073.秘密
「ミーナ、いるんでしょう」
カマラが工作室に入り、扉を閉めて、AIを呼んだ。
「なぜ今まで黙っていたの」
「何を?」
「地球の話よ」
「地球の話だから。この星には関係ないわ」
「違うでしょう。すべての生き物にナノ・マシンが入る。そんなことは通常あり得ない」
「カマラ――」
「それを実現するには、惑星規模のナノ・マシン量が必要になる」
少女は続ける。
「それに、世代を超えて、いつまでもナノ・マシンが生物の体内にいるのもおかしい。電気ショックを与え、ナノ・マシンを機能停止させて体内から除去することもできたはず」
「当時のナノ・マシンは電気ショックに強かったの」
「電気に強い?やはり――」
カマラは目を細める。
「N型だったのね」
「わかってちょうだい」
「わかったわ。やっぱり彼女、すべては彼女なのね」
そういって、カマラは飛び出すように部屋を出て行く。
「聞いたでしょう。アキオ」
ミーナはプライベート・モードでアキオに話しかける。
「ああ」
「あなたが倒れた時、カマラは彼女を見てしまったの」
「そうか」
「だからね――」
「わかった。折を見て俺から話す」
「優しくね」
「努力する」
ギャレーから出てきたユイノは、カマラが工作室から自室へ早足で入るのを見送った。
テーブルに近づき、アキオがミーナとのプライベート通話を終えるのを待って、お茶のカップを置く。
「ユイノ、話がある」
彼女が席に着くと、アキオが言った。
「なんだい」
「しばらく留守にするから、マクスとカマラの面倒を見てやってくれ」
「どこかに行くのかい」
「キューブを取りにいく」
「独りでかい」
「その方が自由に動ける」
「まあ、あんたがそう決めるなら、それに従うけど……」
「マクスはまだ女性の手助けが必要だろう。カマラもああ見えてまだ子供だ。君は――まあ大人だ」
「その間と、まあっていうのが気にかかるね」
ユイノは明るく笑う。
「分かったよ」
「頼む」
アキオはカマラの部屋をノックした。
「はい」
返事がして扉が開く。
「泣いていたのか」
「違います」
少し眼を赤くした少女がきっぱりと否定する。
「話がある。実験室に来てくれ」
「わかりました」
カマラはアキオに続いて実験室に入る。
扉が閉まると、少女はアキオの背中に抱きついた。
「どうした」
「どうもしません――」
アキオが振り返った。
カマラはアキオを見る。
言いたいことはたくさんあった。
なぜ、地球はナノ・マシンで満たされたのか、なぜ、あの状態の彼女を大事に保存しているのか、なぜ、なぜ、なぜ……
しかし――彼女は唇をかんだ。
分かっている。
その理由を理解しているからだ。
それが、彼女が愛するアキオの存在理由だからだ。
彼女の存在理由が彼であるように。
「聞きたいことがある」
少女の煩悶に構わず、アキオがドライに言った。
「何でしょう」
強制的にカマラは気持ちを切り替える。
思い悩んで思考を停止させる女を、アキオは好まない、彼女はそう信じているからだ。
「この間、作ったPSPの原理をまとめた。正しいかチェックしてくれ。そして、もう一度最初から、魔法についてわかっていることを教えてほしい。前回は小型化と軽量化に時間を取られて、理論を深く聞くことができなかった。質問があれば、その都度する」
そういって、壁のディスプレイにデータを表示する。
「わかりました」
少女は銀色の髪を軽く振り、気持ちを切りかえて話し始める。
「まず、メナム石についてですが……メナム石は、石のように見える結晶状のポアミルズ胞子の内部で、中心にあるクマムシが、まわりのPSを少しずつ使って継続的に発光魔法を行い、明かりの役目を果たします」
「だから、PSのない街の中でも使えるんだな」
「そうです。メナム石の原理は、魔法使いが、周辺にあるPSを使って雷球を生じさせるのと同じです。人間の場合、脳が命令を出し、胸のWBがそれに応じて魔法を発動しますが、メナム石は底部に挟み込まれた石片が、脳の代わりにその命令を発しているのです」
「よく見つけたな」
「魔法の発動に絶対必要な3要素は、PS、WB、脳です。メナム石に、その2つまでがあるのなら、必ず脳の代わりをするものがあると考えました」
