091.愚王
それから、しばらくキイが馬車を操り、日が暮れて星が瞬くようになった頃、予定していた小川のほとりに到着した。
ピアノが中心になって、少女たちが夕食を用意する間に、アキオは、いつものように風呂の準備を行う。
浴槽を作り、水をためてナノ・マシンで浄化した。
ふと背後に視線を感じて振り返る。
離れて立ったシミュラが、興味津々といった様子で彼を見ていた。
「いつから居た」
アキオは少し驚いて尋ねる。
他の少女なら、ナノ・マシンの気配で近づけばすぐにわかるのだが、シミュラの場合は、そうはいかない。
だが、いくら、ナノ・マシンによる察知ができなかったとはいえ、彼のような戦闘のプロが、少女の気配ひとつ感じられなかったのは奇妙だった。
「驚かしてやろうと思ってな、変形して地面を這って近づいたのだ。服を着ていたら、うまく変化できないので、全部脱いでな。つまり、わたしはいま素裸だぞ」
シミュラは笑ったが、牙は見えない。ユスラたちと合流してから犬歯はしまっているようだった。
服が消え、薄闇に裸の少女が浮かび上がる。
「姫さま」
背後から声が聞こえ、キイが現れてアキオとの間に割って入った。
裸体が彼の目に入らないようにする。
「どうせ、このあとで存分に鑑賞させるのに、不思議なことをする」
「いや、鑑賞など――」
「それよりもだ」
再び服を着た姿に変化し、キイを押しのけてアキオの眼前に立ったシミュラは、腰に手を当て胸を反らして続ける。
「これが風呂か。100年前のエストラでは、湯につかる習慣はなかったからな。入るのが楽しみだ」
「やはり水浴びでしたか」
キイが尋ねる。
「そうだ。当時のエストラは貧しかったのでな、王族といえども湯浴みは控えておった」
「姫さまに行った仕打ちは許せませんが、エストラ王族の、民を思う賢王らしい振る舞いには感心させられます」
キイの背後からユスラが現れた。
「国が貧しかっただけだ。サンクトレイカも貧しければ同じことをしただろう」
「そうかねぇ」
キイが美しい眉を寄せて腕を組む。
「それはないでしょう。サンクトレイカの王は、まず己の享楽を求める愚王ぞろいですから……わたしも含めて」
冷たい口調になってユスラが断じた。
「姫さまは違います」
「同じですよ。国を捨て、アキオとの生活を取ったのですから」
「違います。サンクトレイカが、あなたを捨てたのです」
ピアノがユスラの手を取って言う。
「まあ、どちらでもよいではないか、ユスラ」
シミュラは笑う。
「国などは、我らがおらずとも勝手に回っていくものだ。己ぬきでは大変なことになる、というのは自惚れにすぎぬぞ」
夜も更け、冷えてきたので食事は車内でとることにした。
シミュラは、少女たちに交じって、楽しそうに会話をしながら、ごく自然にムサカやパオカゼロを食べていた。
しかし、シミュラをのぞく全員が、会話の合間に、ちらちらとアキオを気にしている。
彼の肉だけ、妙に焦げ、パオカゼロも変な形のものが混じっているのだ。
アキオが、いつものように、まったく気にせず食べていると、
「あ……アキオ」
ピアノが口を開きかけて、止めた。
「いいのだ、ピアノ。アキオ、おぬしの食事、少々妙だろう」
「そうか、普通だが」
「む……気がついておらぬなら良いのだが――皆に頼んで、わたしが、おぬしの肉を焼かせてもらったのだ。パオカゼロもわたしが作った」
「そうか」
「我が100年の人生で初めて作った料理なのだ。味わって食べるがいい」
「わかった」
アキオは、あっさりと肉とパンを完食した。
「どうだ、美味しかったか」
「もちろんだ」
ぱっとシミュラが腕に抱きつく。
「嘘をいうな、わたしの目から見ても、あれは完全に失敗作だ。娘たちの心配そうな顔が分からんのか」
「よくわからないが――生まれて初めての料理なら仕方がない。失敗だと思うなら、次はもっとうまくなればいい」
ポンポンと優しく頭を叩かれるシミュラを見て、料理の苦手なユイノに、この手があると教えてやらねば、とキイは思うのだった。
「お風呂の用意ができました」
実験室にピアノが呼びに来た。
室内のベッドには、シミュラが横になり、各種検査装置によって、数値を調べられている。
「大丈夫なようです」
カマラの声が響く。
「これで、わたしが風呂に入っても良いというお墨付きをもらったわけだな」
「異常を感じたら、すぐに風呂からでてください」
「わかった。では、行こう」
シミュラが、アキオの手を取って部屋を出て行く。
ふたりは、馬車を出て湯殿に向かった。
北圏ほど寒くはないが、一応、浴槽の周りにはコクーンが張ってある。
「ここから入れ」
アキオが扉部分を指さすとシミュラが言う、
「忘れ物をした。おぬし、先にいっててくれ」
その言葉にうなずいてコクーンに入った。
いつものように掛かり湯をして湯につかる。
この数日は、シミュラを分身から切り離した時に、身体を侵食されたり、寝ている間に彼女に喰われたりして、かなりナノ・マシンを酷使していたので、湯の暖かさが心地よかった。
そう考え、疲労すべてがシミュラが原因だと気づいて苦笑する。
「あれ、姫さまは」
のんびりと湯につかっていると、キイがコクーンに入ってきて尋ねた。
「忘れ物をしたといって帰った」
「おかしいねぇ。アキオたちが入ってからずいぶん経つだろう」
