077.シミュラクラ、
062.「まだ人間じゃない、」で、次回の節目タイトルは「流れよわが涙、」と書きましたが、間違いでした。
今回が次の節目「シミュラクラ、」です。
アキオは、インナーフォンのスイッチを入れる。
「ミーナ、72時間経って、俺から連絡がなければ遠隔操作でコクーンを発動後、PSPを起動しろ」
『了解――気をつけて』
アキオの決意を知ったからか、もう他の少女たちは何も言わない。
アキオは魔女に、つまりプールから飛び出した3つの窪みで顔のように見える首長竜に近づいた。
「そこに座るのか」
さっきまでポランが座っていた場所を示して言う。
〈そ、うだ〉
彼は素早く歩いてそこに座る。
〈お、まえは変わってい、るな〉
「だからこそ、ポランと交代する価値があったと、お前も納得できる。同じだとつまらない」
彼は壁にもたれ、魔女を見た。
「アキオだ。お前の名前は」
〈な、い〉
「ないと不便だ。勝手に呼ぶぞ」
〈好き、にせよ〉
「シミュラクラ」
『アキオ、それって……』
ミーナが絶句する。
シミュラクラ現象とは、別名、類像現象、3つの点が集まれば、その図形が人の顔に見えるという脳の働きのことを言う。
「長いか、ではシミュラだ」
〈それ、でよい〉
「始めてくれ」
アキオの言葉で、プールから延びたスライム状の物質が、鳥籠のように彼を囲み、何本かの細い枝が伸びて、彼の頭に接触した。
瞬間、彼の知覚が反転する。
身体の内部からすべてが裏返る感覚だ。
外部ではなく、身体の内側に触覚が生じ、視覚が魚眼レンズを通したように歪み、漆黒の闇となった。
「おい」
声をかけられ目を開く。
いつのまにか目を閉じていたらしい。
振り返ると黒紫色の髪の女が立っていた。
抜けるような白い肌に、これも黒紫色の瞳の色と桜色の唇が鮮やかだ。
タンクトップにミニスカートという露出度の高い服を着ている。
「我が見えるか、アキオとやら」
女が笑った拍子に、短いがはっきりとした牙がのぞく。長い犬歯だ。
アキオはそれに一瞬、目を奪われる。
「どうした、おぬし、惚けたか」
「シミュラか」
「そうだ」
「ここは」
アキオはあたりを見回して言う。
陽光の中、多くの人が練り歩く活気ある街角だが、その建物も服装も見たことのないものだった。
「エストラの王都オルトだ」
「言葉が流暢だな」
「サンクトレイカ語は苦手なのだ」
アキオは、答えるシミュラの目の高さが彼と同じであることに気づいた。
通りを見て、水晶の窓が使われている店先まで歩き、自分の姿を映して確認する。
「――こうなるのか」
ガラス質の窓に映る彼は、見たことのない服を着ていた。
年齢は15歳ぐらいになっている。
「ここは、お前の内面世界というわけだな。だから言葉の壁がない」
「よく気づいたな。たいていの奴は、ここで恐慌状態になるのだが……」
地球にいたころ、何度かVRおよびARによる模擬戦闘に参加させられたことがあった。
容姿が変わるのは問題なかったが、感覚に違和感があり、身の危険を皮膚で感じとれなかっため、彼にはあまり有用とも思えなかった。
その時の感じに少し似ている。
「なぜ、子供になった」
「この世界では、その者の内面が現れる。お前の中身は、その年というわけだ」
言ってから、女は呵々と笑い、
「嘘だ嘘だ。わたしがその年にした。たいていの男は、わたしより年下のくせに身体が大きいというだけで主導をにぎろうとする。それが不愉快なのでな。だから、ずっと前から、男は、自分より年下にして扱うようにしたのだ。夜の営みもわたしがリードしてやるから期待しろ」
再び、女はにっと牙を出して笑う。
「あっ」
アキオは、我慢できなくなって女の手をつかむと引き寄せた。
顎をつかんで口を開けさせる。
「な、なにを――」
そのまま飛び出た牙の先に指を当て、鋭さを確かめた。
シミュラは、あわててアキオを突き飛ばす。
心なしか顔が赤いようだ。
「お、お前、身の程をわきまえろ。痴れ者が」
「いいな、その牙」
アキオが言い、
「猫のようだ」
「猫だと?」
「この世界のポジだ」
「ああ、だが、わたしはポジほど可愛くないぞ。もっと恐ろしいものだ」
