089.主従
「身体の具合はどうです。毒を打たれたように見えましたが」
人気のない庭を通り、ノランがこじ開けた門を抜けながら、ユスラが尋ねる。
「ご心配をおかけしました。もうすっかり元気です」
人気のない通りを、少女たちに少し遅れて歩きながらノランが答える。
すっかり言葉遣いが丁寧なものになっていた。
「どうやって、わたしたちを尾行けたのです」
「はい……バルトから馬車停までは、ふつうに離れて歩きました。その――姫さまたちのような美しい方が、3人もそろって通りを歩かれたら、見失いようがありませんので」
「気がつきませんでした。わたしの責任です」
「ピアノのせいじゃないよ。ノランは、昔から、体はデカいが尾行や隠密行動がやたらうまい変わった傭兵だったからね」
「なぜ、あなたはそんなに詳しいのです」
「言っただろう。マキイに聞いたからだよ。いろいろ知ってるよ。あんたのことはね」
傭兵は、絶世の美少女の砕けた口調に目を丸くする。
「酒場で酔って、どちらが大きいか賭けをして、あんたの方がマキイより1トクル(1.5センチ)背が低かったから、ギャンプシーと呼ばれているとか」
「そ、それは――」
「ふたりだけの秘密っていうんだろ。でも、わたしとマキイの間には秘密はないのさ」
「そう、そうですか……あいつも死ぬ前に、あなたみたいな人と知り合えたのか。一緒に――眠ってやりましたか」
今度は、キイが言葉につまる。
「あ、ああ」
「よかった。あいつは、ああ見えて――いや、あなたにはいう必要はないな」
「知っていたのかい。彼女が何を望んでいたのか」
「あいつが、見かけとは違い、中身が可愛い女だということなら知っていました」
「な、なんだい、そんなことはひと言もいわなかったじゃないか――といっていたよ、マキイが」
「ならば、なぜ彼女と一緒に眠ってあげなかったのです」
それまで黙っていたピアノが尋ねる。
「いや、それはないよ、ピアノ。こいつとは団も違うから遠征中も別行動が多かったし、兄妹みたいなもんだからね。なにより、ギャンプシーと一緒に寝たら、寝床がゴランの対決みたいになっちまう。それに、こいつはいつだって高嶺の花に夢中だったから――」
調子よく話していたキイが、ノランの表情に気がついて、しまったという顔になり、
「――とマキイがいってたよ」
「もう、あなたは黙った方がいいですね」
ピアノに言われてキイが苦笑する。
「わたしもお尋ねしたいことがあります」
今度はノランから話を切り出した。
「いいなさい」
ユスラが答える。
「さっきのあの騒ぎ、いったい、どのようにされたのです」
「簡単です」
振り返りながらそう言った少女は、
「もう少し前に来て並んで歩きなさい。後ろを向きながらでは話ができません」
「しかし……」
「許します。来なさい」
ノランが、ゆっくりと近づきユスラに並ぶ。
「照明と天井をつないだ鎖を切った、それだけです。そうすることで、男たちを気絶させ、床を破壊し、真下に置かれた箱と中身の一部を持ち帰ることができると考えました。もちろん、同時にあなたも救いだせると」
「あの巨大な照明を落とす――誰かが死ぬとは思われませんでしたか」
「思いません。鎖に亀裂が入った時点で、天井の破片が落ちたように偽装して、石のつぶてを使って、男たちを安全区域まで下がらせましたから」
「誰も殺すおつもりではなかったと」
「もちろんです」
「ああ」
ノランが感極まった声でつぶやき、さっと前に走り出すと、振り向いて、ユスラの前で膝をついた。
「何の真似です」
「もう一度、お願い申し上げます。どうか、わたくしをあなたの臣下に」
「無理です」
「お願いします。あなた様の知略、王たる優しさと寛容さ。わたしの主はあなたさま以外にはおられません」
「わたしもアキオの前で、あんな感じだったのかね」
キイがつぶやく。
ユスラは、返事をしない。
ただ、黙って傭兵を見つめている。
張り詰めた表情のまま、黒髪の美少女は問うた。
「ノラン・ジュード。あなたに尋ねます」
「はい」
「わたしの計算では、あなたも充分に安全な場所に退避できるはずでした。しかし、実際はそうではなかった。あなたが、咄嗟に男たちの何人かを突き飛ばして助けようとしたからです。なぜですか。彼らは敵です。あのままだと、おそらくあなたを殺したでしょう」
虚を突かれたように傭兵は黙り込み、悪戯をとがめられた子供のように鼻をかいきながら言った。
「別に、あいつらも、あんな場所で死ぬ必要はないと思ったんです」
「敵であっても」
「傭兵が妙なことをいうとお思いでしょうが、無駄に死んでいい命はないでしょう」
ユスラは、ふっと息を吐くと、軽く微笑んだ。
やれやれ、とも、しようのない子供だ、ともとれる慈愛のこもった表情だ。
同性であるピアノやキイですら、ひき込まれそうな高貴で美しい笑顔だった。
「ノラン・ジュード。帯剣してますね」
「はい」
「お渡しなさい」
傭兵は、大剣をユスラに渡す。
