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086.憧憬

 キイだけが、声のした方向を、ちらと見た。

 あとのふたりは、何も聞こえていないかのように食事を続けている。


 声を発したのは無精ひげをはやした傭兵だった。

 大きな男だ。

 体重は、ピアノたちの3倍ちかくはあるだろう。

 並みの少女なら、そばに立たれるだけで恐怖を感じるはずだ。


「おい、聞こえていないのか」

 男は、ユスラの肩に手を置こうとした。

 その手が、寸前で止まる。

 素早く立ちあがったキイが、男の手首をつかんだからだ。


「あんたもきれいだが……俺はこの黒髪のがいい」

 そう言いながら、男がキイの手を振りほどこうとする。

 だが――

 はじめ、怪訝(けげん)な顔をした男の表情が、徐々に困惑の色に染まっていく。

 小柄な美少女につかまれた手がビクともしないからだ。

 それも当然だ。

 男の体重は、ピアノやユスラのおよそ3倍だが、キイとは、ほぼ同じなのだ。

 加えて、彼女の力はゴラン並みだ。


「酔ってるのか、ノラン・ジュード」

 少女が悲し気な声を出す。

「なぜ、俺の名を知っている」

「わたしはマキイの知り合いだ」

「マキイの……」

「女の尻を追いかけては、手ひどくフラれる傭兵だそうだな」

 そう言いながら、キイは手首をひねりあげた。

「い、痛たたたた」

 男は腕が折れないように身をひねってうずくまる。

「怪我をさせてはいけませんよ」

 ユスラが食事の手を止めて言った。

「はい」


 キイが手を離すと、ノランは腕をさすりながら立ち上がる。


「それに、この者は、空いた手足で攻撃を加えようとはしませんでした。あなたと力比べをしていたのです。ある意味、実直な戦士なのでしょう」

 ユスラが威厳を込めた声音こわねで言う。

 彼女がアキオと話す甘い声を知っているふたりにとって、同じ人間から出る声とは思えない変わりようだ。


「なんて美しい声だ……」

 ノランが陶然とうぜんとした表情でつぶやく。

 ユスラと目が合った途端、傭兵の身体が電撃に撃たれたように硬直した。

 もはや目の前に立つキイなど眼中にないようだ。


「しかし、声の掛け方がいけません。無作法です。ノランといいましたね。今後は、ところと場所を考えて、作法にのっとって話しかけなさい」

「姫さま。さすがに、こんな店で作法なんて……」

 キイが小声でつぶやくが、ノランには、そんな言葉は耳に入っていないようだった。

「申し訳ありません」

 そう言って、妙に元気をなくし、土下座せんばかりにこうべを垂れて、自分のテーブルに引き下がっていく。


「キイ、あなたの見立ては確かですね。本当においしい料理でした」

 食事を終えたユスラがキイに礼を言う。

「ありがとうございます」

「ところで、さっきの男ですが」

「ああ、ノラン・ジュード、傭兵です。わたしのいた銀の団よりひとつ上位の4等傭兵団(テトリア)に属するやじりの団の百人長で、何度か合同でゴラン退治をし、手合わせもしたことがあります」

「先ほどのあなたの言葉からすると、あの男は女癖が悪いのですか」

 ピアノが尋ねる。

「あ、いや、そうじゃない。なんというか……奴は女の望みが高すぎてね。いつも無謀な相手を好きになっては玉砕(ぎょくさい)し、酒場で暴れるという繰り返しなのさ。女がらみでなければ、気性もさっぱりしていて、姫さまが見抜かれたように戦士としては一流なんだが……」

