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083.不安

「うまく飲み込めているようだ」

 焚火の前でムサカを食べながら、アキオが言った。

「ああ、蠕動ぜんどう運動というのか、あれを習得(しゅうとく)するのは難儀なんぎであったが、一度できるようになると、どうということはないな。あの者たちは教え方が上手だ」

 シミュラは、串に刺したムサカの焼き肉を次々と(しょく)しながら答える。

 口を開くたび、短いながらも牙がのぞく。


 シミュラがいうには、身体の形態維持(けいたいいじ)も、その動かしかたも、一度習得すると再現は容易らしい。

 もしかすると脳の構造も、高濃度PSの影響を受けて変化しているのかもしれない。


「手足も思い通りに動かせているようだ」

「動かすのは簡単だ。どちらかと言えば、人間では動かない範囲まで動かせてしまうから、それを制限するのが難しいな」

 そう言って、腕をあり得ない角度まで曲げて見せる。

「意識していれば慣れるだろう」

「カマラもそういっておった」

「その髪はどうなっている」

 アキオは、出かけるまで一本も生えていなかった黒紫色の髪が、豊かに顔を縁どり腰のあたりまで伸びているのを見て尋ねた。

「これも、意識を集中させて細胞を変化へんげさせておる。長さも自在だぞ」

 そういうと、たちまち髪は短くなり、肩口で切りそろえた形になった。

「まあ、あまり細い髪の毛を作るのは難しいので、毛をある程度まとめた形で作り出して、全体として髪の毛らしくしているのだがな」

「牙はどうした。もともと人間であるお前に牙などないはずだ」

「うむ、確かに。だが、おぬしは牙が好きだろう?だから生やしたのだ。なに、人前に出るときは短くするさ。いわば、おぬし専用の牙だな」

「そうか」

 別に自分専用の牙などいらない、とも言えず、アキオはうなずく。


 シミュラは、最後のムサカを食べ終わると、串を焚火に投げ込んで言った。

「何にせよ、今日は疲れた。そろそろ寝たい」

「疲れているなら、近くのシュテラまで行って宿をとるか」

「いや、変化へんげを固定して今は安定しているが、夜寝てしまうとどうなるかはわからぬ。しばらく人目のないところにいた方が安全だろう」

 そういって魔女は空を仰ぎ、

今宵こよいは天気がよい。新月ゆえ、叔母おばの月、母の月、そして子の月は出ていないが、かわりに星が降るように美しい。だから、もうひと晩ここでおぬしに抱かれて眠りたい」

 エストラでは、月の名前が、叔母、母、子となるらしい。

「そうしよう」

 アキオは応えた。

 わざわざ街に出向いて、シミュラの耳にエストラ王国の余計な話をいれる必要もないだろう。


「明日は、お前をつれてジーナに帰るつもりだ」

「カマラたちのいるところだな」

「そうだ。そこで、お前の身体を調べさせてもらいたい。いいか」

 アキオは許可を求めた。

「もちろんだ。おぬしが身体を欲しがって、それにわたしが応えたのだからな。それに、おぬしは命の親だ。だからわたしの細胞の一片までおぬしのものだ。そもそも懸想けそうする相手から身体を求められたら、女は黙って差し出すものだろう」

