081.変化
エルミと別れたアキオは、シミュラを抱いて走り始めた。
身体強化を発動して、凄まじい速さで荒野をかけ、崖を登って行く。
途中、道をふさいでいた魔獣を何体か蹴り飛ばして排除した。
『アキオ』
ミーナがプライベート・モードで話しかける。
『さっきの城の焼き払いで、彼女のことを思い出していたの?』
アキオは答えない。
『悲しまないで』
『悲しんではいない』
そう答えながらも、本来なら、わざと音を立てて、逃げるよう仕向ける魔獣たちを攻撃してしまったことを思い出して反省する。
何か落ち着かない気持ちを、彼らにぶつけてしまったかもしれない。
おそらく死にはしないだろうが、しばらく痛い想いをするだろう。
無益なことをした。
『エストラの攻撃ですが――』
ピアノの声だ。
『最初から、シャトラ王女を殺すつもりだったのでしょうか』
「おそらくな」
『キューブの取引に、魔女の排除は最初から組み込まれていたと思われます。西の国と示し合わせて空の馬車を襲わせたのか、たまたま彼女が囮の馬車を襲ってしまったのかはわかりませんが』
ミストラが言う。
『いずれにせよ、外交の邪魔をしたことを口実に、長らく国の懸案事項だった魔女を排除したのでしょう』
『許せません』
珍しくピアノがきつい声をだす。
『あの方がおられたから、今のエストラがあるのです。一万もの軍の食料は誰が――』
『ピアノ』
ミーナに名を呼ばれ、少女は黙る。
『英雄も長く存在し続ければ国の障害になるわ。まして、その英雄が人の寿命を超えて生き続けたなら、感謝の記憶も薄れてしまうでしょう。そもそも一部の王族しか知らない闇の史実なのだから』
ミーナは静かに言い、
「でも、もうそれは過去の話。シミュラは、高貴なる身分は義務を強制するの自己犠牲から抜け出て、新しい人生に足を踏み出した」
『そう、そうですね。彼女には次の人生が待っています。わたしたちのように』
『薔薇色の人生……』
『そうね。カマラ――』
ミーナは軽く笑う。
自分に合わせてフランス語由来の言葉を使ったカマラが可愛くなったのだ。
国家が滅亡と統廃合を繰り返す混沌の時代を経て、地球の共通語は、さまざまな言語がでたらめに混じった地球語となっている。
「このあたりで、一度休憩する」
走り続けたアキオが、そう言って立ち止まった。
すでに、パルナ山脈を超えてかなり南下し、植生も見慣れたサンクトレイカのものになっている。
時刻は昼を過ぎていた。
「もし追手がいたとしても、ここまでくれば見つかることもないだろう。シミュラも休ませてやりたい。コクーンの調整その他もしたい」
『わかったわ』
アキオは、地球のメタセコイアに似た巨木の根元に腰を下ろし、前にシミュラを座らせた。
コートで彼女を包みこむ。
ホット・ジェルを取り出すと、立て続けに3本飲み、体力回復に努めた。
『シミュラは』
ミーナが尋ねる。
「まだ、意識を回復していない」
『ナノ・マシンを使えないのは不便ね』
アキオは、シミュラの頭に手を触れて撫でてやる。
パリパリと音がして、顔のあたりに亀裂が入り、ぱっちりと目が開いた。
黒紫色の瞳だ。
「シミュラ、分かるか」
声をかけるが反応はない。
そもそも耳がないのだから、音が聞こえるとも思えない。
「おい」
アキオが身体を揺さぶる。
シミュラが再び目を閉じようとしたからだ。
『マクス、カマラ、とりあえずアーム・バンドのセンサーを使って読み取った彼女のバイタルを送る。見てくれ』
『わかりました。その数値を参考に、もう少し胸のコクーンを微調整します』
それから、二時間余り、アキオは少女たちの指示に従って、PSの透過数値その他を調整した。
『だいたい、これでバイタルと意識レベルは安定しました。しかし、PSの摂取を制限しているので、これからは体が栄養不足になっていきます。はやく通常の栄養補給ができるようにしないと危険ですね』
「まだ、意識の反応が鈍いが」
『ずっと、PSゼリー細胞経由で言葉を聞き、話し、物をつかんでいたわけだから、身体の各機能はかなり衰えてると思うよ』
