066.姫君
翌日、アキオが目を覚ますとキイの姿はなかった。
服を着替え、部屋を出てジーナのメイン・ルームに入る。
昨日、アキオが寝ていたベッドは片付けられていた。
誰の姿も見えない。
「そうですよ――」
少女たちの声が、研究室から聞こえてくる。
アキオは、開いた扉から中をのぞいた。
ドアをノックして、皆に知らせる。
「あ、アキオ」
「ダメダメ、入ってきちゃ。見たらだめだよ」
ぐいぐいとユイノに押し出される。
しかし身長差があるので、すでに彼は、少女たちの頭の上から中の様子を見てしまっていた。
「ミーナ」
メインルーム中央のテーブルについたアキオはAIを呼んだ。
「おはよう、アキオ」
「結局、ああなったのか?」
「あ、見たの、アキオ。乙女の秘密を――」
「本人に確認はとったんだな」
「アキオがとってたでしょう」
「それはそうだが」
彼が目にしたのは、全裸で透明なゼリーに浮かぶマクスの姿だった。
手足の末端がまだ不完全だったが、胴部分はほぼ復元されていた。
いや、この場合、復元というのは正確ではない。
マクスの身体は、女性になっていたからだ。
「冗談よ。もちろん、今朝早く、いったん意識をとりもどした彼女に確認をとってるわ」
「何を皆で騒いでいる」
「彼女をどんなスタイルにするかでもめているのよ」
「スタイル」
「もともとマクスの染色体は、男性のXYでしょう。女性のXXに変えたとして、別に遺伝子どおりに胸の大きさやスタイルを変えなくていいんじゃない、ってみんなが言いだして……」
「マクスはどういってる?」
「よくわからないから、みんなに任せるって」
男としての生活が長かったので、女性としての体型の好みがわからないのかもしれない。
「いいのか」
「もともと顔同様、スタイルも遺伝情報だけで決まるわけではないんだし、どうせ、元気になれば本人の意思に従ってすぐに変更できるんだから。まあ、プロトタイプを皆で考えてるっていうところね」
ピアノが花茶をいれたカップと、レーションを乗せた皿を持ってくる。
「ありがとう」
「君たち食事は」
「わたしたちはいただきました」
どうやら、アキオが一番寝坊したらしい。
「君はマクスのところにはいかないのか」
「はい。わたしはどんな容姿でもアキオには関係ないのを知っていますから」
そういって、さっと近づくと彼の顔に頬を寄せてそのままギャレーに去っていく。
「あの娘も、ちょっとした抜け駆けがうまくなったねぇ。いいことだよ」
背後からユイノの声が聞こえる。
「アキオも、以前はピアノのことを『お前』と呼んでいたのに、いつの間にか『君』になってるしね」
「そうだったか」
ミーナに指摘されて、改めてアキオは気づく。
「おはよう、アキオ」
ユイノの後ろから姿を現したキイが、彼の顔をまぶしそうに見ながら挨拶した。
「あの調子なら、昼過ぎにはマクスをタンクから出せそうだな」
今回は胸から下を全再生する大修復だったので、大量の熱と栄養素を同時に与え続けることのできるナノ・ゼリー・タンクを使用したのだ。
本来なら、胴部分が再生された時点でタンクから引き上げ、ユスラやアキオの手足を修復した時のように、ミニ・コクーンで包むだけでも良いのだが、再生部分がまだ元の部分になじんでいないのと、身体全体が栄養不足なので再生完了までタンクにいれておく予定なのだ。
「マクスと話をしたのか」
キイに尋ねる。
「ああ、今朝、彼女が目を覚ましたときにミーナが呼んでくれたから」
「ショックを受けていたか」
「捕まってから後のことは、ぼうっとしてあまり覚えていないらしい」
キイに続いてミーナも言う。
「確かに、再生をしながらバイタル・サインをチェックしてみたら、かなり強力に精製された鎮静剤と麻薬がマクスに投与されているのがわかったわ」
「どちらも、この世界には存在しないもの、だな」
「そうね」
話をしながらアキオはレーションを食べ、花茶を飲み終えた。
研究室から戻った少女たちも次々テーブルに着く。
ピアノが花茶を運んできた。
「ユスラ」
「はい」
カップを配り終えたピアノがテーブルに着くとアキオが声をかけた。
「女王への期限はいつだ」
「三日後といいましたので、明後日の昼でよいでしょう」
「その頃なら、体調も回復しているだろうから、俺が――」
「ダメです」
少女たちが一斉に言う。
「しかし――」
「それについては、朝から皆で話し合いました。ミーナも交えて」
ユスラが落ち着いた声で話す。
「明日の朝から、わたしとキイさん、ピアノさまがシュテラ・ナマドのエクハート邸に向かいます。そこでマクスが無事であることを伝えます」
「エクハート邸から、わたしが義兄に連絡をとり調査報告を受ける予定です」
ピアノが言った。
「君たちだけでは危険だ」
「大丈夫です。戦力からいっても問題はないと思いますし、絶対におふたりに危険が及ばないように、わたしが万全の策を立てます」
ユスラが静かに言う。
「暗殺防止については、わたしが責任を持ちます」
ピアノが微笑む。
「で、荒事は、わたしというわけだ」
キイが胸を張る。
「しかし――」
「ミーナとも相談しました。襲撃時に使われそうなアキオたちの世界の武器と策略も聞きました。その上で策を練るのでご安心ください」
