065.敵視
「アキオ……」
明け方近くになり、少女たちを、それぞれジーナ内部の部屋に引き取らせ、睡眠をとらせてから、ミーナはアキオに話しかけた。
ディスプレイに寝間着代わりの浴衣に身を包んだ少女が映る。
今は彼も、自室に戻りベッドに腰かけていた。
手と足は、ほぼ再生されている。
そのために、先刻まで少女たちから次々と肉体再生のための食事、アミノ酸とカルシウム主体のゼリー、を食べさせられていたのだ。
まだ被爆による身体の重さは残っているが、しばらくすれば全快するだろう。
カマラが、電撃で停止したナノ・マシンに代わってすぐさまコクーンを展開し、別のナノ・マシンで体を包んでくれたおかげだ。
顔色も先ほどまで死にかけていた人間とは思えないほど良くなっている。
これが、アキオの開発したナノ・マシンによる肉体再生の特徴だ。
命の回数券と呼ばれ、細胞分裂するたび劣化し、短くなる染色体末端のテロメアを補強、保存し、マシンの補助により分裂速度を加速することで成しうる奇跡だ。
細胞分裂により塩基テロメアが損耗し、染色体が短くなることが老化であるから、事実上老化も停止することになる。
「みんなにも言ったけど、今回の敵は普通じゃないわ」
「そうだな」
テーザー、人間爆弾の技術、劣化ウラン合金、どれをとっても、この世界ではオーバー・テクノロジーだ。
「あの男、地球語を話したわね」
「しかも、俺たちの事情を知っていた」
「――少し気になって、あなたが眠っている間に飛行記録を調べなおしたの」
「爆縮時のか」
「ええ、これを見て」
机の上のディスプレイに映像が表示される。
「今までは、この世界に入ってからの情報だけに注目してたけど、今回は元の世界から調べなおしたの。爆発時の電磁波と衝撃波で、レーダーは使用不可能だけど、カメラの映像が残っていたわ。見て」
画面が4分割され、前方と左右、それに後方の映像が同時に映る。
背後から、赤に近いオレンジ色のエネルギー波が迫り、カメラが機能停止し画面が黒くなる。
「もう一度、右画面だけ映すわ、右舷後方に注意して」
飛び去る雲、流れる霧が表示され、画面右側からオレンジの光が迫り――
「これか」
「見えるでしょう」
ジーナの斜め後ろ、かなり離れた場所に、一瞬だが大きな機影が映っている。
「これは――」
「おそらく軍用機、ということは例の実験の観察のために極北にやって来た研究者じゃないかしら」
「俺たちのすぐそばにいたということは――」
「ええ、一緒に裂けめに入った可能性がある、というより、今回の件を考えたら、入ったのよ。間違いないわ」
「どこの国だ」
「機体のマークまではわからない――それに、おそらく国籍は隠蔽しているでしょうね」
アキオはうなずいてベッドに横になった。
地球を破壊しかねない兵器の実験を秘密裏に行うのだ、身元はばれないように隠すだろう。
「でも、爆縮弾を開発、実験するような国はひとつしかないわ」
「トルメア共和国、か」
「あそこなら、アキオの事情を知っていてもおかしくないし」
「このことは、子供たちには?」
「話してないわ。あなただけ」
「しばらく伏せておいてくれ」
「分かったわ――あ、アキオ」
「なんだ」
「優しくして、抱きしめてやって」
言うなりミーナは消え、ディスプレイが暗転する。
直後、扉が静かに開き、キイが入って来た。
ミーナが用意したのだろう、薄手の紺色の部屋着を着ている。
「アキオ、いいかい」
「ああ」
少女はアキオのベッドにやって来た。
両膝をついて傍らに立ち、彼を見つめる。
「あんたにきちんと謝りたいんだ」
「必要ないといった」
「でも、わたしが安易に動いて、人と違う力を見せてしまったから目をつけられたのは事実だ」
「そのことについては、ユスラが代わりにいってくれた」
「気がついていたのかい」
「ちょうど、その辺からな」
「罰してくれないと気がおさまらない。眠れない」
