082.鶯舌
翌朝、アキオは強烈な空腹感で目が覚めた。
眼を開けると妙に視界が悪い。
胸元をみると、シミュラの身体が触れている部分から、煙のようなものが立ち上っていた。
視界が悪いのはこれが原因だ。
「シミュラ」
アキオは魔女の身体を揺さぶった。
シミュラが両目を開いて彼を見上げる。
口は小さな弓形でなぜか両側から短い牙が見えていた。
顔のパーツはそれだけだが、シミュラクラ現象によって、その三つの部品だけで人の顔に見えるから不思議だ。
「起きたか」
アキオが黒紫色の瞳に向かって話しかけると、シミュラの頭部から触手が伸び、アキオの額に触れる。
〈おはよう、アキオ。朝だな。起きるのか〉
頭の中に直接彼女の声が響いた。
「起きよう。だが、その前に身体を食べるのをやめてくれ」
〈おお!〉
寝ている間に、アキオは、体のかなりの部分をシミュラに侵食されていたのだった。
〈すまぬ。痛かったか〉
「痛みはどうということはないが、失った分だけ腹が減る」
〈申し訳ない。寝ている間に良い気分になって、知らぬ間に食しておった〉
そう言いながら、シミュラが体を起こす。
アキオのシャツの前がはだけていた。
夜の間に魔女がやったらしい。
「まだ声はでないな。食事はどうだ。口からとれるのか」
〈おそらく……無理だな〉
「そうか」
アキオはシミュラに断ると、レーションを取り出して食べ始める。
時折、背中の戦闘用ナノマシン・パックに着けた水筒から水を飲む。
これは、ただの水筒ではない。
空中の水蒸気を集めて浄水を作る道具だ。
ふと考えて、シミュラの手を取り、掌の上にレーションを乗せてやると、予想どおり、あっという間に体内に吸収された。
水も同様だ。
〈なるほど、こうやって栄養をとればよいのだな。簡単だ〉
「今だけだ。今日中にちゃんと口から食事できるようになれ」
〈ああ、そうする〉
「ミーナ」
食事を終えると、アキオはAIを呼んだ。
『おはよう』
いつものように、機嫌よくミーナが応える。
「昨日、頼んでおいたシミュラの遺伝子解析はどうなってる」
『できてるわよ。あ、ちょっと待って、あなたたち――』
『だって、興味あるじゃないか』
『わたしたちにも見せておくれ、あ、おはようアキオ』
『おはようございます。もちろん、わたしにも見せてください』
「朝から他にすることはないのか。特に、ミストラとヴァイユ」
『もちろんありますし、きちんとこなします』
『はい。しかし、それはシミュラさまの顔を見たあとです』
『あーこれが、17歳時の予想身長と体重だね。案外、小柄かな』
『あなたたち、プライバシーという言葉は教えなかったかしら』
ミーナの言葉を、少女たち全員が聞こえない振りをする。
『そしてこれが、予想される容貌――』
『まあ!』
『あら』
『ああ』
『やっぱり王族だ』
『なんて綺麗なんだろう』
アキオも、ディスプレイに表示される顔を見る。
「こうだろうな」
そこに映し出されているのは、内部世界で見た彼女の顔によく似ていた。
『どういう意味です』
「これは、シミュラの内部世界での顔だ。あっちはもう少し歳をとっていたが……叔母の容姿をもらったといっていたな」
『アキオさまは、シミュラがこんなに美人だなんてひとことも――』
『そんなこと、アキオに期待しても無駄だよ、ヴァイユ』
『どうもアキオは、あたしたちの顔をシミュラクラ的にとらえているような気がしてならない』
『ああ、要するに、ふたつの目と口の3つの点があるだけで顔だと認識している、と……』
『そそ、そんなことはないわよ』
『なんでミーナが焦っていうのさ』
わっと少女たちが笑う。
〈聞いておったぞ〉
アキオの頭に、シミュラの声が響く。
〈小娘たち、好き放題にいいおって〉
「わかるのか?サンクトレイカの言葉は苦手だろう」
〈苦手なだけで、分からないわけではない……それより、わたしの顔を見せよ〉
アキオは、シミュラに、アーム・ディスプレイの顔を見せる。
〈ふむ。子供こどもした顔だな。だが――お前のまわりの娘たちもその年ごろか……〉
シミュラは、アキオと向かい合って座ると、彼の両肩をつかんだ。
昨日と同じように触手が頭から伸び、アキオの額に触れる。
〈よし、これで、おぬしの眼を通した自分の姿が見える。始めるぞ〉
そう言って、自らの顔を作り始める。
画像を見ながらの作業なので、今回、アキオの助言は必要なさそうだ。
アキオは、微妙に変わっていく魔女の顔をじっと見つめる。
彼の目を通してシミュラが見ているのだから、目を逸らすわけにもいかないのだ。
身体以上に精妙な操作が必要なためか、なかなか思うようにはいかないらしい。
なんども失敗し、初めからやり直す。
〈これでどうだ〉
ついに自信ありげにシミュラが言う。
『これが、シミュラの顔……』
アキオが何か言う前に、少女たちの声が響いた。
『うーん。なんだか画像より可愛くなってないかい』
『少し大人っぽくなって、知的感もアップしています』
『元がいいのに、さらに手を加えたら、もっときれいになるのは当たり前だよ』
シミュラの顔を見た少女たちが口々に言う。
