090.帰路
「明日からの予定ですが……」
ピアノが誰に言うともなく尋ねる。
「今日までに、義兄からの報告は、すべて受け取りました」
「マクスの件も一段落したしね」
「ジーナに帰りましょう。これをアキオに渡さないといけません」
ユスラは、テーブルに置かれた奇妙な形の物体を見ながら言った。
ドラッド・ダンクが受け渡そうとしていた、WBつまりドレキとそのケースの破片だ。
照明の落下で破壊され、床下に落ち込んだものを、ピアノが回収してきたのだ。
全部持ってこなかったのは、組織に疑われないためだ。
この程度の破片であれば、部屋の大破壊に紛れて無くなったと思ってくれるだろう。
「アキオは、これを調べたがっていましたから」
「そうだね。一日も早く渡した方がいいね」
「ミーナに連絡を取ってみましょう」
ユスラが、リストバンドに手を触れた。
「ミーナ」
「ああ、あなたたち、連絡が取れないから心配したのよ」
ディスプレイを使用せず、音声通話でミーナが応える。
「ごめんなさいね」
ユスラは素直に謝った。
「アキオとシミュラの濃厚すぎる会話を聞くのが――」
キイの言葉をピアノが遮る。
「というのは冗談です。実は、WBを手にいれるために出かけていました」
そう言って、今夜、起こった出来事を手際よく説明する。
この街に来てからの情報伝達は、ピアノの役割となっているのだった。
「そうだったの……」
ミーナはつぶやき、
「あなたたち――」
「姉さん、小言は、ジーナに戻ってから聞くよ」
「今は安全なの?あとをつけられたりしてない?」
「屋敷にいた者は――一時間は眠り続けるようにしておいたし、帰りは充分気をつけたから」
「大丈夫ですよ。ミーナ」
「今の話だと、路上で儀式をしたのでしょう」
「それも含めて、大丈夫です」
ピアノが断言する。
「これから眠って、明日の朝、出発する予定ですが、その間、通常の警戒に加えてビーコンも設置しておきましょう」
「分かったわ」
「それで、どんな計画で帰りましょう、ミーナ。このまま馬車で帰ると、ジーナに着くまでに、かなり時間がかかります。効率を考えれば、先に誰かがWBを持って戻り、残りの者が馬車で向かうというのが良いでしょう。途中でアキオと合流して、シミュラさまをお運びするという方法もあります」
「そのことなんだけど、ジーナの応急修理が完了したから、そっちに移動しようと思うの」
「聞いていた予定より早いですね」
「カマラとマクスが頑張ってくれたからよ」
「役に立つねぇ。その間、ユイノは何をしていたんだろうね」
「聞こえてるよ、キイ」
「聞いてると思ってたよ」
女傭兵は鈴を転がすような声で笑う。
「あたしは、帰ってくるアキオのために、部屋を掃除して可愛く飾ってたんだよ」
「はいはい。ついでに踊ってたんだろう」
「彼女はマクスの教育係をしてたの。大変だったみたいね」
「ああ、なるほど」
3人の少女は大きくうなずく。
「すまなかったね、ユイノ。わたしの目から見ても、女になったマクスは、ちょっとアレだったから」
「キイ、アレってなんだい。ボクは――」
「ボクがなおってないじゃないか」
「さあ、そこまでにして。それで話の続きだけど、人の目につかないためと、ニューメアに見つからないために、夜の間に低空飛行、低い高さを飛んで移動しようと思うの。目的地はシュテラ・ザルスとガブンの間、アイギス・ミサイルで馬車を改造した辺りね。もう少し道から離れた場所にするつもりだけど」
「わかりました。到着はいつですか」
「明日の夜に移動するつもりだから、明後日の朝には着く予定よ。詳細はまた伝えるわね」
ミーナは少し黙り、
