095.静寂
「いいよ、そのまま後ろに下がって」
キイの言葉に従って、ジーナがバックする。
崖に穿たれた深い横穴に、すっぽりと機体が入り込んで見えなくなった。
そのまま、さらに奥へ進んでいく。
洞窟内の入口付近に、馬車を置かねばならないからだ。
ヴァイユとミストラは、ザルドに乗ってきたので、そのための厩舎スペースも必要だ。
「止めて」
キイの言葉でジーナは停止する。
「あとは入口を隠蔽するだけね」
ミーナの声が響いた。
あれから、しばらくして復活したミーナの指示のもと、少し移動して、小川が近くを流れる崖付近までやって来た。
そこで、アキオたちは拠点となる洞窟を作ったのだった。
初めは、ジーナに搭載された小型万能重機を使う予定だったが、身体強化をして、ナノ掘削器を使うと、簡単に穴を掘ることができると判明したため、ほとんど人力で洞窟は作られたのだった。
洞窟内の壁面には、ナノ処理を施して、崩落と湿気を防ぐようにしてあるので、内部はかなり快適だ。
「これでいいですか?」
ピアノが、コクーンを利用したナノ・シートを、リストバンドで操作して洞窟の入口に張った。
もともとは湯舟を覆うために使っていたものなので、出入りが簡単なことと、丈夫なのが利点だ。
ある程度、迷彩も施せるから、よほど近づかないかぎり見つかることは無いだろう。
「ところで、さっきから何を騒いでおるのだ」
作業を見ていたシミュラが、手持無沙汰にやって来たユイノに尋ねる。
洞窟を掘り終わってから、ジーナの移動をキイとミーナに任せたアキオと少女たちは、小川の前で何事か話し合っているのだ。
うらうらと午後の陽が射す川辺に立って、アキオを見上げながら、半ば真剣に、半ばその状況を楽しみながら会話する少女たちの姿は、一枚の画のように華やかで美しい。
「いやぁ、マクスがね、名前をつけてくれってアキオにねだってるんだよ」
「そうか、おぬしたちのほとんどが、アキオに名をつけてもらっているものな……ユイノ・ツバキ、良い名だ」
「なにをいってるんだい。あんたも名付けてもらっただろ、姫さま」
「そうだな」
シミュラは笑う。
ユイノの言葉遣いは、絶対に『姫さま』に対するものではない。
だが彼女にはそれが心地よいのだ。
「なんか、ちょっと違うんだよね」
マクスが可愛く口をとがらせる。
「だいたい何だよ、サイダって」
「マクスに意味の似た地球語、最大からとったんだが――」
「響きが悪いよ。さっきの、オカマっていうのも、何か悪意を感じるし」
「ま、まあ落ちついて。だいたいアキオは人の名前を適当に考えるから……」
ジーナの操作を終えたミーナが、マクスをなだめる。
そのまま、パーソナル通話でアキオに話しかけた。
「もう少し真剣に考えてやって」
「マクス、名前など、お前の可愛さと値打ちには何の影響もない」
「あ、ありがとう。でも、みんなみたいに、美しい名前が欲しいんだよ」
「シジマ」
「え」
マクスとミーナが同時に声を上げる。
「それ、どういう意味?」
「静寂。静かで落ち着いた様子を表す地球語だ」
「シジマ……いいね。素敵だ。気に入ったよ。ありがとう、アキオ」
マクスが飛び上がって喜ぶ。
「アキオ、シジマは『無言』とも『黙』とも書くわよね」
歓喜のマクスをよそに、ミーナが小言口調でアキオに言う。
「マクスは騒がしいから、少し静かにした方がいい」
「でも、シジマって――」
「おかしくはない。たしか、ワグナーの妻に似た名前があった」
「まったく、つまらないことだけよく知ってるんだから。あれはコジマでしょう。フランツ・リストの娘の――だいたい、コジマは夫と子供がいながら、どうしてもリストの娘と結婚したかったワグナーが無理やり略奪――」
「冗談だ。本当は、夜の静寂、からとった」