「皆の反応を見ると、どうやら画像より可愛いらしいな」
〈どうやら、とか、らしい、とはなんだ。お前の眼は飾りものか?自分の意見はないのか〉
『子供たちがいうには、俺の目は飾り物らしい』
〈好きにいうておれ。しかし、娘たちには礼を頼む。褒めてくれたからな〉
「礼は自分でいうんだ」
〈やはり……やらねばならぬか〉
そういって、シミュラは触手をアキオから離す。
「声は出なくても、耳は聞こえるな」
アキオの問いに魔女はうなずいた。
「これからの発声は、昨日までのように低周波振動を使ったやりかたではダメだ。きちんと肺から空気を送り出して、声帯を振動させないと人間らしい声にはならない」
〈そうだな〉
「そうなると、俺よりも人体構造に詳しい人間の方がいいだろう」
そう言って、アキオは少女たちを呼んだ。
「カマラ、マクス」
『はい』
「シミュラが君たちに肉声で礼がいいたいそうだ。発声の仕方を教えてやってくれ」
そう言って、アキオはバングルをシミュラに渡し、ライフルに着けられたカメラを彼女に向けた。
ナノ・ナイフで枝を切り、四角く組み合わせて簡易ディスプレイを作る。
シミュラの前に設置した。
「これで、双方から声と姿が見えるはずだ」
『アキオは?』
「俺は食料のムサカを狩ってくる。発声の次は嚥下のやり方も思い出させてやってくれ」
『了解です』
『どこに行くの』
シミュラを残して森を走り始めたアキオにミーナがたずねる。
『そのスピードは狩りじゃないでしょう』
「お前が作った地図によると、西に少し行ったところに、シュテラ・ソルトという街がある」
『あるわね』
「そこで、アルドスの情報を得ようと思う、ついでにシミュラの服も買う」
『ふーん。服はついで、なのね』
「そうだ」
からかうように言うミーナにアキオは真顔で返事する。
しばらく走ると、シュテラ・ソルトの外壁が見えてきた。
当たり前だが、ソルトといっても塩でできているわけではない。
例によって壁を飛び越えて中に入る。
シュテラ・ソルトは、特に特徴のない、赤レンガでできた街だった。
酒場やバルトをはしごして噂を聞こうとするが、アルドスについての、めぼしい情報はなかった。
やっと、5件目に入ったバルトで、アキオが水を向けるとひとりの男が食いついてきた。
弟がシュテラ・ノリスで鍛冶屋をしていて、朝、ガルで届いた文に、アルドスの魔女が退治されたことが書かれていたそうだ。
「エストラなんて、誰も行きゃしねぇから、その途中にいるっていう魔女が殺されようが俺たちには関係ないけどよ」
アキオが、昼間から酒をおごると、男はさらに饒舌になる。
「討伐軍には、シュテラ・ノリスからも何人か傭兵が参加したらしい。その一人の武具を弟が手入れしていて話を聞いたらしいが――」
「なんだ」
「エストラの王が泣いていたらしい。よっぽど嬉しかったんだろうって話さ」
「そうか」
アキオは、もう一杯男に酒をおごるとバルトを出た。
『アキオ。王様が喜んで泣いていたっていうのは』
「逆だな。シミュラに伝えるべきか」
『難しいわね。しばらく様子をみて決めましょう』
「わかった」
アキオは目抜き通りに出ると、最初に目についた店でシミュラの服を買う。
見た目は、キイより小柄でマクスより大きかったはずなので、だいたいそのサイズで適当に買おうとしてミーナに止められた。
エストラの王都でシミュラが着ていた服をたずねられたのち、AIのアドバイスに従って何着か服を買う。
金は、ダンクから受け取った分がまだ潤沢に残っているから問題はなかった。
再び塀を乗り越え、森を走る。
ムサカを1頭狩って、シミュラのもとに帰るころには夕闇が近づいていた。
目印のメタセコイア似の巨木に近づくと、木の陰から人影が現れる。
シミュラだった。
万能布を細い身体に巻き付けている。
「アキオ」
キイ並みに澄んだ声が森に響く。
「帰ってきたね」
「お前の肉声か」
「そうだ」
「美しい声だ。よくやった」
「頑張ったからね」
そういってシミュラが笑い、アキオは再び驚く。
表情が格段に豊かになっていたからだ。
髪も普通に生えている。
『すごいでしょう』
マクスの声が響いた。
「驚いたな。よくやった」
『わたしたちも驚きました。ナノ・マシンもなしに、こんなに身体を自由にできるなんて、普通ならありえません』
「嚥下はどうだ」
『おそらく大丈夫でしょう』
「では、夕飯のムサカでその成果を見せてもらおう」
アキオは言い、
「その前に、これを着ろ」
シミュラに買ってきた服を渡す。
「ありがたい。布だけではなんとも頼りなかったのだ」
そういって、ぱっとマントを脱ぎ棄てると、全裸のまま服を着始める。
『シュミラさま、羞恥心をお持ちください』
ピアノの声がした。
「ああ、忘れておったわ。長い間、あの身体だったからな」
『これからは違います』
「わかった、わかった。次から気をつける」
そういって服を身に着け終わると、シュミラは、彼の前でくるりと回った。
『どうだアキオ、似合うか』
「ああ。エストラの街で着ていた服を参考にした」
「ありがとう」
そういって、タンクトップにミニスカートの美少女は、艶やかに笑うのだった。