076.魔女
アキオは、傭兵の兜を拾ってやった。
そのままふたりは歩き出したが、魔力暴走の疲れのためか、エルミは足をよろめかせる。
ナノ・マシンを与えるべきか、少し迷ったアキオがポーチに手をやると、
『ダメよ!』
『ダメです!』
『いけません!』
凄い音量で、少女たちの声が耳に轟いた。
『キイに似てる女傭兵に、ナノクラフトなんか使ったら加入確定じゃないか』
『確かに!』
「マイクとカメラを切っていいか」
『それこそダメです!』
独り言をいうアキオを不思議そうに見つめる女傭兵の頭に、兜をかぶせると、アキオは言った。
「早く城に着いたほうがいいな」
「あ、ああ。すまない。すぐに普通に歩けるようなると思う」
「謝るのはこちらだ。しばらく我慢してくれ」
そういうと、彼は傭兵の膝に手をやって抱き上げると風のように走り出した。
「あっ」
『わー』
目の前の傭兵の叫び声とインナーフォンから響く声がミックスされてうるさい。
しかし、さすがに傭兵は軍人だけあって、すぐに事態を把握すると、身体を縮めてアキオに身を預ける。
「重いだろう。わたしは大きいから」
「気にするな」
アキオはさらに加速する。
「すごいな」
月明りに浮かぶ荒野の景色が飛び去るように後方に流れるのをみて、エルミがつぶやく。
「あんたのは明らかに強化魔法じゃないし……何者だい」
「ただの傭兵だ」
「まあ、言いたくないならいいさ」
「聞いていいか」
黙りこんだ女傭兵にアキオは言う。
「何だい」
「キャラバンが襲われたのは2日前だろう」
「そうだよ。ああ、なぜ今頃ここにいるかって話だね。襲われた時にわたしは気絶させられてね。次の日、目を覚ました時にはサンクトレイカに運ばれていて、ここまで戻るのに一日かかったというわけさ」
「そうか。あとひとつ、魔女というのはどんな奴だ」
「相当な怪物だよ。さっきはアキオが怖気づいたらいけないから黙っていたんだが」
「大丈夫だ。続けてくれ」
「魔女には形がないんだ。なんていうか、アルソス地方のスープみたいに……ドロドロしてる」
『知っています。そのスープはすごく粘性が高くてよく伸びるんです』
『スライムみたいなのね』
「大きさは」
「途方もなく大きい。さっきもいったけど、馬車を数台包み込むくらい巨大だ」
「首や手足はないのか」
「なかったね」
『噂では巨大な土人形のような形だともいわれていますが』
『ゴーレムみたいね』
「色は」
「なんていうか……緑がかった茶色というのか」
『不気味だね』
『魔女ですから』
ピアノの言葉で思いついて、アキオは尋ねてみる。
「女としての特徴はあるのか」
「わたしが見たところなかった」
「なぜ魔女と呼ばれる」
「それは、わたしにもよくわからない。昔からそう呼ばれているし、男をこのんで攫うことと、帰って来た男が――ああ、急がないと……」
エルミが言い終わらないうちに、アキオが立ち止まった。
「どうしたんだい」
「着いた。城だ」
そう言いながら、アキオはそっと傭兵を下す。
「もう着いたのか……」
茫然としてエルミが言う。
話に夢中になって、城が近づいていることに気づかなかったのだ。
女傭兵は、朽ち果ててはいるが、一応は城の体裁を保っている建物を見上げる。
どこにも明かりはついていなかった。
『暗いわね』
『仕方ないわよ。さっきのPS濃度なら、メナム石を点けた途端に爆発するでしょうから』
その言葉を聞いて、アキオは再びPS濃度を調べた。
『つ、通常の1200倍』
数値を見てミーナが呻く。
「明かりは持っているか」
アキオはエルミにたずねる。
「メナム石がある」
「絶対に使うな。密閉されているから大丈夫だとは思うが、ここで使うと爆発する可能性がある」
アキオはコートの内側に常備しているケミカル・ライトを取り出して二つに折り、エルミに渡した。
通常のシュウ酸ジフェニルを使ったものだが、ナノ処理してあるので3日は光り続ける。
輝度は、あえて低く抑えてあった。
夜間行動における明かりは強すぎてはいけない。
明るさになれた目には、光の当たった場所だけ見えて、全体が暗闇になってしまうからだ。
アキオは、正面の扉に近づいて、力をこめて引き開けた。
嫌な軋み音を立てて扉が開く。
「行こう」
先に立って進んでいく。
特に怪しい気配は感じないが、一応、P336は抜いておいた。
暗視強化されたアキオの目は、後ろを歩くエルミが持つライト・チューブの明かりでかなり遠くまでが見渡せる。
内部は広い中庭だった。
むき出しの地面は一面苔むしていて滑りやすい。
庭を横切ったふたりは、城内部へ入る扉へたどり着いた。
ドアを開こうとするが、鍵が掛かっているのか動かなかった。
「鍵か。どうする」
「こうしよう」
アキオは無造作にドアを蹴った。
扉は意外と丈夫だったのか穴は開かず、派手な音を立てて蝶番ごと内部に飛んでいった。
『やれやれ、無茶苦茶だね』
『そこも素敵です』
外野の少女たちは、好き放題言っている。
そろそろ深夜なので、皆に寝るように命じるかアキオは迷ったが、絶対に言うことを聞かないのが分かっているのであきらめた。
扉を通って城の内部に入る。
