068.交歓
大浴槽を完成したアキオは、自分の個人浴槽を作り始める。
幅1.2メートル、縦1.9メートル、高さ0.8メートルの浴槽はすぐに完成した。
2つの水槽を少し離して並べ、身体強化した体で雪を運び込んだ。
ヒート・パックを投げ込んで、雪を溶かす。
完全に溶けたところで、ナノ・マシンを用いて水を浄化した。
次に、コクーン発生装置を浴槽横に設置して大きさを指定する。
一瞬で浴槽全体を包むコクーンが完成した。
全体が灰色で不透明だ。
これで、目隠しの幕がいらなくなった。
扉部分は色と強度を変え、薄膜を破って出入りするようにする。
破られた部分はすぐに修復されるため、冷気は侵入できない。
自分用の浴槽にも同様のコクーンを展開し、作業を終えた。
「アキオ!」
ジーナに戻ろうとした彼をユイノが呼び止める。
「ちょっとこっちへ来ておくれ」
彼女の呼びかけに応じて、巨大な浴室コクーンの陰から出ると、そこには、まっ平らな雪原が広がっていた。
かなり広い。
さっきまでは、ただの雪の積もった地面だった。
だが、今は何か固いものを使って雪を押し固めてつくられた広場となっている。
そういえば、作業をしている間、パタパタという音は聞こえていたが、何をしているかはわからなかったのだ。
「すごいだろう。全員で作ったんだよ」
「マクスもか」
「彼女はわたしが寝かしつけたから、いないよ」
キイが笑う。
彼は、少女たちが妙にひらひらした服を着ていることに気づく。
「その服は」
「いいだろう?ミーナが用意してくれてたんだ。気が利くね」
「さすが姉さんだ」
「それで――」
なんとなく嫌な予感がして、アキオは及び腰で言う。
「踊るんだ、アキオと」
嫌な予感は当たった。
「いいだろう、アキオ」
「いや――」
「アキオは願いを聞いてくれます。明日から、別れ別れになるのですから」
背後から投げかけられる断定口調に振り返ると、桜色のドレスを着たユスラが立っていた。
ふたりで街を回ったときのようにスカートの丈が短い。
ユスラの後ろには、それぞれドレスを着た少女たちが控えている。
「アキオ、あきらめて。みんなユイノとヴァイユたちの話を聞いてしまったから、踊りたくてしかたがないのよ。さっきユスラが言ったように、明日から離れ離れになるから――」
「わかった、踊ろう」
アキオは決断する。
だが、もともと貴族だったものは踊ることができるだろうが、キイとカマラは大丈夫なのだろうか、そうミーナに聞くと、
「ユイノが教えていたから大丈夫よ。彼女は教えるのもうまいから」
「了解だ」
そう言いながらピアノが手渡すナノ・コートをアキオは羽織る。
「しかし――」
陽の傾きかけた雪原に立つ少女たちを眺めてミーナがつぶやく。
アキオにだけ聞こえるパーソナル・モードだ。
「こうも美人さんが並ぶとなんか圧巻よねぇ」
「そうか」
「え、それだけ?」
「だんだん寒くなっているが、ナノ・マシンのおかげで体調を崩しているものはいないようだな」
アームバンドに目を落としてアキオが言う。
「ちょっとアキオ。バイタルで彼女たちを評価しないでね。姿を見てあげて。踊りながら褒めるのよ。みんな今日一日、いろんな仕事で頑張ったんだから」
その仕事のうちには、ダンスのための広場づくりも入っていたのだろう。
最初にユイノが近づいて、手を差し出した。
彼女は紅い髪に合わせた赤いドレスだ。
「よろしく、アキオ」
彼が、ユイノの手をとると踊子は1、2、3の掛け声で踊り始める。
例によって音楽はない。
そして、今回は前に踊った時のように、ゆっくりと始めたりはしない。
いきなり、激しいダンスになる。
ユイノがきっかけをつくって回転し、アキオの抵抗をいなしてステップを変える。
傾いた極北近くの穏やかな陽光が、踊るふたりの長い影をつくる。
現実のアキオたちと、ふたりから伸びる長い影が緩く激しく動き回転し、あたかも2組のダンサーが踊っているように見える。
ユイノはひどく楽しそうだ。
踊りながら、アーモンドのような大きな目を輝かせてアキオを見つめる。
やがて、速度を緩め、静かに二人はダンスを終えた。
雪原に拍手が響く。
「楽しかったよ」
