074.国境
「しかし、やっぱりナノクラフトはすごいね」
「なんなんです、いきなり」
「いや、あんたには、いってもわからないだろうね、マクス」
朝、メイン・ルームのテーブルに着く二人が話をしている。
彼女たちの前には、お茶とピアノが焼いていったらしいパオカゼロが置かれてあった。
アキオはふたりの向かいに座って、固パンを食べている。
「普通ね、他人とくっついて寝たら、次の日の朝、体中が痛くなるもんなのさ。ねえ、アキオ」
同意を求められても、アキオには何も言えない。
彼も、ナノ・マシンを体内に持つまで他人と一緒に寝たことはないからだ。
「マクス、あんたは今まで、独りで寝たことしかないから知らないだろ」
「驚きました」
緑の髪の美少女が目を丸くする。
「ユイノさんって、アキオに会う前から他の男の人と寝てたんだ。それって――」
マクスは腕を組んで頬に指を当て、
「不潔ですよ」
「ちちちちち違うよ、何をいうんだいこの子は」
「あはは」
マクスが笑う。
「焦ったときのミーナみたいになってる」
「違うよアキオ、舞踊団のキャラバンでいろんな街を巡った時に、他の踊子たちと一つの毛布で寝てたからね、そのことをいってるんだ」
「シャランたちだな」
「そうシャランだよ。ナノ・マシンが身体に入るまで、あたしは寝相が悪くてね。あの子にも迷惑をかけたよ」
「寝返りを打つのは自然よ。今は、ナノ・マシンによる標準強化で静かに寝ようと思えば眠られるようになってるでしょうけど」
「でも、ユイノさんには、他のものもありますね」
「なんだい」
舞姫が警戒した顔になる。
「朝起きた時、アキオの胸によだれが」
「わー、うそうそ、うそだろ。ねえ、アキオ」
「マクス。あまりユイノをからかうな」
「このーマクス。黙っていたら好き放題いってくれるじゃないか」
立ちあがったユイノが、マクスに抱き着いて身体をくすぐる。
真紅と緑色の髪の少女が、きゃっきゃいいながらじゃれあう後ろをカマラが通り過ぎた。
アキオの前に立つ。
「おはよう、アキオ」
「ああ」
「これを」
そういって差し出した手の上には、カプセルが5つ置かれていた。一つだけ色が赤い。
「あれから少し工夫して、90パーセントまで制度を上げました。誤差は5パーセント、今のところ、これが限界です」
「これは」
アキオは赤いカプセルを示す。
「探査カプセルです。これも誤差5パーセントで、それほど精度はよくありませんが周辺のPS濃度を調べられます。他にもセンサー類を組み込んでいるのでお使いください。数値はアーム・バンドで確認できます」
アキオはカプセルを受け取った。
「ありがとう」
そのまま、アキオの前で立って、もじもじする少女を見つめる。
「引き寄せて」
耳元でミーナに言われ、反射的に手を引く。
とん、という感じでカマラがアキオの上に倒れこんで座った。
彼の胸にもたれる。
「行くのですか」
「午前中に出るつもりだ。これはありがたく使わせてもらう」
「はい」
カマラの手がアキオの胸に触れ、彼がそれを上から押さえて握りしめた。
マクスとユイノは、いつの間にかじゃれあうのをやめて、それを見ている。
アキオはアーム・バンドに目をやり、
「昨夜は無理をしたようだな。少し寝るんだ」
「見送ったら寝ます」
「約束だ」
「なんかねぇ」
「恋人同士みたいに見えるのが癪にさわるねぇ。色もいい感じだし」
「何いってるのよ。傍から見てたら、あなたたちだってあんな感じよ」
「そ、そうかね」
「なんだか、そんな気がしてきた」
「それより、早く朝ごはんを食べないと、アキオは出かけちゃうわよ」
ミーナに指摘されて、ふたりは、猛然とパオカゼロにかじりつく。
「では、行ってくる」
ジーナを出たアキオが振り返った。
今回の彼の装備は、いつものライフル、銃、ナノ・ナイフとナノ・コートだ。
加えて、カマラに執拗に迫られた戦闘用ナノマシン(NMC)とコクーン・シールドのバングルも装着している。
天気は快晴だ。
明るい太陽が新雪を煌めかせ、ジーナを輝かせている。
「場所は特定できたのですか」
あとをついて出てきたカマラが尋ねた。
「まだだ。だがユスラやミストラが調べてくれているから、すぐにわかるだろう。とりあえずエストラ王国との国境に向かう」
「寂しいです」
「いつでも話はできる」
「この国とエストラの国境ってことは、パルナ山脈だね。難所だよ。キャラバンが行方不明になったのは街道沿いなんだろうけど」
「国が仕立てたキャラバンだから変な道は通らないはずだよ。でも、エストラまでの道なら、街道といったって通る街は少ないだろうけどね」
ユイノとマクスが口々に話す
「行き方としては、パルナ山脈近くで街道に入ってエストラに向かうといいわね。アイギスを飛ばした時に、大まかなマッピングは完了してるから、バンドのディスプレイで確認して」
ミーナが言った。
「では、行く」
そういってアキオは走り出した。
後ろは振り返らない。
『ジーナを出ていくのは3回目ね』
走り始めてしばらくすると、ミーナが話しかけてきた。
「そうだな」
1回目はコフを探しに出かけ、カマラと出会った。
2回目はキューブを探しに出て、キイと出会った。
アキオがそう言うとミーナが笑う。
『まさか、もう美少女とは出会わないでしょうね』
