そんなに考え込むな。まだ情報が少なすぎる」
アキオが言う。
すでに太陽フレアによる電波障害が始まっているので、ミーナと話し合うこともできない。
「そう、そうですね」
振り返ったエルドとオルガが、2人を待って立ち止まっていた。
「あまり怖い顔をするな」
親子に向かって歩き始めながらアキオは言い、少し考えて続ける。
「いつものように――可愛く笑え」
「まあ」
カマラは、鈴のような声を上げると、雲の間から陽が射すように、ぱっと明るい笑顔を見せてアキオの腕に抱きついた。
「うれしいです」
その様子をエルドは眩し気に、オルガは不思議そうに見ている。
昼食は、農園の食堂でとることになった。
今では、すっかりカマラになついたオルガの、たっての希望だったからだ。
昨日の夜から、幼女は、カマラを人間とは思っていなかったようだった。
それが仲良く話をするうちに、カマラが、信じられないほど綺麗な人間の女の人、であることに気づいたのだ。
気づいてしまったら幼女は全開だ。
もうカマラを離そうとはしなかった。
「どうも、すみません。なんか、ご迷惑をおかけして」
食事を終えたカマラの膝の上で、ニコニコ笑うオルガを見ながら、エルドが頭を下げる。
「仕方ないよ。こんな綺麗な子を見たことがないんだから。あたしたちも含めてね。お人形みたいじゃないか」
メイビスは笑い。
「迷惑ついでに、もうひとつ、頼んじまえばどうだい」
「いや、さすがにそれは……」
「どうしたんです」
カマラが尋ねる。
「届けてもらいたいものがあるんだよ。ほんとなら、この子が行くはずだったんだけど、この怪我だろう」
「場所はどこです」
「行ってくれるのかい」
メイビスが喜色をあらわにする。
「この街から、ザルドですぐの場所さ」
カマラがアキオを見た。
「行こう」
「ほんとかい。ありがとう」
軽い気持ちで彼は答えた。
そして、アキオは後々、この返事が引き起こした事件と、その結果の意味を繰り返し考えることになるのだった。