「おまえ王族か」
「なっ」
シミュラの表情が固まる。
「な、何を根拠に」
「言葉が時代がかっているのはともかく、話し方や雰囲気が、知り合いの王女に似ている」
「バカな、お前のような、どこから見ても身分卑しき平民風情が王族を知るわけがないであろう」
彼を指さしながら女が言い、
「ま、そんなことはどうでも良い。まずは街を歩こう」
そういって機嫌をなおすと、さっさと女はアキオと腕を絡めて街を歩きだす。
アキオには、魔女が何を望んでいるのか分からない。
『現在の世界』を知りたいから、数年ぶりに彼やポランを攫ったのではないのか。
こんなことをしても意味がない。
アキオが、そう尋ねるとシミュラが答える。
「それは後々な。うまいものでも食べながら、あるいは寝物語で話せばよいのだ」
言動から考えると、王族かどうかが怪しくなるが、とりあえずアキオは魔女に付き合うことにした。
ピアノやユスラと街を歩いた記憶を呼び起こし、調子を合わせる。
魔女は街を闊歩し、次々と店に入っては品物を見ていき、時には服を試着する。
何度もそれを繰り返す。
アキオは疲れてきた。
そんな彼に気づいたのか、
「次は、あれに上ろう」
シミュラは街の中央にある尖塔を指さし、言った。
「めずらしいな」
塔を目の前にしてアキオはつぶやく。
それは、建物の前に置かれた説明版を見るまでもなく、二重構造の螺旋スロープを持つ、いわゆる栄螺堂形式の塔だったからだ。
木造ではなく石造りだ
栄螺堂は、かつて彼女が教えてくれた日本の建造物だった。
塔の内部で、二つの螺旋階段がより合わさるように組まれ、上りと下りで人が出会わずに頂上まで行き来できるようになっている。
「エストラ名物の螺旋塔だ。さあ、いくぞ」
シミュラは、先に立って登り始める。
膝上十数センチのスカートを履いているため下着が見えそうだ。
「下着が見えるが、いいのか」
「おお、気がついたか。こうやって少しずつ見せて、夜への気分を高めるのだ。興奮するがいい」
魔女は大きな瞳を悪戯っぽく輝かせ、笑う。
再び牙がのぞき、アキオは衝動を抑える。
「どうだ。いい景色だろう」
頂上にある展望所に着くと、シミュラが手をかざして太陽を遮りながら遠くを見やった。
アキオは、キイと登ったガブンの塔を思い出す。
風に揺れる傭兵の金色の髪と景色が鮮やかに甦った。
それに比べ、今、目にする景色は、どこか薄っぺらで現実感が感じられない。
「シミュラ」
「なんだ」
気持ちよさそうにあたりを見渡す魔女に声をかける。
「お前が見せられるのは、このエストラの街だけなのか」
魔女の笑顔が、針で突かれた風船のように急速にしぼんだ。
「気の悪いことを申すな」
「すまない」
「そうだ、わたしの世界は、100年前に人として生きたエストラの首都だけだ。その世界の中で、何度も何度も同じような生活を繰り返しておるのだ」
「ここに来た男たちの記憶から、外国や現在の景色を取り出せないのか」
「誤解されたままだと業腹だからいっておくが、男だけではないぞ、女も連れてくる。たまにだが……」
魔女は自嘲するかのように唇の端を釣り上げる。片側の牙が見えた。
「基本、情報は言葉で聞くだけだ。相手が寝た時に少しだけ景色を見ることができるが――」
シミュラは薄く笑い、
「無理に吸い取ると相手の頭が壊れるのでな」
魔女の、意外に良心的な物言いにアキオは苦笑する。
「そろそろ日も暮れる。飯にしよう」
空を見あげて彼女が言った。
この世界の時間の進み方がどうなっているのかわからないが、いつのまにか陽は西に傾きかけている。
ふたりは行きとは違うスロープを下って降りて行った。
「来い、おぬしの好みそうなものを食させる店がある」
塔から出ると、シミュラはアキオの腕を取って歩き始める。
「明るくていい街だ」
活気にあふれ、子供の笑い声の絶えない通りを進みながらアキオは言った。
「そうだろう。そうだろう」
魔女は晴れやかな笑顔を見せる。
「これは、お前の想像の街なのか。それとも記憶なのか」
確かキイは言っていた。
東方のエストラは魔法中心の国で、海に面しているが霧のために海の幸は手に入りにくく、荒れた土地のために民は飢えていたと。