カマラは机に置かれたメナム石を手に取る。
「これを分解したところ、1センチ四方の薄い石板を見つけ、CP、制御版と名付けました。色がPSとほぼ同じなのでよほど注意しなければ見つけられません」
知識のほとんどすべてを、ジーナで獲得したカマラは、この世界の人間というよりは地球人に近い精神構造を持っている。
第一言語は地球語で、単位の基準、度量衡は地球ベースだし、この世界固有の知識はすべて伝聞だ。
「しかし、メナム石ほど、この世界でよく使われているものなら、誰かが気づいてもよさそうだが」
「メナム石を破壊したことは?」
「ないな」
カマラの右手に、魔法のように杖が現れた。
手にしたメナム石を軽く弾く。
破裂音がして、メナム石が霧散する。
「極低温、高圧下で分解しないとこうなります」
「それではCPは見つからないな」
「そうです。CPを分析すると、それがドラス石という化石であることがわかりました」
「ドラスという動物は見たことがない」
「何万年も前に死滅した生物で、今は化石でその存在がわかるだけです」
「恐竜みたいなものか」
「実は、ドラス石というのは、この世界で良く知られた石です。人の気持ちや単純な思考を、少しだけ焼き付けることができる。旅立つ人への愛しい気持ちや、離れた者への恋しい想いを伝えることができる道具です」
「かつて、彼女から『漆器の箱』の話を聞いたわ。あの時、これがあれば――」
ずっと沈黙を守っていたミーナが声を出す。もちろん、アキオにだけ聞こえるプライベート・モードだ。
「それを聞いた時には、精神保存への手掛かりが見つかったと思ったが――」
「残念ながら、そんな複雑なものは保存できません」
「ドラスの子孫は残っているのか」
「いないようです。突然、絶滅したのです。王立文書館に行かないと、正確なことはわかりませんが……あまり研究は進んでいないようですね」
「WBの下に、激しく発光する命令を書き込んだドラス石を置いて、薄く加工したのがPSPというわけだな。音声認識装置を付け加えて」
「そうです」
「魔法使いで、発光魔法を使う者はいるのか」
「ユスラやミストラ、ヴァイユのように、この世界に詳しい人に聞きましたが、いないようです」
「PSPが機能するということは、使えるものがいてもおかしくはないはずだ。閃光発音魔法が使えたら、敵の制圧に役立つと思うが」
「それはどうでしょう。これまでの研究で、WBは、一度受けた命令で魔法を固定化してしまうことが分かっています。ひとつしか持てない魔法を、実効のない光魔法にしてしまう者はいないのではないでしょうか」
アキオは思い出す。
「君は火球だったな」
「そうです。ほかの魔法を使おうとしても発動しません」
「ゴランのように、複数のWBを取り込んだ場合の変化は」
「研究中です」
「イニシエーションについては」
「単純にいってしまえば、人の体にWBを埋め込む作業ですね。仰々しい名前と儀式を行うらしいですが、それだけのものです」
「WBは人を選ぶのか?好成績を上げないと受けられないと聞いたが」
「ただの格差づけでしょう。そうでないと――」
カマラは、妖艶、ともいえる笑顔を見せる。
「わたしにWBが埋め込まれているはずがありません」
「飛行魔法は」
「あったようです。ミーナから聞かれたかも知れませんが、ここよりもう少し極北で、破壊された飛行要塞の残骸を見つけましたが、その周辺にPSはありませんでした」
「そいつがPSを使い切って落ちたのか、PSがない場所に来たから落ちたのか、だな」
「飛行は実用的なので、時間を作って飛行魔法を発動しようとしていますが、まだうまくいきません」
「魔法使いで飛べるものは」
「噂では何人かいるようです。もっとも、それは『魔法の国』であるエストラの中での目撃談ばかりですが」
「エストラか――」
アキオはつぶやき、
「PSPによってPSを消し去ることはできた。次はPSを閉じ込めて封印、移動ができるかどうかだが」
「うふふ」
カマラが可愛く笑う。
研究成果を話すうちに、元気が出てきたようだ。
「それは、かなり進展しています」
「かなり」