『今の状態なら、本体の上にPSゼリー細胞を乗せて、元の身体を再現できるはずです。ただ――』
『そう、ただ、それにはものすごい精神力がいると思うんだよね。誰かがそのことを教えて、手伝わないと』
マクスが言い、アキオは苦笑する。
「俺しかいないな」
『本当はいやなんだよ。アキオが、知らない女性と濃厚接触するのは』
『の、濃厚接触』
『たぶん、精神をつなぐってことなんだろうね』
『複雑だけど……』
『王女さまをお助けするためには仕方がありません。アキオ。頑張ってください』
『ピアノって、案外、亭主の尻を叩くタイプなんだねぇ』
『こういう時に頑張るのがアキオです』
『ユスラまで!王族ってのは男に厳しいのかい』
『アキオ、シュトラ王女は、まだ牢獄に囚われています。今度は古城ではなく肉体の牢獄に。かならず、この世界に連れ出してあげてください――わたしのように』
「努力する。待っていろカマラ」
アキオはシミュラの身体から伸びて、ゆらゆらと動く手の部分を持ち、彼の頭に当てる。
びくっと反応し、それはアキオの頭と顔を撫でた。
はっきりと目の焦点が合い、アキオを認識する。
〈アキオ〉
小さな声が聞こえた。
彼はシミュラを引き寄せ、額と額を合わせた。そのまましっかりと抱きしめる。
まだ、身体の表面に活性化したPSゼリー細胞が残っているのか、接触した部分が煙を上げて彼の細胞を侵食する。
前回も経験した、視界が裏返るような感覚があって、気がつくと彼はシミュラの前に立っていた。
「入ったな」
「アキオ!」
シミュラがアキオに抱き着いた。
そのまま口づけする。
ポンポンと頭をたたいて体を離してアキオが言った。
「外の話は聞こえていないんだな」
「残念ながらわからぬ」
「良い知らせと悪い知らせがある」
「悪い方から頼む」
「おまえの身体は、長年の魔女化で原型をとどめていない」
「わかっている。そうなることは、あらかじめ教えられておった」
シミュラは暗い表情で言う。
「だが、同時にお前は、魔女の分身、俺たちはPSゼリー細胞と呼んでいるが、長年、あれを手足のように操ってきた。だから、うちの専門家は、君が意思の力で体を作ることができるといっている。これが良い知らせだ」
「そんな細かいことはできぬ」
「やったことはあるのか」
「ない」
「なら、やってみろ」
「おぬしがずっとここにいてくれたら」
「ダメだ」
「たまに会いに来てくれたら」
「それもダメだ」
「案外つめたいやつじゃ。わかった。やってみよう」
「俺の意識を半分、現実に戻せるか」
「こうか」
アキオの視力が戻った。
同時に脳内のシミュラの姿、イマジナリー・ビジョンも見える。
「額を離しても大丈夫か」
「おそらくはな。触手でつないでおこう」
アキオは顔を離してシミュラの本体を見た。
頭同士が細い触手でつながっている
「聞こえるか」
「ああ、聞こえる。俺の眼を使って自分の身体は見えるのか」
「待て――できるはず――見えた」
「ではやってくれ。まず、左手から」
シミュラのイマジナリー・ビジョンが目を閉じ、精神集中する。
肉眼で見える彼女の左手が伸びていき――美しい手となった。
「できるようだな」
「かなり精神の集中がいるようだ。おまけに、城の中にいたころのように、すぐに体ができあがらない」
「PSを制限しているからだ。そうしないと、際限なくお前の身体から細胞が湧き出ることになる」
「仕方ないか。よし、反対の手だ」
再びイマジナリー・ビジョンが目を閉じる。
今度は右手が伸びていく。
「うまくいきそうだな」
アキオがそう言ったとたん、左手が崩壊し、次いで右手も溶けてなくなった。
「やはり簡単ではないな」
「だが、不可能ではなさそうだ」
それから数時間、シミュラは何度も失敗しながらも繰り返し挑戦し、ついに、体をほぼ人並みに戻して維持することができるようになった。
顔はまだ、シミュラクラのままだ。
「固定したものを維持するのは、それほど難しくないのがわかった」
「君たちはどう思う
アキオが声に出して尋ねると、皆、口々に感想を言い始める。
