087.跪拝
「姫さま」
膝をつく、というより跪拝するといった方がふさわしい様子で頭を垂れた傭兵が言った。
「わたしは姫ではありません。ただのユスラ。ユスラ・ラミリスです」
そのやり取りを聞いて、キイは密かにため息をついた。
バルトにいたころから、なんとなく、これらの流れが見えていたからだ。
ノランは仕えるに値する王を渇望していた。
そして、キイの眼から見ても、ユスラにはその資格と価値がある。
もし彼女に仕えたなら、決してノランは失望することはないだろう。
ただひとつの問題は、ユスラの望みが、優秀な家臣を得て王となることではなく、ただ一人の男のために役立ちたい、と考えていることだ。
彼女は、王になり、それを演じ切ることはできるだろうが、それは彼女の幸せではない。
それはわかる。
彼のただ一人の傭兵として、キイの考えていることと同じだから。
「ユスラさま――いい名前だ」
「ありがとう。わたしもそう思います」
「姫――ユスラさま、なにとぞ、このノラン・ジュードの願いをお聞き届けください」
「なんでしょう」
「わたしをあなたさまの家臣にお加えください。騎士として」
「できません」
「即答だね」
「王族らしい、斟酌のない良い返事です」
そう言い残してピアノは倒れた男たちに近づいて調べ始める。
キイは、思いつめたノランの顔を見た。
そもそも、ユスラが、今現在どのような境遇にあるのかさえ確かめずに、家臣の名乗りをあげようとするのがおかしいのだ。
おかしいが彼は真剣だ。
もし、ユスラに家臣がいなければ、自分が最初の一人になって組織を大きくし、彼女のために、王としての地位を勝ち取る、ぐらいのことは考えかねない。
ノランには相応の力もある。
そこまで飛躍せずとも、どんな境遇にある方でも、まずはお仕したい、と考えているのだろう。
その辺は、ただ一人の傭兵団としてアキオに仕えるキイも、人のことはいえないが。
「ユスラさま」
「あきらめるんだ。ノラン」
なおも言い募ろうとする傭兵の前に立ち、キイが声をかける。
「彼女は家臣を必要としていない」
気絶した男たちを調べていたピアノが戻ってきた。
キイたちを見てうなずく。
「お立ちなさい」
ユスラが命じると、ノランはゆっくりと立ち上がった。
「では、いきましょう」
胸に手を当て、じっと見つめる傭兵の視線を感じながら、少女たちは、馬車停に向かって歩き出す。
「感心なことについて来ませんね」
振り返らずにピアノが言う。
「無理についてくるようなら、石を投げて追い払わねばならないところでした」
「ピアノさま……」
「冗談です、姫さま。あなたが、あえて冷たく振舞われたのは分かっています。あれでよいのです。長引けば傷が深くなります」
「そうですよ、姫さま。ノランは大丈夫だ」
「そうだと良いのですが。あの者、かなり思いつめた顔をしていましたから」
ユスラが、少し沈んだ面持ちで言った。
「なぜ、あの者は時代遅れの騎士に憧れるのでしょう」
キイは手短に、ノランの祖父について語る。
「そうでしたか」
少女は心なしか沈んだ声で言う。
「でも、なんだか少し、うらやましい」
「臣下になりたいといわれたいの?キイ」
ピアノが少し驚く。
「い、いや、そうじゃないよ。あいつ……姫さまの名前を褒めただろ。考えてみると、ふたりともアキオに名前をつけてもらってるんだ」
「ええ、そうです」
黒髪の美少女の表情が、ぱっと花開いたように明るくなった。
可憐な笑顔を見せ、頬が染まる。
「まあ!」
ピアノとキイが驚いて同時に声をあげた。
ユスラが今まで全身にまとっていた威厳が一瞬で霧散し、年齢相応の愛らしい少女へと変貌を遂げたからだ。
「あの時は、まじめな顔を保つのに苦労しました。地球の樹に因んで、アキオがつけてくれた名を褒めてくれたのですから」
3人はしばらく無言で歩いていたが、
「それで、あいつらは何者かわかったのかい、ピアノ」
キイが尋ねる。
「おそらく西の国の手の者です。口を割らせることはできませんでしたが、彼らの一人が、こんなものを持っていました」
そういって、石を削って作った小さなガルの像を取り出す。
「それは……」
「ハセイ岩です。西の国の特産物ですね」
「そうか……西のやつらか」
「それで、どうされます?今夜の予定は」
「決行するつもりです。あなたたちの考えは?」