シミュラの顔が曇る。
「20年ほど前から食料事情は改善されたと聞いたが、お前が知っている100年前は、それほど――」
「いうな!」
魔女が叫ぶ。
「いずれにせよ、いま民は飢えていないのだ。ならば、わたしがその世界で生きてもよかろう」
「もちろんだ」
「もう暗い話はするな。さあ、この店だ。入れ」
シミュラが招いたのは、落ち着いた雰囲気のバルトだった。
おそらく100年前にエストラに存在した店なのだろうが、この世界に詳しくないアキオは古臭さを感じない。
問題は味だった、
出された食事は、山海の幸がそろう豪華なものだったが、どれも似た味でそれほどうまくはなかったのだ。
不味くはないが、どれもムサカの肉やパオカゼロの味がする。
テーブルの向かいに座って、美しい作法で食事をとるシミュラが妙な顔をした。
「アキオとやら、おぬし、普段どんなものを食べておるのだ?」
「栄養に偏りのないものだ」
「うむ……まあいい」
魔女は不思議そうに首をかしげながら、ナプキンを置いて立ち上がった。
「では、行くか。この店の上に宿をとってある。今宵はふたりで盛り上がろうぞ」
さっとテーブルを回り、アキオと腕を組む。
そのまま、きつく締め上げて胸に当たるようにした。
以外に存在感のある胸がアキオの腕に当たってたわわに揺れる。
「話は――」
アキオは口にしかけたが、魔女が寝物語に会話すると言っていたのを思い出し、シミュラの導くままに階段を上がる。
部屋に入ると、シミュラは扉に鍵を下した。
「それに意味があるのか」
実質、この世界にいるのはアキオと魔女のふたりだけなのだ。
「興ざめなことを申すな」
シミュラは、アキオをベッドまで押し、倒した。
そのまま手際よく彼を上半身裸にする。
「少年らしい、いい体をしておるのう」
そういって、メナム石に触れ、明かりを暗くする。
アキオから視線を外さず、じらすように服を脱いでいく。
少年が特に反応しないのを見ると、途中からぱっと全裸になって、アキオの上に飛び乗ってきた。
「なんじゃ、こんないい女を前にして、妙にやる気がないではないか」
シミュラは、アキオの首筋に口づけ、身体を触る。
アキオは魔女の紫の髪を撫でて、言った。
「すまない」
「謝らなくてもよい。お楽しみはこれからじゃ」
「お前にいうことがある」
「なんだ」
「俺は女を知らん。だから、お前が望むような感覚を与えることはできないだろう」
「なんじゃ」
魔女が絶句する。
アキオは食事の時に気づいたのだった。
魔女は、取り込んだ者の記憶を刺激して感覚を再現し、それを共有する。
感覚は一方通行で、魔女の側からアキオには流れない。
だから、引き入れた人間にない経験およびその感覚は引き出せないのだ。
また、視覚や知識は共有できないようだ。
アキオは、地球でも、この星に来てからも、食事には興味がなく、味覚として、ろくなものを食べていなかった。
だから、食事はムサカと堅パンの味しかしなかったのだ。
同様に、男女間の快楽を求められても、彼には差し出す感覚がない。
「お、おぬし人間か。その年になって味覚がムサカとパオカゼロだけだとか、女を知らんとか――」
「おそらく、まだ人間ではないのだろう」
アキオは微笑み、
「だが、俺にも、お前にやれる感覚が少しはある。受け取れ」
そういって腕を回し魔女の体を抱きしめる。
そうしながら、心をこめて彼を抱きしめてくれた少女たちを思い出す。
強く思い出す。
「な、なん、ああ、なんだこれはこの感覚は温もりは優しさはこれはこれはこれは――」
魔女の体が震える。
「この世界で出会った子供たちがくれたものだ」
「あ、ああ」
アキオは、もう一度しっかりと魔女を抱いてやる。
シミュラは動きを止め、黙り込んだ。
しばらくして――
アキオは胸に熱さを感じた。
見ると、シミュラは涙を滂沱として流している。
「なぜこんなに暖かい。なぜこんなに優しい。なせこんなに切ない。なぜこんなに――美しい」
「なぜだろうな。俺にはわからない」
アキオは魔女の白い背を撫でてやる。
「たぶん死ぬまでわからないだろう」