080.炎上
アキオは二十メートルほど落下し、床石を砕きながら着地した。
素早くプールに駆け寄り、そこから延びているシミュラの首を優しく叩いて言う。
「待っていろ」
次いで、アーム・バンドに向かって矢継ぎ早に言葉を発する。
「カマラ、解析は」
『終わっています』
「マクス」
『大丈夫だよ』
「ミーナ」
『セカンド・シミュレーションまで終了してるわ』
「報告を」
『プローブ・カプセルによる調査では、シミュラの本体はプールの最深部、表面より25メートル下にあるようです』
「シミュラ、自分の本体をここまで運べるか」
〈無理だ。わたしの身体は、この地に設置された時にしっかり固定されておるのでな……逃げられぬように〉
「キャラバンはどうやって襲った」
〈身体を細く伸ばして街道まで分身を送るのだ〉
「本体はずっとここにいるんだな」
〈そうだ〉
「プールの細胞を外に出すことはできるか。俺が近づけるように」
〈今はダメだ。キャラバンを襲った時の疲労でほとんど動かせない〉
「ナノ・マシンを投入して状態回復させるか」
『それなんだけどアキオ、彼女の身体は、仮にPSゼリー細胞って言っておくけど、ナノ・マシンを受け付けないんだ』
「理由は」
『まだ不明。でも、たぶん、あまりに高濃度のPSを浴び続けて細胞が変異して、ヒト型細胞向けのナノ・マシンが対応できないんじゃないかな』
「わかった」
アキオはマクスの整然とした説明に感心した。真面目に学習した成果が現れている。
「俺が中に入って連れてくるしかないな」
『それにも問題があるわ』
「どうした」
『プール内の細胞は、疲労を回復するためなのか、異常活性して自分以外の細胞をなんでも吸収するようになっているの』
『へたに入ると溶けちゃうよ。アキオ』
『シミュラの回復を待ちますか』
「そうだな。慌てることは――」
アキオが言いかけると、
「いや、ゆっくりはできないぞ」
背後から声がした。
アキオが振り返る。
そこには女傭兵エルミが立っていた。
「なぜここにいる」
「あんたを助けに来たんだよ」
「ポランは?」
「サンクトレイカのシュテラ・ノリスで休んでいるさ」
「君のコクーンはうまく消えたようだな」
「ああ。おかげであいつを楽に運ぶことができたよ。ありがとう」
「ゆっくりできない、というのは」
「あんたに助けられて、ポランをシュテラまで連れて行くのに1日半かかった。その時ダルネ山の関所で、エストラの軍がダラム・アルドス城に総攻撃をかけるという話を聞いたんだ」
「いつだ」
「もうすぐだ」
エルミが言う。
「これまでの、魔女についての噂から、あんたはまだ開放されていないだろうと思ってね。このままだと、エストラのやつらはあんたごと攻撃してしまう。だから助けるためにここへ来たんだ」
「すまないな」
「来る途中、軍の大半が、アルドス荒野の街道側に集まっているの見た。総攻撃はもうすぐだよ」
そこまで言って、女傭兵は不審そうな顔になる。
「エストラ語は苦手だから、よくはわからないけど、あんたは魔女を助けようとしているのかい」
「そうだ。手を貸してくれるか」
エルミは、一瞬考えたのち、言った。
「あんたはポランを助けてくれた。手伝うよ」
アキオは、腕にはまったバングルを外して、エルミに投げる。
「その腕輪で俺の戦術長と話ができる。彼女に軍の様子を教えてくれ」
『わかりました。彼女の話から、敵の進撃予想とその対処を考えだします』
アキオのインナーフォンにユスラの声がする。
「どうやら急ぐことになりそうだな」
『それで、救出方法は?』
カマラが尋ねた。
「コクーンで体を防御しつつプールに入り、シミュラを取り出す。簡単だろう」