「今夜も荒れていたようです」

「また、女にフラれたのではないですか」

「そうですね。まあ、注意をしたので、今後は気をつけるでしょう」

 ユスラは当然のように言う。

「それは……どうでしょう。わたしには、どうも逆効果だったように思えるのですが」

 キイはどこか心配顔だ。


 その後、三人は、銀の月を出て目抜き通りへ戻った。

 通りを歩きながら、いろいろな店をひやかして歩く。

 道行く人々は、男も女も、子供ですら、見たこともないほど美しい少女たちの、後姿(うしろすがた)を目で追っていた。


「こんなふうに、街を楽しむのはひさしぶりだね」

 キイが目を輝かせる。

「夜の街を歩くのは初めてです」

「アキオと歩かれたのは昼でしたからね」

「そうです。あの時は夢のように楽しかったのですが、あなたたちと歩くと、また別な楽しさがありますね」

「光栄です……あ、姫さま、少し道をれます。こちらへ」


 キイがピアノと目配めくばせを交わして、目抜き通りを折れて細い路地に入った。

 まだ人通りは多い。

 三人は、足早に路地を抜け、隣の通りに出た。


 そこで、十人あまりの男たちに囲まれる。

 襲撃だ。

 ふたりの少女は、いち早くその気配を察し、人通りの少ない場所へ移動しようとしていたのだ。


 男たちは、無言で少女たちに襲いかかった。

「こんなに人の多い場所で襲うなんて……」

 前に走り出たキイとピアノの背後でユスラが呆れる。


「さて、どうしましょう――」

 人目があるため、表立った反撃をせず、かわすだけで攻撃をしのいでいるピアノとキイを見て、ユスラがつぶやいた。

 アキオに迷惑をかけてはいけないので、あまり目立った行動はとりたくはない。


 襲撃者は13人。 

 その気になれば、身体強化とアキオが持たせてくれた護身道具を使って、数秒で無力化できる人数だ。


「姫さま、いましばらくお待ちを」

 キイが男の斬撃ざんげきを避けながら言った。


「あ」

 背後から忍びよった男に、ユスラが腕をつかまれる。

「しかたがありませんね、反撃を――」

 表情を変えずに言う少女の言葉が途中で止まった。


 彼女の手をつかんでいた男が、いきなり通りの端まで吹っ飛んだからだ。


「汚い手で、この女性ひとの身体に触るんじゃない」


 威勢のいい啖呵たんかとともに、ユスラを背に回して大剣を構えるのは、傭兵ノラン・ジュードだった。


「やっと出てきたのかい」

「遅いですね」

 キイとピアノがやれやれと安心する。

 バルトを出て以来、ノランがずっと後をつけていたのはわかっていた。


 傭兵は強かった。

 少女を取り囲む男たちを、鞘に入ったままの剣を振りまわして次々と戦闘不能にしていく。

 そのうちの何人かは、ピアノの銀針とキイのニードルワンドで秘密裏に意識を刈り取られた。


 しばらくすると、襲撃者で立っているものはいなくなった。


 傭兵は息を整えると、

「大丈夫かい」

 ユスラに声をかける。

「いったい、なんでこんな奴らに――」

 黒髪の美少女は傭兵の言葉をさえぎって言う。

「ノランと申しましたね。礼をいいます」

「あ、ああ」

「理由は分からないのですが、わたしたちは、なぜか恨みを買っているようで、時折、このようなものに襲われるのです」

「うう」

 男たちの一人が、うめきながら、起き上がろうとする。

「起きるんじゃない!」

「待ちなさい」

 ノランが男の(えり)をつかみ上げ、殴ろうとするのをユスラが制した。

「もう戦意はありません、意識も再びなくなるでしょう。そのような者に手をあげることは許しません」

 普段のふわりとした言い方ではなく、(りん)とした口調だった。

 それは、大きな声でも、きつい声音こわねでもなかった。

 だが――

「はっ」

 反射的にノランは地面に膝をついた。

 深くこうべを垂れる


「申し訳ありません」

 そう言いながら、彼は体が打ち震えるのを止めることができなかった。


「この方は、王だ」


 彼は確信する。