「アキオ!」
子供を信じろ、という目をしたディスプレイ上のミーナに声をかけられ、アキオは言う。
「わかった」
「ミストラ、ヴァイユ、あなたたちはどうするの?」
ミーナが尋ねた。
「わたしたちはユスラたちと一緒にここを出て、シュテラ・ザルスへ帰ります。向こうで片付ける用事もありますから」
ミストラが答える。
「悪かったな、わざわざ――」
「そんなことをいわないで。心配だからきたのです。会いたいから来たのです」
ヴァイユが近づき、アキオの腕に触れて言う。
「わたしもです。また、いつでも来ますよ。アキオさまに会いに」
ミストラが反対の手を握る。
「ところで、朝から聞こうと思って、聞きそびれたんだけどさ」
ユイノが明るい声で言い出す。
「女王さまって、ユスラの妹なのかい」
部屋にいた、アキオを除く全員が困った顔になる。
「ユイノ……それはあえて聞かなくて良いんじゃないかな」
キイが舞姫の肩に手を置く。
「そうですね。おっしゃりたくなったら、姫さまは自分から話されるでしょう」
「ほらぁ、ピアノはいつもユスラを姫さまって呼ぶしさ」
「わたしは、どちらかというと、ユスラが、ピアノさんのことを、ピアノさま、と呼ぶことのほうが気になります」
ミストラが言う。
沈黙が部屋を支配する。
「わかりました。お話します」
ユスラが笑いながら言った。
「別に、秘密にしていたわけでも、話しにくかったわけでもありません。アキオとの、皆さまとのお付きあいで、それをいう必要があるとは思えなかったので――事実、わたしは元女公爵に過ぎないのですから」
「まあ、あたしたちにとっちゃ、女王さまも女公爵さまも、雲の上過ぎてかわらないんだけどね」
「わたしは、先王シゲルソン・サンクトレイカの長女です。そして現女王のルミレシア・サンクトレイカは、わたしと同い年の腹違いの妹です」
あっさりとユスラは言った。
「だいたいわかっていたけど、改めて聞くとやっぱり驚くね」
キイがつぶやく。
「女王にならなかったのは、腕の痣のせいか」
「そうです。一族に生まれるという戦術伝承の痣がわたしにあったから、5歳で伝承の儀式を経て戦術指揮官になったのです」
「痣の持ち主はサラヴァツキー家に生まれるんじゃないのか」
「そうなのですが、先代のネストル・サラヴァツキー公爵が子を為す前に病で亡くなられたため、王族の者に腕の痣が現れたのです。それがわたしでした」
「あやしいわね」
ミーナがつぶやき、アキオがうなずく。
「そう都合よく痣が引き継がれるとは思えない」
何かあるに違いない。そうアキオは考える。
こうなると、ユスラの腕を船に置いてきたのが悔やまれる。
「そうなのですか?」
ユスラは微笑み、
「伝承の間に赴き、記憶を受け継ぐ者は王にはなれません。ですからわたしはサラヴァツキー家を継いで女公爵となったのです。どうです、わたしの話など特に変わったことはなかったで――」
ばっとユイノに抱き着かれ、ユスラの言葉が止まる。
「それで5歳から海戦の指揮をしてきたんだね。10年間も……」
「2年おきで5回です。王になるのは嫌だったのですが、模擬戦とはいえ人死にの出る戦争の指揮を執るのも嫌でした」
「聞いたよ、毒を仕込まれるのを恐れて必ず周りの者が毒見をし、冷めたものしか食べられなかった、とか、ほとんど軟禁されている生活だった、とか」
ユイノがさらにきつく抱きしめる。
舞姫の方が小柄なので、妹が姉に抱き着いているように見える。
「窮屈ではありましたが楽しみもありました。同世代のミストラやヴァイユと半年に一度の会合で出会って友だちになれましたし」
そういって、ユスラはユイノの肩に頬を寄せる。
「死ぬまでその境遇は抜け出せないと思っていました。ですから、国の各地から本を取り寄せては読み、まだ見ぬ世界へ空想を働かせていました――でも」
ユスラはユイノから身体を離し、
「アキオが閉じた世界からわたしを連れ出して、やりたかったことを全部させてくれました。今もそうです。ですから、ユイノさん、わたしはいまとても幸せです」
ユイノはうんうんとうなずく。
「ピアノさまに関していえば――」
「姫さま、わたしの話は……」
「そうですね。では、ひとつだけ、ピアノさまは、セレスナ大公の忘れ形見です。ピアノさま、あなたはお忘れでしょうが、わたしは子供のころ、ポカロであなたにお会いしているのです」
「ポカロで……あのお城はどこかで見覚えがあったので不思議だったのですが」
「ちょっと待って」
キイが慌てる。
「セレス大公って、サンクトレイカとエストラの間にあった国の王様じゃないか」
「ルーナリア。今はない国です。エストラに攻められて滅亡しました」
「だから、ピアノさんの名前はルーナなんですね。本当はピアーノ・ルーナリア――」
ヴァイユが納得する。
「いえ、本当の名は、ピアノ・ルーナ、あるいはウサギです」
きっぱりとピアノは言う。
「しかし、王女さまを暗殺者として使いつぶそうとするなんて、メルヴィル・ド・コントという男、許せないね」
キイが押し殺した声で言う。
「済んだことです。しかし――」
「そう、しかし、明後日のあの男の態度はしっかり見極めなければなりません。嘘をついたり策を弄していないか」
ユスラが話を締めくくった。