『プール内はゲル状アミノ酸ですから、最下部で圧力は15気圧あります。往復と下での作業に20分。さらに視界は、おそらくゼロですから作業は手探りです。いけますか』
「15気圧なら問題ない。20分間呼吸はできないが、備えれば40分は無呼吸で活動できるから大丈夫だろう」
『備えられるのですか――』
『身体の、蓄えられる部分すべてに酸素を蓄えるんだよ。さらにヘモグロビンを大量生成して……心臓の拍動を大きく緩やかにし、毛細血管を締めて血液の循環を遅くする――』
「マクス、説明はいい。それよりプール内の探査・カプセルからピンを打って、内部の様子を再確認しろ。それをもとにカマラと共にミシュラの本体に誘導してくれ」
『了解です』
「ユスラ」
『はい。ミストラから得たエストラ軍の一般的編成パターンと、エルミが見てきた軍の規模と態勢から考えて、攻撃開始は、おおよそ25分後です』
アキオは、ユスラが地球時間を使うことに驚きながら、
「時間的には余裕がありそうだが、何が起こるかわからない。すぐ行く」
ポーチからカプセルを取り出して作動させる。
破裂音がして彼の身体が包まれ、酸素の供給が絶たれた。
肩からライフルを外すと、台尻を叩きつけ石床に突き立てる。
銃の一部に触れ、ワイヤーを引き出し、それを手に巻き付けた
「行ってくる」
そういい残し、アキオはプールに飛び込んだ。
『アキオは優しいね』
『どういうことだい、キイ』
『あんたも見たことがあるだろう、ユイノ。レイル・ライフルの力を』
『そうだね』
『あれを打ち込んで、プールの中身を減らせば、もっと作業が楽になるはずなんだ』
『そうか、でもそれをしたら、シミュラに痛みが――』
『PS濃度9800倍の場所だってことを忘れちゃだめよ。排除すると、どんな激しい反動があるか分からないでしょう。無駄口を開かないで待っていて』
『そ、そうだね、ミーナ』
AIに注意され、少女たちは口を閉じた。
しばらくすると、ライフルからモーターの回転音がして、ワイヤーが巻き取られ始める。
粘性のある音がして水面が割れ、アキオが現れた。
肩にペール・オレンジ色の塊を抱えている。
その塊からは、絶え間なく少し色の濃いゲル状物質があふれ出ていた。
なんとなく人の形はしているが、顔もなければ手足も判然とはしない、まさしく肉の塊だ。
『カマラ、マクス、見えているな。対処を』
アキオがカメラにシミュラを向けて言う。
アーム・バンドを操作すると、破裂音と共にアキオのコクーンが消えた。
同時に、彼の体にゲルが巻き付く。
煙が上がった。
『アキオ!』
「大丈夫だ。すこしシミュラに食われているだけだ。それより考えろ。俺は何をしたらいい」
『わかりました。いま、彼女は――たぶん無意識に、濃厚なPSを細胞に変換して出し続けています。それを止めないといけません』
マイクの向こうで、マクスとカマラが話しあう声がする。
『確認だけど、シミュラ本体に意識はあるの?』
アキオは、塊の顔らしき部分を軽く叩いた。
反応はない。
「シミュラ」
プールに呼びかけてみるが返事はなかった。
「本体に意識はなく、プールとの接続は切れているな」
『つまり、彼女は今、完全なスタンド・アロン状態で気絶しているのですね。だったら――』
『急かせたくはありませんが、あと8分足らずです』
ユスラの声が響く。
『ナイフで彼女の胸部に裂け目を開けてください。そして、その中にカプセルを入れて』
カマラの意図を察してアキオはうなずく。
「わかった」
アキオは戦闘時救急医療のプロだ。
ナイフを取り出すと、胸部らしき部分に切れ目をつける。
『気胸に気をつけて――』
「大丈夫だ」
『心タンポナーデにも――』