「ラテン語ね。夜の静寂……あ、アキオ、それって」
「ああ、『夜の静寂作戦』だ」
「カザルマン要塞に単独潜行して、テラルドリア妃を救い出した?」
「俺が、人を殺さなかった、ただひとつの潜入作戦だ。マクスにはふさわしいだろう」
「あなたらしいわ……」
小声で話すアキオに、トン、とマクスが抱きついてきた。
「ねえ、聞いてるの?」
「なんだ」
「ボク、名前はシジマで家名はキイと同じモラミスにするっていったんだよ」
「えーということは?」
「キイとボクは姉妹ってことだね」
「いいのか?」
アキオの問いに、キイは問題ないとうなずく。
「シジマ・モラミス」
「いい響きだね」
「そうだ。地球の言葉には、どこか風変りな、地球語で言う異国情緒な響きがあるからな。ミーナ。それに、名前にいわれがあるのが良い」
いつのまにかやってきていたシミュラが言う。
「この世界はそうじゃないの」
どきっとしながらミーナが尋ねる。
できるなら、シミュラに彼女の名前のいわれを思い出して欲しくはないのだ。
「名家では、いくつかある名前を順番につけていくことがほとんどだし、身分が低ければ、よくある名前を適当につけるだけさ」
キイが笑う。
「ボクは大叔父と同じ名前だった」
「みな、そんなものだ」
シミュラが言い、
「だから、おぬしに名をもらって、喜んでいるのだ」
「皆さんがうらやましいです」
「本当に……」
ミストラとヴァイユが悲しそうな顔をする。
「アキオに頼めばよいではないか。今の名前とは別に、わたしたちの間で使う名をな」
「まあまあ、しばらく時間をおいてからね。今、マクス、シジマの名前をつけたばかりだから」
ミーナが必死になる。
このまま、ふたりの少女を名付けさせたら、アキオはさらに適当な名をつけるに違いない。
ジーナを動かしながら会話を聞いていて、マクスの名を「オカマ」にするといった時には、あやうく壁面にぶつけるところだった。
とりあえず、犠牲者はマクスだけでとめておかねばならない。
そのうち、ミーナが考えて、さりげなくアキオに伝えておけば良いだろう。
アキオの欠点のひとつは、名前にまったく頓着しないことだ。
軍で育ったためか、名前より番号の方が便利だ、ぐらいに思っている節がある。
人の名を間違って覚える、ということが無いのは救いなのだが……
以前に、そのことで苦言を呈すると、
「名前の大切さは知っているさ。元素名も長い時間をかけて名付けられた」
と言ったあとで、
「もちろん、原子番号と原子量の方が重要だが……」
とつぶやくのを聞いて呆れたことがあった。
だが、これに関しては、多少ミーナに誤解がある。
キイが名前を決める際に注意したように、アキオはまったく名前に無関心というわけではない。
ただ、彼は直感で名前を決めがちであり、なおかつ致命的に命名能力に欠けているだけなのだ。
完璧な人間はいない。
「ありがとう、アキオ」
ずっと彼にしがみついていたマクス=シジマが囁くように言う。
「ボク、本当に嬉しいんだ。またひとつ、アキオからもらったものが増えたから……」
どことなく元気のない少女の声が気になって、アキオはアームバンドでバイタルを確認する。
特に異常はない。
「どうした」
「ううん。なんでもない」
そういって、緑の髪の少女は明るい顔で笑った。
「さあ、みんな。日が暮れるまで、しばらく時間があるわ。ここを快適な住処にするために、もう少し頑張ってね」
ミーナの言葉で全員が動き出す。
最終的に、洞窟内に厩舎と常設の風呂、そして野菜不足を解消するために、人工灯を用いた菜園を作るつもりだ。
とりあえず、簡易な厩舎と、皆の希望で風呂を作った。
さらに、少女たちの要望を取り入れて洞窟を拡張し、皆が納得のいく形になったのは3日後のことだった。