胸の前で指を組み、祈るような姿勢になる少女を見て、アキオはキイの手を持って優しく引き寄せた。
すべるように、彼女はアキオの半身に乗る。
同時に手をついて上半身を支えようとした。
アキオはそれを阻み、彼女の背に手をやり、胸に頭を押しつけた。
「駄目だよ、重いだろう」
キイは遠慮して逃れようとする。
「気にするな、俺は平気だ」
そして胸の中でつぶやく。
(良いものは重いものだからな)
アキオが、彼女の金色の頭をポンポンと優しく叩いたとき、キイが感情を爆発させた。
「ごめんよ、アキオ、わたしのせいで。もう少しであんたは死んでしまうところだった。カマラとピアノはあんたが死んだら一緒に死ぬって、わたしは、どうしたらいいかわからなくて――」
キイが碧い眼からとめどなく涙を流す。
「君が泣くのを見るのは二回目だ」
アキオはあらためて、一見大人に見える彼女が、まだまだ子供であることに気づく。
「だって、あんたが死んだら、わたしはどうしたらいいんだい。主さ……アキオ、アキオ。アキオ。名前も呼べなくなるじゃないか。このわたしに初めて与えてくれた温もりも――なくなる」
そういって子供のように泣きじゃくる。
彼の温もりに触れ、今になってアキオの命が本当に危なかったことを、彼女は実感として感じてしまったのだ。
「キイ」
アキオは、美少女の眼から流れる涙を指ですくい、拭きとってやる。
少し考えて、言う。
「泣くな、キイ。君の涙は――きれいだが君には似合わない」
そういって、少女の頭を持ち、自身の胸に彼女の耳を当てさせた。
「アキオ……」
「聞こえるか」
「聞こえる。あんたの心臓の音が」
「動いているだろう。これが生きているということだ」
「そうだね」
「ふたつ約束しよう。ひとつは、俺は君より先にこの鼓動を止めない」
そういって、少女の髪に顔をうずめる。
「もうひとつは、君をこんなに泣かせた当事者ふたりを俺は決して許さない」
「アキオ」
キイは泣くのをやめた。
じっとアキオの胸の音を聞いている。
彼の声は、胸から直接聞くと普段より低く良く響き、気持ちを落ち着かせる不思議な効果があった。
「ひとりは俺だ。君を泣かせてしまった。その償いは、今後ゆっくりしていこう」
そう言いながら、少女の金髪を優しくかきまわす。
「死がふたりを分かつまで?」
キイが微笑む。ミーナに教えてもらった言葉だ。
「お互い死なないから、それはどうかな」
アキオは真面目な顔で答え、
「もう一人は、今回のことを企んだ奴だ。そいつは俺の敵だ」
虚空をにらみ、絶対零度を感じさせる凍てついた声でつぶやく。
アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミスは、永きに渡って兵士として過ごしてきた。
その経験により、彼の思考は極端に単純になった。
アキオにとって、自分以外、他者には二種類しか存在しない。
敵か、それ以外か。
敵は、全力を用いて殲滅する。
敵でなければ、実害がない限り無視する。軽くいなすのは無視のうちだ。
奇妙に思えるかもしれないが、この世界へ来てから、いや、その前から、ここ100年の間、彼は一度も敵には出会っていなかった。
爆縮実験も、ゴランもマーナガルも、傭兵も魔法使いたちも、彼にはただの景色の一部に過ぎない。山頂から落ちてくる落石のようなものだ。
危険なものかもしれないが、それは、たまたま彼に向かって飛んできた自然現象だ。
避けるか、砕くか、それは単なる反射にすぎない。
しかし、今回、彼は明確な敵を認識した。
そいつは、ピンポイントに彼と彼の周りの、友軍といってよい者を狙って罠を仕掛けてきた。
敵だ。
敵に対して、彼のとる行動はひとつだ。
喉もとに忍び寄り、手足を砕き、背骨を叩き折り、歯をへし折って、そいつが地面に触れる前に高濃度の王水で溶かしつくすのだ。
敵の細胞は一片たりとも地上には残さない。
キイが身震いしたのを知って、アキオは表情をやわらげ、再び少女の頭をくしゃくしゃとかき回した。