「アキオは知っているでしょう。PSは次元的に実体レベルが低いから、摩擦力などの物理法則の影響を受けにくい。だから風で移動したり拡散しない。でも、量子力学的には、ナノ・マシンと同等に近い存在になる」
「そうだな」
「はい。PSとナノ・マシンは、そのサイズから量子力学的に影響を及ぼしあえるのです。隔離方法はコクーンがヒントになりました。コクーンは、生体を模した化学膜にナノ・マシンをコーティングして使いますね」
「そうだな」
「それを利用すれば、PSを完全に隔離することはできなくても、限定するフィールドはできるはずです。実は、プロトタイプはもうできているんです。今は、もう少し、強度を上げるために、分子間力を利用しようとしているところです」
「プロトタイプはあるのか」
「はい」
「見せてくれ」
カマラは、壁に作りつけのキャビネットから透明な結晶を取り出した。
それは小さな石片の上に乗っている。
「これはPSを取り除いたメナム石です。スイッチをいれると、周りの空間のPSを使って光ります」
少女が触れると結晶は優しい光を発した。
「これが、PS限定フィールド発生装置です」
そう言いながらカマラは机の上の小さなカプセルを手にすると、結晶の近くでボタンを押した。
小さな破裂音を響かせて、結晶をぴったりと透明な膜が包む。
すぐに光が消えた。
「今は、対象とPSLFを0距離にしたので、すぐに効果が出ました」
「実用レベルだな」
「いえ、まだ駄目です。見てください」
少女が結晶を指さす。
カマラの指の先で結晶が光り始める。
「完全に遮断できていないのです」
「どの程度だ」
「遮断率は85パーセント、プラスマイナス8パーセントですね」
「パーセンテージは変えられるのか」
「0から85パーセントまで、無段階で変化できます」
「消費エネルギーは」
「ナノ・マシンですから、常温以上であれば、働き続けます」
「明日までに5ユニット用意できるか」
「は――アキオ、でかけるのですか」
「キューブを探しにでる」
「ではわたしも」
「君には、ポアミルズ胞子限定フィールドの完成度を上げて欲しい。今後、エストラとぶつかることもあるだろう。対抗する手札は多い方がいい。頼むカマラ、君が頼りだ」
銀髪緑眼の少女は目を見張った。
ついで、耳の先まで真っ赤になる。
「やる、やります。アキオがそんなに頼ってくれるなら、何としてもやります」
「無理はするな」
「はい」
その夜、カマラは添い寝に来ず、マクスとユイノがやって来た。
しばらく留守にするので、アキオも無理に追い返さずふたりを両脇に抱いて寝る。
そうしていると、どちらも小柄で体温が高いので、ネコ科の小動物を抱いている気分になってくる。
相変わらずマクスは愛情表現が全開だ。
裸同然の格好でアキオに抱きつき、脚を絡めてはさみ込む。
そのまま、しばらく身体を擦りつけていたが、連日の学習で疲れているのか、すぐに静かな寝息を立て始める。
今夜はユイノもかなり積極的だった。
「珍しいな」
アキオの言葉に、彼の耳を甘噛みしていた赤髪の舞姫は頬を合わせる。
「久しぶりだからね。いいだろう」
「もちろんだ」
「ありがとう」
そういって、下に下がってアキオの胸に頭を預ける。
「あたしもね」
ユイノはアキオの手に自分の手を重ねた。指と指を絡める。
「マクスと同じなんだ。こんなに幸せだったことがないから、もうすぐ終わってしまいそうな気がして仕方がない」
「そうか」
アキオは、どう言ってやればよいかわからず、震えるユイノの頭を抱きしめてやった。
彼女は顔を上げ、伸びあがると唇を重ねる。
勢いがつきすぎて、歯と歯が当たって音を立てた。
アキオは、横に並んで寝ていたユイノの体を片手で持ち上げて、半身に乗せて抱きしめてやる。
紅髪の少女は、はっとした顔になり、
「アキオ、アキオ」
小さく彼の名を呼びながら、マクスのように脚を絡めてきた。
柔らかく暖かい太腿の感触が心地よく彼の脚を締める。
「本当に珍しい」
アキオがつぶやき、そのまま背中をゆっくりとさすってやると、ユイノは彼に頬を合わせたまま、寝入ってしまった。
彼は、しばらくユイノの顔を見ていたが、やがて目を閉じ、少女たちが悪い夢を見ないように、ふたりの肩を抱くと眠りに落ちるのだった。