『心配しないで。これまで、彼が何人の胸部貫通銃創の友軍を救っていると思っているの。ナノ・マシンがなくてもアキオは一流の外科医よ』
「入れたぞ」
『挿入位置は』
「心臓の横2センチだ。これでWBをコクーンで包めるはずだ」
『了解。アキオ、ここから先はうまくいくかわからない。未知の領域だから』
「君たちが考えて出した方法だろう。進めてくれ」
『参考までに、あと4分です』
『直径12センチ、物理透過率99、PS透過率1でコクーン展開』
アキオは、アーム・バンドで数値を設定し、操作する。
シミュラの内部で小さな破裂音がした。
がは、と、顔のあたりから、ペール・オレンジの液体が吐き出される。
胴と手足からあふれ出ていた液体が止まり、おぼろげながら手足が見え始める。
アキオが抱きおこすと、目のあたりからも液体が流れ落ち、下から眼球が現れた。
『胸の傷はどうです』
「塞がっている」
突然、シミュラが喉のあたりを抑えて苦しみ始める。
『肺にたまった液体で呼吸不能になっていると思われます』
「了解だ」
間髪を入れずにアキオが、肉塊の口らしき場所に唇をあて、中身を吸い出し吐き捨てる。
それを何度も繰り返す。
しばらくすると、シミュラの呼吸が落ち着いた。
『あと2分です』
『とりあえずは、それで大丈夫なはずだよ』
「よし、行こう。エルミ、待たせた」
アキオは、シミュラを万能布で覆うと、透過率を調整したコクーンで女傭兵を包む。
「ついてきてくれ。いつも通りに強化魔法を使えるはずだ」
「分かった」
女傭兵の身体がわずかに光る。
ライフルを担いだアキオが、シミュラを横抱きにして階段を駆け上がった。
素晴らしい速度でエルミがそれを追う。
「どう進む」
『来るときに行ったマッピングとエルミの情報からルートを作成しました。データを送るので、アーム・バンドのディスプレイ通りに移動してください』
「了解だ」
「壮観だな」
数分後、敵と遭遇せずにダラム・アルドス城を見下ろす高台に着いたアキオは、城を取り囲む1万人規模の軍隊を見てつぶやいた。
地平線から上ったばかりの太陽が、兵士たちの上に城と山の長い影を作っている。
無骨な軍隊とは対照的に、多彩なグラデーションを見せる朝焼けが美しかった。
「さすがに腰の重かったエストラ軍も、魔女退治に乗り出したってことなんだろうね。西の国へ渡す荷物が奪われたんだから、それも当然だろうけど……」
そういって、アキオがナノ汎用布に包んで抱いているシミュラを見る。
「でも、それが魔女の……中身なんだろう」
「そうだ」
「人間なのかい。顔かたちも手足もはっきりしないし……まあ、あんな肉の中にいたらそうなるかね」
「彼女は心配ない。これから人に迷惑をかけたりもしない。ただの人間に戻るだけだ」
「まあ、あんたがそういうなら信じるよ」
「ありがとう」
「わたしは何もしてないよ」
「君が教えてくれなければ、エストラ軍に大きな損害を与えてしまっていた。それは彼女も望まないだろう」
「自分たちの命が危なかった、とはいわないんだね。でも、魔女が自分を殺しに来たエストラ軍の損害を望まないっていうのは――」
「――」
「分かったよ。詮索はしない」
松明に火をつけて、城に押し入っていく兵士たちを見ながらエルミが言う。
「わたしはシュテラ・ノリスへ戻るよ。ポランの奴が待っているからね。あんたたちは?」
「彼女の具合を見ながら移動する」
「わかったよ」
遠くで爆発音がして、城から火の手が吹き上がった。
1万人を超す兵士たちの歓声が轟く。
「いい気なもんだね。あの中には魔女なんて――」
そう言いながらアキオの顔を見たエルミが黙った。
彼が、痛みと悲しみの入り混じった表情で燃え上がる城を見つめていたからだ。