「西の国には狙われましたが、それをもって、今夜の計画を取りやめる必要はないと思われます」
「わかりました。では予定どおりに」
少女たちのいう『今夜の予定』とは、イニシエーション用のWB、彼女たちの世界ではドレキと呼ばれる、魔法使いを生み出す物質の取引現場に出かけることだった。
通常、イニシエーションは、魔法使いの家庭内か養成所のような専門の組織内で行われる。
その際に、ドレキは、儀式の直前にドラッド・サンクと呼ばれる秘密結社によって運び込まれるのだ。
ドレキは結社によって厳密に管理されていて、ドラッド・サンク以外から手に入れることはできない。
数百年続く組織でありながら、その全容は謎に包まれていた。
王族であるユスラや内部調査部の人間であったピアノにも真実はわからないのだ。
おそらく超国家の組織で、活動範囲は多国間にまたがるのだろう。
先日、メルヴィルと会った時に、話のついでにその話題がでて、今日の深夜0時にドラッド・サンクの集会が、とある倉庫で行われることを知ったのだ。
その場で、運ばれてきたWBがシュテラ・ナマドの機関に受け渡されるのだという。
かねてよりアキオが、WBについて知りたいと言っていたので、少女たちは、この機会に少しでも情報を得ようと、今回の潜入を決めたのだった。
アキオやミーナが知ったら、止めるであろうことはわかっているので、知らせずにいくつもりだ。
馬車に戻り、全員が服を着替えた。
動きやすい短いスカート丈の服装の上に、細身のナノ・コートを身に着ける。
首の黒いチョーカー、腕で鈍く光るバングルと相まって、なかなかスタイリッシュだ。
キイの青、ユスラの桜、ピアノの灰と、いずれも美しい色なのだが、夜間迷彩のために全員が黒にカムフラージュする。
「黒のコートも素敵ですね、姫さま。黒い髪に黒いコート、アキオみたいです」
「ユスラさまとキイは、髪の色が鮮やかですから、フードを出して被らないとなりませんね」
用意がととのった三人は、ナノ身体強化して馬車から出た。
集会が行われるのは、街南部のロスト地区だ。
少女たちは、街の中央寄りにある馬車停から、南へ向けて素晴らしい速さで走り出す。
もうすぐ、夜間外出禁止の時間帯だ。
夜も更けて、通りに人影は少なくなっていたが、まだ何人か歩行者はいる。
先頭を走るピアノが、人目につかないように通りを選んで走り抜けて行く。
ロスト地区は、治安のあまりよくない住宅地だ。
その中に、ひときわ大きい建物があった。
メルヴィルによると、20年前から空き家となり、そのままずっと放置され続けている邸宅だ。
高い塀に囲まれている。
「あれですね」
「時間は」
少女たちは、リストバンドでそれぞれ時刻を確認した。
「あと少しで始まりますね」
「夜中に受け渡しをするというのが怪しいですね」
「ええ、見つからないように、静かに入り込みましょう」
そう言って、ピアノが音もなくジャンプし、優美に回転しながら塀の上に降り立った。
「さすがに見事だね。でも、コートの下のスカートは短いから、下着が見えてしまうかも」
「ですから、ピアノさまに教えてもらって黒の下着に履き替えてきました」
「く、黒ですか、お姫さま」
キイが驚く。
「ええ、夜間迷彩ですね。初めて履きましたが、これはこれでよいものです。黒を喜ぶ殿方もおられるとか」
「は、はあ……ピアノはまったく何を教えているんだか……」
そもそも、アキオは下着の色になど関心がありません、とも言えず、少女は黙って首を振る。
「違うのですか」
「人それぞれでしょう。清楚な白を好むものも多いかと……ともかくですね、姫さま、さっきは、ああ申しましたが、スカートで跳んだり蹴ったりするときは、下着など気にする必要はありません」
「なぜです」
キイは、なぜ早くこないのだろう、と不審顔になっているピアノに合図をすると、さっとジャンプし、目にもとまらぬ速さで回転して少女の隣に着地した。
ユスラがそれに続く。
「見えましたか?わたしは白です」
「先ほどから、あなたがたは何をおっしゃっているのです」
「なるほど、見えないほどの速さで動けば、下着を気にする必要はないということですね」
「そういうことです」
「意見が一致したようですので、進んでよろしいですか」
ピアノが冷静な表情に戻って言う。
「行きましょう」