ユイノがアキオを軽く抱きしめ、つないだ手を離すと、檸檬色のドレスを着たヴァイユが近づく。
「踊るのは久しぶりですね。よろしくお願いします」
アキオはうなずき、少女の手をとった。
踊りだす。
相変わらず、ヴァイユはダンスがうまい。
踊るにつれ、シルバー・ブロンドの髪が揺れ、ドレスの裾が美しく回る。
ヴァイユは、ユイノのように自分からリズムを崩すことなく、アキオとぴったり息のあった美しい踊りを展開する。
踊り終わると、少女はアキオにそっと近づき、頬に口づけた。
「素敵でした。アキオさま」
「ありがとう」
とりあえず礼を言っておく。
「うう……」
インナーフォンからミーナのうめき声が聞こえる。
次はミストラだ。
ダークブラウンのドレスに身をつつんだ少女は、しずしずと近づいて笑顔で手を差し出した。
アキオは、手を取って軽く会釈すると踊り始める。
彼女とも前に踊ったことがあるから、だいたいの感じはわかる。
以前と同じように、ミストラは無理にリズムを崩すことなく、アキオの動きを見極めながら次のステップを誘導する。
アキオは微笑んだ。
彼女の外交手腕の一端を見る感じがするからだ。
だが、ミストラの誘導は決して不快なものではない。
それどころか、一般的なダンスの基本を知らないアキオに「正しく」「美しい」ダンスの基本を、さりげなく教えてくれる素晴らしいものだ。
「ありがとう」
美しいポーズでダンスを終えた少女にアキオが言った。
「こちらこそ、すごく楽しいダンスでした」
彼女も、背伸びしてヴァイユとは反対の頬に口づける。
ミストラが離れると、彼の目の前に黒髪の少女が立った。
やわらかい顔つきと桜色のドレスが、華やかで清楚という矛盾を両立させている。
「うれしいです。やっとアキオと踊れますね」
そういうと、ユスラはさっと彼に近づいて背に手を回した。
いきなり踊りだす。
次々とターンをくりかえし、ステップを変える。
一見すると、か細い少女にアキオが振り回されているかのように見える動きだ。
最初から完全にユスラに主導権を握られている。
アキオは、苦もなくそれについていったが、少女の隙をついて自分からターンを仕掛けた。
刹那、抵抗を試みたユスラだったが、身体の位置、態勢、動きの連続性、そしてもちろんダンスとしての美しさを保つために、アキオのリードに従わざるを得ず、するりと彼に合わせてターンをおこなった。
主導権の奪い合いに負けた形のユスラだったが、あたかもそれを待っていたかのように、黒髪の少女は、今度はアキオのリードに完璧に従って踊り始める。
彼の揺さぶりに対しても、一瞬の遅滞もなくついていく。
「す、すごいね。お姫さまのダンスって、あんなに激しいんだ」
キイが感心する。
「皆がそうではないでしょう。あれはユスラだからです。戦術家として、きっと何か企んでいると思いますね」
「楽しそうな顔をしている時の彼女はだいたいそうです」
「あ、あんたたち、そのいい方は友だちとは思えないね」
金髪の少女が驚く。
「友だちだから分かるんですよ」
「あたしにも分かるよ。あれは最初にアキオを試したんだ。無茶苦茶に振り回してね。そして負けたと気づくと、今度はアキオの無茶ぶりにどこまでも無理なくついて踊っているのさ。あなたに、どこまでもついていくって意思表示だね」
「ちょ、ちょっと待ってください。そうすると、最後は――」
「たぶん、最後はアレだね」
美しくも激しいダンスも佳境に入り、徐々に動きを緩め、最後に二人は静止した――と見えた時、ユスラが態勢を崩した。
さっとアキオが体をかがめて支えた瞬間。
狙いすましたように黒髪の少女が彼に口づける。
「ああっ」
「やっぱり!」
体を起こすアキオの首に手を回し、ユスラが半分ぶら下がるように口づけを続ける。
「姫さま、それは少しやりすぎなのでは……」
ピアノの呟きが、やけに広場によく響く。
ゆっくりと唇を離すと、少女はアキオの胸に顔を押し当てた。
「やはり、あなたは素敵です」
そう言いって、ぎゅっとアキオを抱きしめてユスラは彼から離れた。
茫然とふたりを見つめていたピアノに近づいて、灰色髪の少女の背を押す。
「呼んで!」
ミーナが言う。
「ピアノ」
アキオは一歩だけ彼に向かって足を踏み出した少女に呼びかける。