『これ以上、ⅩⅩを増やす必要はないと思います』
少女の声が割り込む。
『女性といいなさい、カマラ』
「君は寝るといった」
『もうすぐ寝ます』
「これから向かう先に、変わった魔獣はいるのか」
『一応、調べてあるわ。アルドという体長2メートル程度のライオンに似た魔獣くらいね。危険なのは』
ミーナが言う。
『アルドか。普通なら傭兵団を率いて退治に出かける魔獣だけど、アキオなら問題なさそうだ』
マクスの声がする。
「魔法は何を使う」
『ほとんどは強化魔法ね。たまに。炎球を使うのもいるらしいわ』
「空を飛んだりしないんだな」
『飛ばないわよ。今のところ、飛行魔法を使う魔獣も確認されていないから』
「了解だ」
そう答えて、アキオはさらに加速した。
『なぜ、今回は例のロケットを使わないんだい』
『あれは、ジーナの備蓄品とエネルギーを相当使うから、急ぎでない時は走る方がいいのよ』
『アキオ』
2時間ほど走った時、ユスラの声がした。
『もうエストラに向かっているのですね』
「キューブが待っているからな」
『今、情報を集めているところです。今夜にでも詳しくお話できると思います』
「たのむ」
『キイもピアノさまも一緒に行きたがっていますよ』
「まずは、そちらで、できることに専念してくれ」
そう言ってアキオは呼びかけた。
「ピアノ」
『はい』
「キイ」
『なんだい』
「ユスラを守ってくれ。狙われる可能性が高い」
『分かっています』
ふたりの声が重なる。
『でも、何かあったらすぐに呼んでくださいね』
『絶対だよ、主さま』
「わかった」
アキオは苦笑する。
今までの自分の行動ミスで、少女たちは過度に心配性になっているらしい。
さらに数時間後、陽が傾き始めた頃には、アキオは避暑地ポカロよりかなり東、エストラ王国寄りまで進んでいた。
その頃になると周りの景色に変化が現れる。
走っているのは、それまでと変わらず樹林帯だが、植生がサンクトレイカとは、まったく違うものとなっていた。
まるで、高山で森林限界を超えたように低木が多くなり、木の葉の色も濃緑色より黄緑色が目につくようになった。
空には雲が広がり、雨は降らないが濃いめの霧によって細かい水滴がコートに雫をつくる。
地面は苔に覆われ始めた。
「苔が多いな。これがエストラか」
『エストラというより、パルナ山脈の天候による植生ね』
ミーナが答える。
『山脈を越えても苔は多いみたいだけど』
『アキオ』
インナーフォンに少女の声が響いた。
「ユスラか」
『キューブが消えた位置がわかりました』
『義兄の部下が調べ出したのです』
ピアノの声だ。
『手元に地図はありますか』
「待ってくれ」
濃霧の中、アキオは立ち止まると、アーム・バンドのディスプレイにマップを表示する。
地図には、ミーナが大まかな地名を書き込んでくれていた。
「いいぞ」
『街道を通って、パルナ山脈を超えた北側に、アルドスという荒れ地があります』
「あるな」
『その付近で、キャラバンは襲われたようです』
「襲ったのは盗賊か」
『いえ、実はアルドスには、古来より有名な怪物が住んでいるのです。その名は――アルドスの魔女』
「魔女。女の魔法使いか」
『――おそらく違います。アルドスの魔女は文字通りの怪物なのです。もう100年以上前からアルドスの地に住んでいて、定期的に近くを通るキャラバンを襲っています』
『あたしたち踊子が、滅多にエストラに行かない理由のひとつがそれさ』
「魔獣なのか」
『詳細はわかりませんが、証言を聞く限り魔獣ではなく、他所では見たことのない怪物のようです』
「その怪物が、キャラバンを襲って人を食った」
アキオの脳裏にゴランが浮かぶ。
『いえ、不思議と人は殺めないのです。今回は西の国のキャラバンがエストラに赴き、荷を受け取った帰りだったのですが、ほとんどの隊員が無事で、その者たちがサンクトレイカまで逃げ延びたため、早期に事件が発覚したのです』
「怪物、か」
『エストラ領内なので、他国からは討伐隊を派兵できない上、なぜか代々のエストラ王も怪物の討伐には及び腰なので、長らく怪物は野放し状態です』
『アルドスの魔女――魔女でしたか』
ヴァイユの声だ。
『アキオ、今回は、よした方がいいんじゃないかい』
ユイノが言う。
『少なくとも、あたしたちの誰かがそこに行くまでは』
「怪物は人を殺さないんだろう。心配するな』
『あたしが心配してるのはそこじゃないよ』
『あ、やっぱり』
マクスが言う。
『ユイノは、魔女っていうのを心配してるんだよ』
『なるほど』
少女たち全員の声がそろう。
『またひとり増えるかもしれないからね』
『まさか、あの有名な怪物ですよ』
ミストラの声だ。
『でも、アキオだから』
『そう、アキオだからね』
『アキオ、可愛そうだからといって、なんでもかんでも連れて帰ってきてはいけませんよ。皆が困ります』
ユスラが釘をさす。
『ふふふ』
ミーナが笑った。
『まるで、見つけるたびに野良猫を連れ帰る子供みたいね』
『ああ、ポジに似た地球の生き物だね』
ユイノが言い、
『みんな心配しすぎだよ。いくら主さまでも怪物は連れ帰らないだろう』
『だといいけど』
遠く離れた少女たちから、口々に好き放題言われてアキオは苦笑する。