071.予感
「可愛いわよね」
「そうだねぇ。わかるよ」
ジーナに戻りながら、ユイノとミーナが話している。
「何がだい」
マクスが尋ねる。
「あの娘たち、林に隠れるまで、ゆっくり歩いて行っただろう。あれは行きたくないからだよ」
「そうだね」
「俺が行けばよかったか」
アキオが言う。
「やっぱりそう取るんだ。さすがアキオだよ」
ユイノが感心する。
「違うんだ。あんたと離れて出かけるのが嫌だったんだよ。でも、怪我から治ったばかりのあんたに無理をさせたくない。だから、あの娘たちだけで行ったんだ」
「そうね。それと、おそらくミストラは外交面、ヴァイユは資金面の準備をしに戻ったんでしょう」
「戦争をするつもりはない」
ジーナの入り口で振り返り、晴れた空を見上げながらアキオが言う。
「敵が特定できれば、直接殺しに行くだけだ」
「相変わらず、物騒なことをいうね」
「本気なのが問題だけど」
ミーナが困ったような声で言い、
「でも、アキオらしくて好きだよ」
マクスはほれぼれとした顔でアキオを見つめる。
「ところでマクス、あんたはこれからどうするつもりだい」
ジーナのメインルームに入り、テーブルに着くと、ユイノが尋ねた。
「どうって、死ぬまでアキオと一緒にいるよ」
「あんた、家督はどうするのさ」
「キイに頼んでおいたよ。ボクは死んだって伝えるように」
弟がいるので問題はないと彼女は言う。
「でも、あんたは生きてるだろ」
「女の子になったからね。親には死んだと思わせてほうがいいさ」
「しかしねぇ」
「ユイノ、急がなくてもいいでしょう。しばらく時間を置いたほうが良いこともある。とりあえず、わたしたちがマクスを預かると伝えてもらうよういっておいたわ」
「……そうだね。でも、マクス。あんた、ここで何をするのさ」
「アキオのお世話!」
間髪をいれずにマクスが言う。
「料理を勉強して、アキオに美味しいものを食べてもらって、夜は一緒に寝て可愛がってもらう」
立ち上がってマクスが叫ぶように続ける。
タイトなワンピースの中で、つつましくも誇らしげに膨らんだ胸が揺れ、豊かな濃緑色の髪が波打つように整ったマクスの顔のまわりでざわめく。
ひざ丈のスカートからのびた脚は、名のある彫刻家が精緻に彫ったように美しかった。
「あ、あんた」
まるで新婚の幼な妻のような発言にユイノが言葉を失う。
ディスプレイ上のミーナの口も開いたままだ。
アキオの表情は変わらない。
「それでは駄目」
今まで全く言葉を発しなかったカマラが言った。
「どういうこと?」
「残念だけど、アキオは料理の味に興味がない。そして、わたしたちと一緒に寝るのも、お風呂に入るのも好きじゃない。どちらかというと困っている。わたしたちのわがままに付き合ってくれているだけ」
「カマラ……あんた」
「わかってるのね」
「マクス、あなたにいっておく。アキオに必要なのは、女でも女の子でも妻でもない。研究を助けてくれる仲間よ。あなたが――」
そういって、エメラルド・グリーンの瞳をした美少女は、濃緑色の髪の少女を指さし、
「アキオと共にありたいなら、何か彼を助ける能力を持ちなさい」
そう断言する。
「美しさや可愛さでアキオの心は動かない。そこに彼の基準はない」
そういって、カマラの口調は限りなく優しくなる。
「あなたならわかるでしょう」
マクスはうつむく。
握った拳が震える。
「そ、そうだね。わかるよ、わかってるよ――でも」
そういって、少女は顔を上げる。
「でも、ボクはずっとアキオと一緒にいたいんだ。なんだか、とても……時間があまりない気がするから」
「なにをいうのよ。わたしなんか何百年も一緒にいるのよ。あなたが望めばずっと一緒にいられるわよ」
「ミーナ」
アキオが調子にのるミーナをにらむ。
「――そうだね。わかったよ、カマラさん」
マクスは、カマラに近づき、少女の手を取った。
「アキオにとって、役に立つこと教えてくれる?」
「もちろん。あなたが手伝ってくれたら助かる」
カマラがマクスの手に自分の手を重ねた。
「まったくあなた不在のまま話が進むわね」
ミーナが、笑いながらプライベート・モードでアキオに囁いた。
昼食を食べると、その日の午後いっぱいと、夕食後もカマラとマクスは姿を見せなかった。
珍しくユイノがお茶をいれ、アキオをかいがいしく世話する。
「ごめんよ、ピアノみたいにうまくいれられなくて」
「ちゃんとした、飲めるお茶だ」
「それって誉め言葉なんだろうね」
『アキオさま』
アーム・バンドがわずかに光り、ミストラの声が響いた。
「着いたか」
『はい、ふたりとも無事に街につきました。わたしは明日、首都シルバラッドへ向かうつもりです』