「来い」
糸に引かれるように、少女はアキオに駆け寄って、ポンと抱き着いた。
「まあ」
ヴァイユたちが驚く。
「ピアノさんって、あんな可愛いところがあるんですね」
アキオは少女の頭を撫でると、ピアノの手を取り踊り始めた。
「な、なんていうか……」
「完全なロイヤル・ダンスですね」
滑るように雪原を縦横無尽に踊る二人を見て、ヴァイユとミストラがつぶやく。
「ほんとだね。アキオは、上流階級の踊りなんて踊ったことがないのに。すごいね、ピアノは……」
「あれはピアノさんが?」
「そうだよ。そうとは分からないよう、アキオにリードされているように見せて、彼女が踊らせているんだよ。すごいね」
「当たり前です。彼女は生まれながらの王族ですよ。というか、おそらくピアノさまはあれしか知らない、彼女が踊れば、それがロイヤル・ダンスになるのです」
ユスラがきっぱりと言い切る。
「なんかすごいね、ダンスって。踊る人の内面まで出てしまうじゃないか。踊るのが怖くなるよ」
「大丈夫ですよ」
「そうそう」
「問題ないね」
「な、なんでそういい切るんだい」
「だって、キイがどんなダンスをするかなんて、みんなわかってるじゃないか」
「どんなダンスだい?」
「それは、あんたが踊るのをみて確かめるよ」
皆が話すうちに、ピアノとアキオのダンスは終わった。
ほかの少女たちと違い、ピアノはアキオに抱き着かず、見事に優雅なカーテシイをして下がっていく。
アキオは身を起こした。
次の相手を待つが、誰もいない。
「キイを呼んで」
ミーナがささやく。
「キイ」
そういって、アキオが手を差し伸べる。
金髪の美少女がゆっくりとアキオに近づいた。
こころなしかギクシャクした動きだ。
「あ、あれは緊張してるね」
「どうなりますか」
「このままだとまずいけど……まあ、アキオがなんとかするだろう」
「それがヴァレスか」
アキオが尋ねる。
かつて、彼女が着たがっていた服だ。
「覚えていてくれたんだね。そうだよ」
「よかったな」
「ありがとう」
そう言って、キイはアキオの前に立ち、ダンス教室の初期レッスンのように型にはまった形で腕を回した――もちろん、彼はそんなレッスンは知らないが。
「アキオ、キイに、こうささやいて」
彼はミーナに教えられた通りに言う。
「キイ」
「は、はい」
「これはダンスじゃなく演武だ。俺と君は気持ちで剣を合わせるんだ、わかるな」
はっとキイの眼が見開かれる。
「わかるよ、アキオ」
「では、俺からいく。君は左足からだ」
そういって、アキオが踊り始める。
初めこそ、すり足のように足を動かしていた少女だったが、アキオのリードで徐々に動きが滑らかになっていく。
軽く沈み込み、伸びあがり、滑るようにダンスが続く。
「まあ」
「素敵ですね」
少女たちが歓声をあげる。
「こうやって見ると、キイさんて本当にきれいですね。背も高いし」
「なんていうか、大人同士のダンスって感じです」
「まあ、中身は純情小娘だけどね」
「ユイノさんにはいわれたくないでしょう」
楽しそうに踊るキイの姿をみてアキオは微笑んだ。
最初の夜、彼の腕の中で泣いていた姿を思い出す。
「どうだ」
「楽しいよ。踊りがこんなに――演武に似てるなんて驚きだ」
「そこは、それじゃないでしょう」
アキオの耳にミーナの声が響く。
ふたりは踊る。
踊りながら、気持ちの中で、ふたりは闘う。
キイが右袈裟に切り下げた剣をアキオが受け、押し返し、そのまま彼が肩口に斬り下ろすところを彼女が危うく受け止める。
膂力ではなく、技で刃を流し滑らせて斬撃をいなし、返す刀で切り上げた。
アキオがそれも受け止める。
「すごいね主さま」
「君もな」
ふたりが笑顔になり、ミーナはため息をつく――
ダンスを終えると、雪原にひときわ大きな拍手が響いた。
「主さま、アキオ、あんたは良い踊り手だね」
「君もだ」
見つめあう二人をさらに大きな拍手が包んだ。
「意外だったね」
「ええ」
「なぜですか」
「キイは、もっと……なんていうか、アキオに従順に踊ると思ってたんだよ」
「そういえばそうですね」
「なんていうか、すごく……」
「あれはね、男前な動きだった、っていうのよ」