「――そうか」

 いろいろと誤解を解くのも面倒なので、彼はただ、そう言った。


 ふと、アーム・バンドのディスプレイに目を止めて苦笑する。

 凄まじい勢いで文字が流れていたからだ。


 食事を始める前後から、少女たちの会話がかしましいので音声を切っておいた。

 話される言葉は、音声認識させて文字記録ログを残すようにしてある。

 こちらの音声は聞こえているはずなので、アキオたちの会話を耳にして、少女たちが奔流のように勢いよく会話を交わし合っているのだろう。


 昨夜と同じように、ライフルをガード・モードにして設置した。

 巨木の下で、シミュラを胸に抱くとコートで包んで横になる。

「アキオ」

 コートの中で少女が顔を上げた。

 目を閉じて唇を向ける。

 彼はしばらく逡巡しゅんじゅんしたのち、シミュラの身体を持ち上げると軽く口づけた。


「今日はおとなしいな」

 夕方までの積極さが影を潜めた魔女の頭をポンポンたたく。

「なんだか怖くなってきたのだ」

「怖い」

「長らくわたしは魔女だった。分身をあやつって、キャラバンから男をさらい、幻の世界で女として振る舞う。魔女ならば当然のことだ。だが――」

 シミュラの声が震える。

「こうやって、いざ身体からだを得て、見せかけだけでも人間のようになってしまうとな……わたし自身が、自分の異様さに恐ろしくなったのだ。中身は……怪物だからな。こうするのも――」

 そういって、今度は自分から口づける。

「おぬしが嫌がるのではないかと」

「最初からおまえは人間だ」

 そう言いながら、アキオは指でシミュラの牙に触れる。

「おぬし、やっぱり牙が好きなのだな」

「どうかな」

「アキオ、わたしは人間か、魔女か、怪物か」

「さあ、俺には人間にしか見えないが、違うのか」

「人間が――」

 そういって、シミュラはアキオの手を握る。

 一瞬でその手が広がって、彼の手を包み込んだ。

「こんなことができるか」

 少女は真剣な顔で言う。

 泣きだしそうな顔だ。

「暖かいな。お前の体は」

 アキオがシミュラの頭を押さえて、胸に押しつけながら言う。

「アキオ、分かっておる。おぬしにとって、身体が定まろうが変化しようが大したことではないことは……おそらく人間でなくてもおぬしの態度は変わらないだろう。あの足を無くして死んだ……()()のように」

「シミュラ」

「なんだ」

「もしお前が、完全にふつうの人間に戻りたいなら手を貸そう。時間はかかるかもしれないが、必ず方法はある」

 本来、ナノ・マシンが正常に動けば、さほど問題もなく、人間の身体に戻せるはずなのだ。

「だが、おぬしは、魔女としてのわたしの身体が必要なのだろう。人間にはなりたいが、それは後でもよい。その前に、わたしの身体を好きに調べよ。この身はお前のものなのだから」

「自分を軽く扱うな。お前の身体は――」

 お前自身のものだ、と言いかけて、今のシミュラが欲しがっている言葉は、それではないことに気づいて言いかえる。

「俺のものだ。だから大切にしろ。俺が人間に戻してやる」

「ああ、わかった、おぬしが救い出してくれたこの身、決して無下むげには扱わぬ」

 そういって、ひた、とアキオの胸に身を預け、

「不思議だな――」

 子供のように無防備な声を出す。

「なにがだ」

 アキオは、シミュラの頭を撫でながら言った。

「100年の時を生き、自分より年上の者などおらぬと……二度と子供のような振る舞いのできる相手などいないと思っておったのに……わたしは、おぬしと出会えた、出会ってしまった」

「迷惑だったか」

「そんなわけがなかろう。嬉しい、嬉しいのだ。天に浮かぶ3つの女月(めづき)にかけて誓おう。わたしは命尽きるまで、おぬしと共にあると。だから……」

 突然、少女の言葉が不明瞭になる。

「離さないで……一緒にいて……独りはもう……」

 アキオは、言葉を途切らせたシミュラの顔を見る。


 魔女は、いや、かつて魔女であった少女は、あどけない寝顔で眠りに落ちていた。

 一日をかけて精神集中し続けた疲れが出たのだろう。


 彼は少女の頬を指で軽く(つつ)いた。

 眠りに落ちても、彼女自身が心配したように、いきなり姿が変わることはなさそうだ。


 アキオは微笑むと、そのままシミュラが完全に眠るまで、普通とは少し感触の違う髪の毛を撫で続けるのだった。

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