「あ、ちょっと待って、アキオから連絡が入ったわ。シミュラを休ませたいから、あなたたちの馬車と合流したいそうよ」
「いいね。でも、なぜ、アキオが直接言ってこないんだい」
「シミュラが寝てるから、話し声で起こしたくないんでしょう。今のも文字通信よ」
「大事にされてるね」
「シミュラさまなら仕方がありません」
「そうですね」
「いい娘たちね」
ミーナの言葉に少女たちは笑顔になる。
「わたしたちは、朝7時にシュテラ・ザルスに向けて出発する予定なので、馬車の速度とアキオの現在位置から、どこで落ち合えばよいか教えてください」
ユスラの質問に、ただちにミーナが答えて、大まかな位置と座標を伝えた。
翌朝、予定どおりに街を出たユスラたちは、夕方近くに合流地点に辿りついた。
その間、心配した襲撃も受けない。魔獣も出なかった。
夕暮れが近づくにつれ、気温が下がり、肌寒くなっている。
目的地には、すでにアキオと、彼のコートに包まれて、首だけを出す黒紫色の髪の美少女が待っていた。
3人の娘たちが馬車から降りると、アキオがコートを広げる。
「よく来てくれた。キイ、ピアノ、ユスラ」
コートの中から現れた、タンクトップにミニ・スカートの少女が、明るく挨拶をする。
それに応えて、ユスラとピアノが優美なカーテシーを見せ、キイが背筋をまっすぐにして最敬礼を行った。
「おお、皆、美しいな」
そういって、シミュラもミニスカートでカーテシーを返す。
「アキオ、おぬしの記憶は少々不正確だな。本物の方が、ずっと美しいではないか」
「ありがとうございます。さあ、姫さま、中へどうぞ、お入りください」
ユスラに招かれ、シミュラが馬車に入ろうとして、
「しばし待て、先に挨拶したい者がいる」
そう言って馬車の前方へ歩く。
シミュラは、ケルビに近づき、そっと体に触れた。
「おぬしがラピイか。アキオはいつもお前のことを考えておるぞ」
しばらく小声で話しかけたのち、
「待たせたな」
そういって車内に入る。
「この馬車は、外から見るより、はるかに美しいな」
「地球の技術で作られておりますから」
「そうだな」
「あの、姫さま、ラピイに何を話されたのですか」
ピアノが尋ねる。
「乙女の秘密――」
そう言ってシミュラが笑い、
「うそだ。あれはアキオが本当に大切に思っておる者だからな。まず、わたしのような邪魔者がやってきたことを謝ったのだ。もちろん、おぬしたちにも謝らねばならん」
「姫さま」
誰よりも早くピアノが歩み寄って、シミュラの手を取る。
「よくぞおいでくださいました。皆、あなたをお待ちしていたのですよ」
「おお、ピアノ。ありがとう。おぬしの目は本当にきれいな赤色だな」
そういって、続いて手を重ねたキイを見る。
「おぬしは美の化身のように美しいな。しかも強いのがいい」
「光栄です」
最後にユスラを見る。
「王族の髪色より、その色の方が似合っておる」
「ありがとうございます――アキオと同じ色ですから」
「そうだな」
シミュラは、背後に黙って立つアキオを振り返る。
「おぬし、こんなに愛らしく美しい娘たちに囲まれているとは、男冥利に尽きるな」
「その通りだ」
アキオがまじめくさった顔で言う。
「それで、これからの予定は」
「ジーナとの合流地点までは、あと半日あまりで着けるでしょう。ですから、あと少し進んで一晩休んで、明日の昼過ぎに到着する予定です」
「わかった」
「ひさしぶりだから、今夜は風呂だね、主さま」
「え、でも、シミュラは大丈夫なの」
キイの言葉にミーナが驚く。
「身体の固定にも慣れてきたから、大丈夫だと思う。昨夜も朝までアキオを食べなかったし、湯に入っても溶けるようなことはないはずだ」
シミュラが笑った。