用心しつつ、アキオは、アーム・バンドと起動したままのカプセルで、再度PS濃度を確認した。
『約2500倍』
『どういうことでしょう。こんなに高濃度のPSが存在する場所があるなんて信じられません』
カマラが打ちのめされたような声をだす。
『しかし現実に存在しています。考えられるのは、その高濃度と魔女という怪物の存在が関係している可能性が高いということですね、アキオ』
『もし、そうなら魔女はものすごいエネルギー源の中にいることになります。危険ですよ』
「そうだな」
「ん、どうした」
アキオの言葉に、すぐ後ろを歩くエルミが不思議そうな顔をした。
城の内部に入ってからは、左にライト、右に剣を下げている。
「独り言だ」
「そうか」
ドン、という低い音と振動が響いてきた。
城の地下からのようだ。
「敵は地下だな」
エルミがつぶやく。
いくつか扉を通って、城の中央近くまで進むと、ひときわ大きな扉があった。
扉に鍵はかかっていない。
軋む扉を開くと、巨大な円筒状の吹き抜けのスペースがあった。
石造りの壁には大きな階段がつけられ、回転しながら下に向かっている。
「この螺旋階段の下に、魔女がいるようだ」
「そ、そうだね」
「どうする、ここで待っていてもいいぞ」
金髪に縁どられた顔を青ざめさせるエルミにアキオがたずねた。
「ここまで来たんだ、いくよ」
女傭兵は、ライトを持つ方の震える手を、剣を持つ手で押さえつけて言い切る。
『勇気があるねぇ』
『それが傭兵さ』
『恋しい人のためです』
ユイノ、キイとヴァイユがつぶやくが、他の少女たちは黙ったままだ。
アキオたちは階段を進む。
大きな弧を描いてゆっくり降りていく階段は、一段一段の長さが微妙に歩幅とあわず歩きにくかった。
『まるで、人間以外のものが歩くような造りですね』
ユスラがつぶやく。
やがて、最下層まで降りたアキオは、数本のケミカルライトを取り出して発光させると、床の各部に投げ飛ばして当面の明かりとした。
ふたりの眼前に、巨大な円形のプールのようなものが浮かび上がる。
その内部は、得体のしれないスライム状のものが蠢いていた。
色は茶色がかった緑色だ。
「あれが魔女か」
「そ、そうだ」
アキオはPS濃度を確かめる。
『通常の約9800倍の濃度――』
ミーナが絶句する。
『ア、アキオ、息苦しくありませんか?体調は』
「問題ない。落ち着け」
カマラを落ち着かせるよう、穏やかに言う。
アキオは階段を降り切ると、プールに向かって言った。
「お前がアルドスの魔女か」
プールの一部が盛り上がり、スライムが首長竜の首のようにアキオに伸びてくる。
扁平な、その先端に窪みが3つできた。
目と口を模しているようだ。
〈そう、だ。我はいま、そう呼ばれ、ている〉
一番大きな窪みから声がする。
かつて戦場で声帯を失った兵士に与えられた人工声帯による発声のように、微妙に震えた声だ。
言葉も途切れがちで分かりにくい。
しかし、その声に敵意は感じられなかった。
アキオはP336をホルスターに戻す。
〈我、に、何用、だ〉
「お、お前が捕まえている男を返せ」
エルミが震える声で叫ぶ。
〈ダ、メだ。三年ぶ、りの人間の男だ〉
「すぐに解放するのだろう」
アキオが言う。
〈すぐで、はない。濃厚、な、数日、の後だ〉
『濃厚!』
マクスの声が響く。
「捕まえた男に何をしている」
〈我は、会話、する〉
「向かい合って話すのか」
〈違、う。記憶、と記憶、気持ちと気持ち。直接つな、ぐ〉
アキオは目を見開いた。
「ダメージは」
〈な、い〉
「本当か」
〈疑うな、ら試せ〉
『ダメよ。アキオ』
ミーナが止めるが、すでに彼の気持ちは決まっている。
魔女は精神を直接つないで話すことができると言っているのだ。
もしそれが事実ならば、記憶の保存と復元、ひいては消失した精神の再現への道が開けるかもしれない。
データ・キューブはもちろん必要だが、それ以上に彼は精神感応について知りたかった。
「今、捕まえている男を開放しろ。俺が代わりになる」
そう言いながら、アキオはインナーフォンの音声をオフにする。
〈やめ、ておこう。一度つな、いだ心をつなぎ変え、るのは面、倒だ。つ、ながるなら、この男の次だ〉
「俺の話の方が面白い。保証する」
アキオが真顔で言い切る。
「いますぐ代わるか、やめるかだ」
魔女はしばらく黙り込んだ。
やがて、
〈分か、った。この男を開、放する。代わりをお、前がしろ〉
魔女の言葉と同時に、壁ぎわの膨らみがほどけて、中から男が現れた。
「ポラン」
エルミが駆け寄って抱きつく。
「エルミか……」
しばらく、ぼんやりとしてた男は徐々に瞳に光を取り戻していった。
「立てるか」
女傭兵にすがって男が立ち上がる。
「行け、あとは任せろ」
心配そうにアキオを見るエルミに、うなずいて立ち去るように促した。
アーム・バンドに触れて、彼女のコクーンのPS透過率を調整し、2時間後に消滅するように設定する。
「強化魔法を使ってもいいぞ。ただし、2時間以内に荒野を出ろ」
「わかったよ」
「さあ、始めようか」
二人の傭兵が階段の上に消えると、魔女に向かってアキオは言った。