078.共振
アキオは、静かになったシミュラの背を撫で続ける。
気がつくと、魔女は眠りに落ちていた。
自分自身が作り出した世界の中で眠るということが、どういうことなのかはわからないが、確かにシミュラは眠っていた。
アキオも目を閉じる。
どこからか子供の笑い声が聞こえた。
「シャトラちゃん、こっちだよ」
そばかす顔の少女が、痩せて骨ばった手を差し伸べて招く。
それに応じて、アキオの視線が彼女を追いかけ、走り出す。
少女は、古ぼけてはいるものの、昼間に彼が街で見かけた人々と同じ服装をしている。
おそらく、これはかつて魔女が人であったころの記憶だ。
場面が変わる。
先ほどの少女が心配そうに話しかけている。
「でも、毎日、お城からこんなところへ遊びに来ていいの」
「……」
それに応えて、シミュラが何か話しているがアキオには聞こえない。
「だって、お城にいるってことは、お貴族さまでしょう」
「……」
「またぁ、使用人が、そんな綺麗な服を着てないよ」
「……」
少女はそばかすのある顔を輝かせる。
「え、その服貸してくれるの?ほんと。今度、絶対ね」
視界が暗転する。
粗末なベッドに少女が寝ている。
「ご、めんね。一緒に遊ぶ約束だったのに。体がだるくて……すぐに、元気になるから……大丈夫。ちょっと、疲れちゃった……」
微笑んだ少女が、目を開けたまま動かなくなる。
涙が一筋、その瞳から流れ落ち、痩せこけた頬を伝った。
つないだ手が冷たくなっていく。
死んだ。死んだ。
そばかすの似合う優しい少女は、あっけなく死んでしまった。
『食べ物さえあれば!』
『なぜ我が国はこんなに貧しい』
『どうして我が民は、いつも飢えねばならぬ』
アキオの心に、怒涛のようにシミュラの悲しみと怒りが流れ込んでくる。
おかしい。
アキオは警戒する。
感情や感覚は人から魔女への一方通行のはずだ。
彼が、シミュラの強い感情や怒りを感じるはずがない。
もしかすると、魔女がこの世界で寝てしまったため、宿主と訪問者の感覚が共振しているのかもしれない。
やはり、脳と神経の働きは予測がつかなくて苦手だ。
突然、視界が閉ざされる。
「エストラの民は飢えている。その挙句、病に冒され死に続けているのだ」
暗闇の中に、声だけが響く。
「お前だけが民を救えるかもしれぬ。お前の身体が、体質が……」
ふたたび声が聞こえる。
「新しいイニシエーションを繰り返し施すことで、無限の食料を……」
複数の声が重なって響く。
「たとえ独りでアルドスの荒野で暮らすことになろうとも……」
「失敗だ。だが手ごたえはあった。このまま続ければ……」
気づくと、黒紫色の髪の女が、彼の顔を上からのぞき込んでいた。
アキオはベッドで横になり、シミュラの膝枕で寝ていたのだった。
「おう、目が覚めたか」
「――君の夢を見ていた」
「わかるぞ――わたしもおぬしの夢を、いや、記憶を見ていた」
「そうか」
「おぬしは、ここと違う世界から来たのだな。戦って、戦ったその果てに」
そういって、シミュラは彼を抱きしめる。
「女を知らぬのも、大人になる前に体がキカイというものに変わってしまったからか……」
アキオは、彼女の口元に手をやり、指で牙に触れる。
「おぬし、あの街の戦で出会ったポジ、いやネコのことを考えて、わたしの歯に触れているのだろう」
「見たのか」
「見たとも。可愛かったな。そして悲しかった」
そういって、シミュラはアキオに覆いかぶさり、身体を重ねて口づける。
唇を離し、言う。
「これも良いものだな。おぬしの――子供たちは良き者たちだ。まさか、その中に本当に王がいたとは驚きだが……」
魔女はしばし黙り込み、
「しかし、この世界で来訪者に身体を委ね、眠ることで、その者の記憶を見ることができようとは。100年生きてきても気づかなかったぞ」
「何百年生きても、わからないことは多い」
はっと、シミュラは目を見開く。
「おぬしは300年生きているのだったな。この歳になって、自分よりはるかに年上のものに会うとは驚きだ」
ふっと笑う。
シミュラは猫のように体を滑らせて、アキオと並んで横になった。
彼の胸に頭を乗せる。
「しかし、それも仕方がなかろう。100年の間、安心して頭を預け、その胸で眠ることのできる者に出会えなかったのだ。人はみな悪人だから」
「俺も人殺しの悪人だ」
「そう偽悪者ぶるな。おぬしのことは分かっている」
魔女の言葉にアキオは苦笑する。
普通の者に言われたなら言下に否定するが、心をのぞき見られた魔女の言葉は否定しづらい。
かわりにアキオは言う。
「お前もだ。男を知らないのに男好きの真似をしている」
「ば、馬鹿をもうせ」
魔女は顔色を変えて否定するが、アキオは取り合わない。
シミュラ、いやエストラ王女シャトラは、17歳で魔女となった。
婚姻前の王族であるから、当然それまでは彼女は男を知らない。
魔女となり、男を連れ去るようになった後も、食事の感覚は共有しても、いざ床入りとなると、男の記憶を刺激して夢を見させるだけで、自分は感覚を共有してはいなかったのだ。
「なぜだ」
「ふ、甘いなアキオ。わたしより200年長生きしても、世の理がわかっておらんようだ」