 髪は王族の色である薄桃色ではないが、少女の言葉、ひと言ひとことに、常人では発することのできない重みと威厳が込められていたからだ。

 そして、彼女の顔は……



 ノラン・ジュードは傭兵である。

 それ以上でもそれ以下でもない、のではなく、それ以外ありえない傭兵そのものの男だった。


 見かけ上は――


 彼の父は2等傭兵団(ジトリア)所属の傭兵だった。

 母も傭兵だった。

 祖父は、先々代の王に仕える近衛兵(このえへい)であったが、とある事情でに下り、彼が生まれる頃には3等傭兵団(トトリア)の傭兵となっていた。


 ノランは、幼少時代より、その祖父に剣の稽古をつけられて育った。

 早熟で体も大きかったため、14の(とし)には、大人でさえ彼を打ち負かすものはいなくなっていた。

 この辺の経歴は、マキイの子供時代と似ている。


 だが、彼は、人と斬りあい、殴り合うことに喜びを見いだせなかった。

 彼の精神の本質は、破壊ではなく守ることにあったからだ。

 ノランには、仲間たちが、まるで楽しむように物や人を破壊しているのが不思議だった。

 彼にとって、守ることの高揚感(こうようかん)に比べれば、破壊など胸が寒くなるだけの無駄な行為に他ならなかった。


 密かな彼の理想は、子供の頃から祖父に聞かされ続けた、今はなき騎士(リタア)として生を(まっとう)うすることだった。

 金で雇われる傭兵全盛のこの世界にも、かつては騎士(リタア)騎士道(リタリア)といったものがあったのだ。


 彼の祖父は、王位を争って破れた姫に従い、王都シルバラッドを落ちのびた。

 最後の騎士と呼ばれた男を師匠に持つ祖父は、数年にわたって少女姫を守って国を放浪したのち、大人になった彼女が、とある職人の男と恋に落ち、家庭を持つのを見届けて故郷に戻ってきた。


 少女姫を守って日々追手(おって)と戦い、旅を続けた祖父の話は、ノランの心に深く染みこんで、彼の思考の根本原理となった。

 いつか、仕えるべき価値のあるあるじと出会い、自身の力を思う存分(ふる)う、それが彼の生涯の夢となったのだ。


 だが、長ずるにしたがって、彼は絶望を感じるようになっていった。

 現在いまのサンクトレイカには、仕えるに足る王はおらず、貴族も自身の地位をひけらかすか、今ある地位にしがみついて汲汲(きゅうきゅう)としながら日々暮らす、低俗なものばかりだったからだ。


 そこで、彼は目標を修正した。

 ひとりの女を愛し、その女性(ひと)のために、命をかけてくそうと考えたのだ。

 王がいなければ作ればよい。

 だが、現実はそう単純ではなかった。

 ()()()()()()()()()()()()女など、皆無だったからだ。

 しかし、彼はあきらめなかった。


 これは、と思う女たちに何度も声をかけ、そのすべてに手ひどく断られた。


「あんた、もうあきらめた方がいいんじゃないか」

 フラれるたびに酒に(おぼ)れる彼をいさめたのは、同僚ではなく、他の傭兵団のエースのマキイ・ゼロッタだった。

 彼に匹敵するほどの体格と技量をもつ女傭兵とは、なんども模擬戦(もぎせん)で手合わせをし、いつしか心情を漏らせるほどの仲になっていた。

 身体は女ではあるものの、そのたくましい容姿とさっぱりとした性格のマキイに対して、彼は、女に対する見栄みえも男に対する虚栄きょえいも取り払って、思うがままを話せたのだ。


「あんたの求めるような王様も女も、この世界にはいやしないよ」

「いや、いるはずだ。お前なんかは、けっこうそれに近いはずなんだが……」

「よしてくれ」

「いや、お前じゃだめだ。容姿じゃないぞ。そう、お前は()()()()がない」

 そういって呵々(かか)と笑い、すぐに、しんみりとした表情になって続ける。

「絶対に見つけるんだ。見つけないと、俺が生まれてきた意味がない。全身全霊で仕えるべきあるじを……」


 そして、今夜、ついに彼は仕えるべき、仕えるに足る王と出会った。

 出会えたのだった。

 

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