おそらく、少女たちは、初めてやってきたシミュラのために、ふたりだけの時間を作ってくれているのだろう。
「アキオ、ちょっと待っておくれ」
そう言って、キイが出て行く。
しばらくして、皆と一緒にミシュラがコクーンに入って来た。
「さあ、姫さま、入りましょう」
ピアノがミシュラの肩に手をかける。
「アキオ」
アームバンドからミーナの声がしたので、手を伸ばしてインナーフォンを取り、耳につける。
「どうやら、シミュラは、あの娘たちと一緒に風呂に入るのが怖くなったみたいよ」
「怖い」
「100年生きているといっても、他人と関わって生きてきたわけではないでしょう。実質、17年の人としての人生の後は、独りであの城にいたようなものだから」
アキオは、なんとかシミュラを説得しようとする少女たちを見る。
「わからない。今朝まで、裸同然で俺と一緒にいたのに」
「老成して見えても、基本は17歳の少女なのよ。だから、独りの時と違って、他の娘と比較されるのが怖くなってしまった。作り物の身体と本物の若い肉体の違いをあなたに見られるのが」
「そんなものか」
「そんなものよ。あ、アキオ、声をかけて。うまくやってね」
見ると、少女たちがシミュラを置いてコクーンを出て行くところだった。
「早く入ってこい」
アキオが声をかける。
黒紫色の髪の少女は彼を見た。
服を脱ぐと、ゆっくりかかり湯をして湯に入る。
歩いてアキオに近づいて来ると、彼の前で倒れるように湯につかり、身を寄せた。
「どうした」
「なんでもない」
「そうか――湯に入っても問題ないようだな」
「身体は大丈夫だ」
少女は小声で言う。
「身体はな」
しばらくすると、他の少女たちが、次々とコクーン内に入ってきた。
アキオと、彼にしなだれかかるシミュラを見ながら、さっさと服を脱ぎ、掛かり湯をする。
今回のメンバーに、ユイノのように裸を恥ずかしがる者はいないが、皆、ふたりを遠巻きに離れて湯につかった。
「身体に触れてやって」
ミーナに促され、シミュラの肩を抱いてやる。
「アキオ……わたしの身体は変ではないか」
「ないな」
実際に、こうやって触れてみても、他の人間とは何も変わらない。
体温も感触も普通の皮膚だ。
「そうか、変ではないか……」
そうつぶやくと、意を決したように彼から離れ、シミュラは少女たちに声をかけた。
「おぬしたち、ここに来よ」
ユスラを先頭に、少女たちが立ちあがって近づいてくる。
ふたりの前で立ち止まった。
全裸で湯けむりの中に立っているため、メナム石の薄明りの中でも、もはや、見える見えないという問題ではなかった。
しかし、ユスラ、ピアノ、キイの三人は、まったく恥ずかしがらないため、不思議といやらしさは感じられない。
健康的で美しい生き物がそこにいる、という感じだ。
ざば、とシミュラが立ち上がり、彼女たちの列に並んだ。
身長は、僅差で、キイ、ピアノ、シミュラ、ユスラの順となる。
「アキオ、どうだ」
問われて、アキオは皆を見た。
「みんな――綺麗だ」
シミュラ以外の少女の顔に微笑みが浮かぶ。
返事の遅れは、それがミーナに促された答えであることの証明だからだ。
「そ、そうか。違いは」
「無いな」
「おぬしたちもそう思うか」
聞かれて、ピアノが言う。
「姫さま、お綺麗です。わたしたちの皮膚とまるでかわりません――触らさせていただいても?」
「いいぞ」
「まあ」
腕に触れたピアノが声をあげた。
「しっとりとして、吸いつくような感じです」
「じゃあ、わたしも」
「失礼します」
キイとユスラも、それぞれシミュラに触れる。
「本当だ。これならアキオが一晩中離さないのもわかるね」
娘たちの会話を聞きながら、アキオは目を閉じた。
湯の温度と感触を楽しむ。
突然、湯の波が彼に当たり、誰かが身を寄せてきた。
全員が近くにいるので、ナノ・マシンでの判別はできない。
おそらくシミュラだと思って目を開けると、赤い瞳が彼を見つめていた。
「ピアノか」
「はい」
そのまま少女は胸に収まる。
「アキオ、ありがとう。姫さまを助けてくれて」
「成り行きだ」
「ふふ」
ピアノは可愛く笑い、
「わたしの時もそんなことを言いました。でも――」
ピアノは頬を胸に当てる。
「あの方は、わたしと同じ。いえ、もうひとりのわたしです。人としての姿を失い、もう二度と人の世に戻ることはないとあきらめていた。だから嬉しいのです」
「あの時、君は……おまえは危険だった。俺はもう少しで殺されるところだった」
「あの暗示による脳破壊を防がれたら、次にとる手だてはありません。わたしの完敗です。あなたに毒は効かないし。銀針がラピイに当たった時なんて、ひどく殴られて……あの時、わたしは、ほとんど死んでいました」
懐かしそうに話すふたりを見て、キイが呆れる。
「なにを抜け駆けして、アキオといちゃついてるのかと思ったら、話す内容は物騒きわまりないね。まったく、ピアノらしい」
そう言いつつ、傭兵もアキオの横に並んで腕をきつく締めあげた。
ユスラとシミュラは、笑顔のまま、何事かを熱心に話し合っている。
こうして、魔女にとって、初めての風呂の夜は更けていくのだった。
明日は、ジーナと合流だ、
連絡によると、ヴァイユとミストラも来るようなので、初めて全員が揃うことになりそうだった。