「教えてくれ」
「経験のないおぬしは知らんだろうが、同衾した後の男は、ペラペラとなんでも話すようになるのだ。つまり情報獲得の手管というものだな」
「ちがう。聞きたいのは、なぜ、お前が男と感覚を共有しなかったのか、ということだ。興味があるから男を引き入れていたのだろう」
「うむ」
シミュラは、アキオの胸に顔を当ててつぶやく。
「興味はあった。だからといって、初めての同衾は、誰でもよいというものではないのだ。体は化物になっても、いや化物になったからこそ、初めての相手は選びたかった。できれば――」
そういって、軽くアキオの胸に牙を立てる。
「相手は他の女を知らぬ者が良い」
アキオは微笑んだ。
「それは難しいだろう」
他の女を知っているからこそ、その記憶をもとに感覚共有を使ってシミュラと寝ることになるのだ。
なのに、その男が女を知らないほうが良いというのは論理破綻を起こしている。
「それは無から有を引き出すことだ」
「そうだな。だが、おぬしからは、それに近いものは受け取った。感謝する」
「そう思うなら、教えてくれ」
「いいぞ。わたしにわかることならな」
「お前が襲ったキャラバンは、キューブを運んでいたはずだ。虹色に色を変える箱だ」
「うん?そんなものは知らんぞ。そもそもわたしは、宝や道具に興味がない。今回は、久しぶりに男を攫って話を聞きたかっただけだ」
「そうか」
アキオは暗い目で宙を見つめる。
どこかに齟齬があるのだ。
情報が間違って伝わったのか、誰かがわざと間違った情報を流したのか――
「どうすれば、外の世界に出られる」
「わたしが許せばすぐにでも」
アキオは立ち上がった。
「では、頼む」
言いながら立ち上がり、ドアに向かったアキオの足が止まる。
シミュラが彼の指を掴んで引き留めていたからだ。
「ま、待て」
これまでとは打って変わったように消え入るような声で言う。
「そんなに、すぐに行かねばならんのか」
「外ではどれくら時間が経っている」
シミュラがエストラ時間で言い、アキオはそれを地球時間に換算する。
「70時間あまりか。思ったより長くいたな」
「おいアキオ、あと……あと少し、一緒にいてくれ」
アキオは、すがるような目をする魔女を見つめる。
「わかった」
ぱっと顔をほころばせたシミュラは、
「こっちへこい」
ベッドに横になり、自分の横をポンポンたたく。
アキオがその通りにすると、魔女は身体を回転させて、アキオの上に半身を乗せた。
「もうひとつ教えてくれ」
「なんだ」
「お前の記憶で17歳で魔女になったのは知っているが、いまの姿はもっと年上に見える。なぜだ」
「おお、そうか。これは、美貌で名高かった我が叔母の姿を借りておるのだ。男共も17の小娘より25歳の美女を好む」
「元の姿にはなれるのか」
「もう忘れた。100年の間、この姿でおるからな。髪と目の色は叔母と同じであったが……なぜ、そんなことを聞く」
「本当のお前を見たかっただけだ」
「もう見ただろう。あの巨大な肉の塊がわたしだ」
「外見が、本当のお前とは思わない」
「そうか――そうだな。おぬしならそういうか……」
魔女はアキオの胸に顔を摺り寄せる。
「アキオ」
「なんだ」
「おぬし……」
シミュラが言葉を途切らせる。
アキオは魔女の黒紫色の髪を指でもてあそんだ。
「おぬしは、向こうでやらねばならんことがあるのだな」
「そうだ」
「あまりに感情が激しすぎて、おぬしの記憶の最後のほうはよく見えなかったが……あの女の――」
「それはいうな」
「そうか……そして、おぬしを待っておる娘たちもいる」
アキオは、指で巻いていた魔女の髪をわしづかみにして、ワシャワシャとかきまわした。
「な、なにをする。よせ、無礼者」
「シャトラ」
「な、なんだ。わたしの真名を呼ぶな」
アキオは魔女の苦情に構わず再度言う。
「シャトラ、俺と来い」
「あ」
思いもよらないアキオの言葉に、100年前の王女が目を丸くする。
「なにを申す。わたしは身体も定まらぬ肉の化物だ」
「俺がもとの体に戻してやる。来い」
「ダメだ」
「信じられないか」
「わたしの、体は……試しなのだ。城の者がやってきて、さまざまに工夫をして、より良き食料を作ろうとしておる」
「20年前に完成したと聞いた」
「たしかに、ここ何年も誰も来てはおらんが、きっとまた、わたしが必要になるだろう」
「シャト――」
「黙れアキオ。わたしの名はシミュラだ。エストラ王女シャトラは100年前に死んだ。ここにいるのは――」
魔女はアキオの胸から顔をあげ、燃えるような黒紫色の瞳で彼をにらむ。
「その抜け殻だ」
ついで、彼の体から滑り降りてベッドに座る。
「もう行け」
消え入るような小さな声だ。
「シミュラ」
「その扉は外の世界に通じている」
魔女が指さすと壁に扉が生まれた。
「行け」
再度促され、アキオは立ち上がった。
扉に向かって歩き始め、振り返って魔女に手を伸ばす。
シミュラは指を伸ばしかけ――アキオの手を払った。
「行くのだ、振り返るな」
アキオは魔女のいうとおりにする。
扉の外に足を踏みだした。
彼の身体を光が包み込む。