『すごくきれいな体です』
『姫さま、よくがんばられました』
『でも、なんだか釈然としないところもあります』
『なにがだい、ヴァイユ』
『思い通りに胸の大きさとか、その他あちこちを変えられるなんて、ちょっと不公平な気が……』
『あんただって、ナノ・マシンを使えば簡単にできるだろう』
『あ、ああ、そうでした』
『そ、それより、ずっとアキオが姫さんの全裸を見て、アドバイスしながら、共同作業で体を作っているっていう方が……』
『ああ、それはもう今さらってことですよ、ユイノさん』
『アキオですものね』
『そう、アキオですから』
『それがアキオです』
「これは君たちの身体を参考にした」
『え!』
何気ないアキオの言葉に全員が絶句する。
『そそそれって』
『い、いったい誰の体が一番参考に』
『そんなのどうでもいいじゃないか、ねえ主さま』
『キイさんの、この自信が憎らしい』
『さあ、みんな、もう夜よ。アキオとシミュラを寝かさないと』
『はぁい』
元気に返事をして少女たちが接続を切っていく。
『じゃあ、アキオ、とりあえず、続きは明日でいいのね』
「ああ、シミュラはなかなか優秀だ。明日になれば、肉声で皆と会話できるだろう。経口で栄養も摂らせたい」
『そうね――あ、アキオ』
「なんだ」
『彼女の肉体変化の自由度ってどのくらいなの』
ミーナが地球語に切り替えて尋ねる。
おそらく、シミュラに聞かれたくない内容なのだろう。
「かなり大きいだろうな。PSの制限を外せば際限なく変化できるはずだ」
アキオも地球語で応じる。
『つまり、本格的な変化生物、シェイプ・シフターということね』
「シミュラは、地球の擬態兵器とは違う」
『もちろんよ。ただ……ちょっと思い出しただけ』
かつて彼女はアキオから離れて、ヒト型攻勢兵器に搭載され、上海擬態兵器掃討作戦に単独投入されたことがあった。
その時の敵に、シミュラが重なって見えて、一抹の不安を感じるのだろう。
「だが、俺には理論の方が気になる。記憶の伝承、記憶石、精神による肉体操作と再生。この世界には、地球の科学ではあってはならないことばかり起こっている」
『そうね。でも、それらが研究の限界突破につながるかもしれないわ』
「ああ」
『では、また明日。ゆっくり休んで』
ミーナとの通信が終了すると、アキオは、シミュラを抱いて眠ることにした。
その前に、過去の教訓から開発した、レイル・ライフルのガード・モードを起動させて木に立てかける。これで通常の魔獣程度なら自動的に撃退できるはずだ。
横になり、汎用布にくるんだ身体を、コートで包んで目を閉じる。
彼女が細胞をうまく制御できるようになったため、もうアキオの細胞が侵食されるようなことはない。
気が付くと、目の前にシミュラが立っていた。
「顔があるということは、お前の頭の中ということだな」
「そうだ。おぬしと、ちゃんと寝ようと思ってな」
そういって、服を脱ぎ、裸になってアキオに抱きつき、押し倒す。
おかしなことに、あたりの景色は現実に彼らが寝ているものと同じ野外だった。
「なんだ、妙な顔をして」
「いや、せっかく脳内現実で眠るなら、宿のベッドで寝た方が――」
「これが良いのだ。本当は現実でもこうやって寝たいのだが、まだわたしの顔ができておらぬからな。なに、明日にはきっちり仕上げて見せるから、期待しておれ」
「その顔にするのか」
「これしか知らぬ」
「遺伝子を採取したから、明日にはお前の本当の顔がわかるはずだ」
「本当の顔?」
「生まれて順当に育った場合の顔だ。もちろん環境要因が入っていないから、完全なものではないが」
「そんなことがわかるのか」
「楽しみしていろ。さあ、もう寝るぞ」
「寝るさ、だが、城を離れ、初めて現実の男の腕の中で眠るのだ。なかなか寝付かれぬ」
「意識する必要はない。これから現実で何度でも男の腕の中で眠るんだ」
「そうなのか」
「そうだ。だから、もう寝ろ」
「う、うむ。わかった、眠ろう」
アキオは、この時、自分が発した何気ない言葉が、後々の騒動を引き起こすことに気づいていなかった。