「このような時と場所ですから、略式で行います」
そういって、王としての言葉を紡ぎ、剣をノランの肩に当てる。
見守るものの少ない、静かな儀式だった。
だが、キイとピアノは感銘を受けていた。
誰も人のいない寂れた通りで、遠くに光る薄暗いメナム石の明かりと、月無き満点の星明りの下、美しい姫と、その足元に額ずく偉丈夫の騎士――
それはあたかも、古の叙事詩の一幕であるかのような、美しくも厳粛な光景だった。
キン、という澄んだ音を立てて、剣を鞘に収めるとユスラは言った。
「立ちなさい」
傭兵は立ち上がって剣を受け取った。
「これで、おまえはわたしの騎士となりました」
「はい」
「しかし、わたしは、いますぐおまえを家臣として連れ歩くことはできません。ひとりでやるべきことが数多くあるのです。ですから、おまえはこれまで通り、この街の傭兵として国と民を守りなさい」
「しかし姫さま」
「案ずることはありません。もう、おまえとわたしは主と従としてつながったのです。たとえ離れていても、どこにいても、おまえはわたしの家臣です。そして、もし、おまえが必要になったら、わたしは必ずおまえを呼びます。その時には、ただちに駆けつけ、わたしを助けなさい」
「承知いたしました。このノラン・ジュード、その際には、アラントのどこにいようとも、どんな場合であろうとも、たとえ鎧破れ剣錆び、路銀使い果たそうともザルドに鞭打って駆けつけます。それまでは、民を守る一振りの剣としてこの身を捧げるつもりです」
ユスラは、ほっと笑う。
「あなたはどこに行くつもりですか。鎧と剣はつねに手入れしておきなさい。それにザルドは鞭打って走らせるものではありませんよ」
「は、心がけます」
「あれでよかったのかねぇ」
キイがため息をつくように言った。
ノランに送られて馬車に戻った少女たちは、メインテーブルについて銘銘お茶を飲んでいる。
帰りの道すがら、夜間外出禁止令のために、なんどか衛士に誰何されたが、ノランの姿をみると全員が最敬礼をして去っていった。
ユスラに従って歩く巨大な傭兵は、傍目でみても凄まじい高揚感を発散させていた。
「では、これで、しばらく会えなくなると思いますが、堅固にお暮しなさい」
馬車停の入口で、ユスラはノランに微笑んだ。
「ありがとうございます。姫さまのお志に沿うよう、日々精進いたします」
「ほどほどにしなさい――」
そう言って、傭兵のただ一人の王は、馬車に消えて行った。
ノランは、しばらく馬車をつめていたが、やがて胸元からロケットを取り出した。
傭兵仲間から、女みたいな奴、とさんざん揶揄われながらも、肌身離さず身に着けてきたものだ。
パチリと音を立てて蓋を開く。
そこには、小さいながらも精密な肖像画が収められていた。
描かれているのは、かつて祖父が命を賭して守り抜いた王女イグナスだった。
髪の色こそ違うが、その顔は、驚くほど彼が忠誠を誓った少女に似ている。
彼の主は、なにも言わなかった、だから彼も聞かなかった。
いずれ時がくれば、彼女は教えてくれるだろう。
今、何も言わないのは、その必要がないからに違いない。
桁外れに知略に優れた王なのだ。
肖像画を見、馬車を見、星を見上げた傭兵は、踵を返して通りを歩き始めた。
「あれは、その性愚直にして剛毅なる者です。わたしが傍に居らずとも、道を外れることはないでしょう。キイの認める盟友でもあったのですから」
心配そうにする金髪碧眼の美少女にユスラは穏やかな声をかける。
同時に、彼女は、キイから教えられた、ノランの祖父が守ったという少女が、彼女の大伯母である王女イグナスであることを確信していた。
彼女の祖父が、計略を用いて王都から追放した姉だ。
隠すようにして残された、小品の肖像画に描かれた大伯母は、ユスラによく似ていた。
彼女の腹違いの妹である現女王は祖父に似ている。
彼は祖父が好きではなかった。
卑劣な祖父の像が、この街では英雄として尊敬されているのが納得できなかった。
「嵐のような男でしたね」
ピアノが言う。
「あのひたむきな強引さ。わたしたちにも必要かもしれません」
「ピアノさまは、もうお持ちではありませんか」
「え」
「確か、これからのわたしの行動を見てくれ、でしたか」
「おやおや」
常に冷静な少女が、珍しくその頬を彼女の眼と同じぐらい赤く染めるのを見てキイが声を上げた。
「まあ、わたしもアキオの押しかけ傭兵だから、大きなことはいえないけどね」
そう言って、ノランと同じように鼻をかく。
「でもノラン、なんだか中身が詰まったというか、重みが増した感じだったね。今までも、あいつは強かったけど、どこか危ういところがあったんだ。それが無くなったように思うよ」
「何か、大きなことを成し遂げるかもしれませんね」
少女たちの言葉に、ユスラはただ微笑んだだけだった。
この後、辺境地域へ旅立ったノラン・ジュードが、時を置かずして、こぞって吟遊詩人に謳われる英雄となることを、彼女たちはまだ知らなかった。