ミーナが言い、皆が同意する。
戻ってきたキイを皆が笑顔で迎えた。
キイが下がったアキオの前に、一つの影が立った。
「カマラ」
「はい」
「踊るか」
「踊ります」
そういって少女はアキオに近づいた。
手を合わせ、背に手を回すとゆっくりと踊りだす。
それは静かなダンスだった。
今までの少女たちのように、駆け引きは何もない。
また、アキオに何かさせるための踊りでもなかった。
「ああ、カマラって、こんな娘だったんだ」
ユイノがつぶやき、皆が一様にうなずく。
銀髪緑眼の少女は、ただアキオの動きに合わせて踊っているのだ。
だが、それはアキオの動きを見てから合わせているのではなかった。
動きの「兆し」を見て動いているのでもなかった。
それなら、わずかながらも遅延が生じるはずだ。
だが、カマラの動きにはまったく遅れがない。
彼女は、ただ踊っている。
そして、それがアキオと完全に対になる踊りなのだ。
「あれはどういうことなんです」
「あれはねぇ――難しいね。あんなのあたしは見たことがないから……つまり、カマラはアキオとまったく同じ考え、感覚を自分の中に持っていて、それに合わせて踊っているだけ、なんだよ」
「そんなことが……」
「あるんだから不思議だよねぇ。でも、そろそろアキオが揺さぶりをかけるよ」
ユイノが言ったとたん、アキオがダンスのリズムを変える。
しかし、あらかじめ、それをわかっていたようにカマラも変化する。
不意にアキオがターンを入れる。
まるで自分が先にそれを思いついたように少女が動く。
「凄いねぇ。まったく乱れない」
「これは舞踏相手として、というより人生の伴侶としてどうなんですか」
ヴァイユが尋ねる。
「そうだねぇ、どちらがリードするかを競うのではなく、相手に完全に合わせるのでもなく、ただ同じなんだから――」
「いっしんどうたい」
ミーナが震える声でつぶやく。
「わっ、びっくりした。なんだよミーナ、いきなり怖い声を出して」
「それはそれで良いのです。カマラさんは、その道を選ばれたのですから。アキオの考えをなぞり、アキオが死んだら自分も死ぬ一心同体を……」
ユスラは笑顔になる。
「でも、ピアノさま、心配はいりませんよ。違う人間だから補いあって共に生きていく意味があるのですから。あれをアキオは認めないでしょう」
ふたりのダンスは、いきなり終わった。
何の前触れもなく突然停止して。
だが、それすらもわかっていたように、カマラもピタリと止まっている。
「カマラ――」
アキオが言いかけると、少女は彼を見上げてそれを遮る。
「わかってる。いま、アキオは困ってるでしょう。みんなわかるもの。わたしの中のアキオがおしえてくれるから」
「つまらないものを君の中に飼うな」
「だって、いつも一緒にいて欲しいのに、いてくれないから」
アキオはしばらく黙る。
やがて、少女の手をとって、ドン、と自分の胸にあてた。
「俺はここだ。そして君は――」
そう言って彼は少女の胸に手を置く。
「ここにいる」
少女たちの間から悲鳴のような声が上がる。
「それでいい。それがいいんだ」
そういって、アキオはカマラを抱き寄せる。
「あの洞窟で、君が――おまえが温めてくれた時、俺は初めて生きた女の温もりと鼓動を知った。それは、おまえと俺が別の体で生きていたからできたことだ」
「あれは生まれて初めての嬉しい記憶だった……」
少女が涙を流す。
アキオはコートでカマラを包みこんだ。
「暖かい……」
「わかるな」
「ええ――別な体だから温もりを感じられる」
「そうだ。だから、俺はおまえと別な体でいたい。話したいことがあれば、俺に話せ。お前の中の偽物にではなく」
「――わかった」
「なんか凄いことになってないかい」
ユイノがつぶやく。
「ええ、明らかに、アキオさまはカマラさんの胸を触りました」
「あれは胸を触ったというより」
ユスラが言い、
「心臓の上に胸があった、という感じでしょう」
ピアノが引き取って続ける。
「はいはい、みんな。楽しいダンスタイムはおしまい。もう日が暮れるから、食事の用意をしないとね」
ミーナが一時のショックから立ち直って、場を仕切る。
「食事のあとは、お楽しみのお風呂なんだから。さあ、ジーナに帰りましょう」