「気をつけてな」
『はい』
『わたしは、シュテラ・ザルスの屋敷で仕事をします』
続いてヴァイユの声が響く。
「無理をするな」
『はい。わたしの体調――バイタルはおわかりでしょうから、無理するようなら、お叱りくださいね』
「そうする」
「まったく、アキオは大甘なんだから」
通信を切ると、ユイノが笑って話しかける。
「通常の交信だろう」
「ま、そこがあんたのいいところだろうね」
夕食前に、キイから到着したと簡単な報告が入った。
これから、マクスの件について両親と話すらしい。
詳細報告はまた明日する、といって彼女は通信を終えた。
食後も、カマラとマクスは姿を見せなかった。
アキオは、マクスの体調維持のために、今夜も風呂に湯を張ることにした。
昨日と同じように水を作り、ヒートパックで温める。
個人用の浴槽を使うことは、もはや諦めて解体してある。
適温になると、マクスに割り当てられた部屋に声をかけ風呂に向かった。
さりげなくユイノがついてきて一緒に風呂に入る。
しかし、舞姫は恥ずかしがって、背を向けて湯船の一番端でつかるだけだ。
「そんなに恥ずかしいなら、あとで独りで入ればいいのに」
ミーナが、からかう。
しばらくして、カマラとマクスがやって来た。
少女たちは、まったく躊躇なく服を脱いでかかり湯をすると湯に入り、泳ぐようにアキオに近づいて左右の腕にしがみつく。
「どうだ」
アキオはマクスに尋ねる。
「なんとかやってるよ。ナノ・マシンで脳を学習モードにしてね」
「無理をするな。身体は、まだ本調子じゃないはずだ」
「わかっているよ。ありがとう」
アキオは空を見上げ、繭で見えない空の上の月を想像した。
彼は複雑な満ち欠けをするこの世界の3つの月を気に入っているのだ。
マクスがアキオの肩の上に首を預け、カマラもアキオの肩に頬を当てる。
ユイノが少しずつ近づいてくるのに気づいたふたりが、照れ屋の舞姫の手をもって、アキオの胸元に押し付けた。
「あわわ――」
「本当に『あわわ』っていう人を初めて見たよ。ユイノさんって可愛いね」
マクスがコロコロと朗らかに笑う。
入浴後、アキオは研究室でポアミルズ胞子消滅器の理論を備忘録としてまとめる。
一段落したところで自室に戻り、寝ることにした。
ひと晩ぐらい寝なくても問題はないが、少し前に死にかけた身体なので、無理はしないでおく。
明かりを消してしばらくすると、カマラがやって来た。
静かにベッドに入ってくる。
「今日は早く寝るんだ」
少女も昨夜は徹夜だったのだ。
カマラはうなずき、
「こうした方がよく眠られる」
アキオの胸に手のひらと頬を当てて言う。
「今夜はユイノが譲ってくれた――」
「そうか……」
どうやら、アキオの身体は彼が思うほど彼自身のものではないようだ。
カマラの銀色の髪を指で梳き、頭を撫でてやる。
指から離れた髪は、すばらしい弾力で光りながら彼の胸へ流れた。
「マクスの……」
気持ちよさそうに目を細めながら少女が囁く。
「ん」
「彼女の言葉」
「ああ」
「あまり時間がないって」
「君もそう思うか」
「ええ――なぜでしょう」
「態度から、俺が君たちを捨てると思うからだろう」
「ううん」
カマラは首をふる。
形のよい鼻が胸に当たった。
「アキオがそんなことをしないのは、みんな知ってる。でも――予感?」
アキオは苦笑する。
生死を賭けた戦いを続けてきた身として、彼もそういった兆候には敏感な方だ。
だが、それは第六感などという超常的なものではない。
風に乗る敵車両のほのかなオイルのにおい、空に広がるドローンを隠す厚い雲、似たような地形で受けた奇襲攻撃の記憶による既視感。
すべて根拠があっての判断だ。
「予感はない。もしそう思うなら、俺が自然に君たちに不安を与える行為をしているからだろう。気にするな」
「ずっと一緒にいる?」
「――ああ」
返事が少し遅れた。
そういう態度が少女たちを不安にするのだ。
アキオはカマラの不安を消すように、少しきつめに抱きしめてやる。
いずれ、全員をこの世界で独り立ちさせようと考えていたとしても、今、それを言ってもよいことは何もない。
しばらく抱いていると、カマラは落ち着いた寝息を立て始めた。
アキオも目を閉じて眠る。
目を覚ますと、アキオの視界に銀と赤の色彩が入ってきた。
彼の胸の上で、ユイノとカマラが、頬が触れそうな距離で眠っている。
ユイノが譲ったのは、寝るまでの時間だったようだ。
体内時計では五時前だ。
薄明りの中で、あどけない美少女ふたりの顔を眺め、寝息を聞いていると、彼も再び眠りに引き込まれていく。
ふたりの上にシーツをかけると、彼は眼を閉じて、もう一度眠りに落ちるのだった。