「謝るのは俺のほうだ。そもそも、エクハートの冤罪を晴らせ、と命じたのは俺だ」
「アキオ……主さま。ありがとう」
キイがアキオの顔を引き寄せて、軽く口づける。
「やっぱり、わたしはあんたが好きだ、大好きだ」
そういって、今度は長く口づける。
アキオには、なぜ、最近、少女たちと口を合わせる行為が増えてきたかがわからない。
とりあえず実害はなさそうなので放置しておく。
やっと彼女が唇を離した時、アキオは、ミーナに教わったこれまでのパターンを検索し、言った。
「ありがとう」
「そこはありがとうじゃないでしょう」
「俺も好きだ、とか」
「今夜は寝かさない、とか」
「みんな、自分がいってほしいことを――」
「25秒。ここ最近では一番長いです」
「――」
扉付近から声が聞こえる。
小声だが、アキオの強化した聴力はすべてを聴き取っている。
「おい」
キイが、幸せそうにアキオの胸に頬を当て目を瞑ると、アキオが扉をにらんだ。
ぱっとドアが開いて、少女たちが中に倒れこむ。
「まったく、あなたたちは」
ミーナの声が響いた。
「仕方ないでしょう。ミーナはカメラの作動ランプを消してこっそり全部見られるけど――」
「おそらく記録も撮っていますね」
「な、なにをいってるのあなたたちはこんきょのないことを」
AIが、呂律不明に答えてから、気づく。
「えっ。一番下にカマラとピアノがいるというのはどういうこと」
「最初にのぞいてたのは、このふたりだよ」
ユイノが言う。
「あなたは、ふたりのすぐ上ね」
「ふたりの次があたしなのさ。気になるからね。なにひとつ恥じることはないよ」
腰に手をあてて胸を反らせる。
「少しは恥じなさい」
「でも、あんなにきれいな色が出るなんて、卑怯です。反則です」
ヴァイユが悔しそうに腕を振る。
「そんなにきれいなの?」
色の見えないミーナが尋ねる。
「キイがやってきてから、なんとなく良い色だなぁとは思っていたんだよ。でもねぇ」
「暖かくてちょっと寂しい色、なんていうか、本当にきれいな色なんです」
「寂しいのは、いいの?」
「何をいってるんですか、初恋というか、相手を思うだけで切なくなる恋心の色ですよ、あれは。最高の色です」
「そうです。ユイノさんといい勝負です」
「ええっ、あたし、あんなにきれいな色なのかい」
かっと舞姫が頬を染める。
「これだもの」
ヴァイユが呆れた声を出す。
「さあさあ、今夜はキイに譲るって決めたでしょう。早く出て行って」
ミーナがディスプレイに現れ、皆をせかせる。
「ミーナ、その服はなに?」
「え、浴衣だけど、アキオの母国の寝間着よ」
「それ可愛いです。わたしも着たいです」
「あのねぇ、これは黒髪の、わたしみたいな顔の人用なの。あなたたちみたいな、メリハリはっきりパッチリした顔では――」
「なら、わたしは似合いますね」
ユスラが黒髪を揺らす。
「うう」
「ミーナが押し負けたね」
「はいはい、分かったわ。前向きに考えるから早く部屋をでていきなさい」
「ミーナもカメラを切るのよ、マイクも」
カマラに言われ、またミーナは、
「な、なにをねもはもないことをいってこのこはおかしなこ」
呂律が回らなくなる。
少女たちが出ていき、ミーナのディスプレイが消えると、アキオは手を伸ばしてスイッチに触れ、部屋のライトを消した。
いつの間にか、アキオの上で、キイはスゥスゥと静かな寝息を立てている。
頭元に置いたアームバンドに手を触れ、彼女のバイタルを確認する。
かなり疲労しているようだ。
彼がマクスを斬ってからの心労が原因だろう、そう彼は思う。
自分が死にかけたことが理由だとは気づかない。
アキオは、少女の身体を温めてナノ・マシンを働かせる必要があると考える。
キイを少し動かし、手を伸ばしてシーツを引き上げ少女を巻き込むように抱きしめた。
体を撫でてやる。
その拍子に、
「アキオ……ごめんね」
夢でも見ているのか、小さくつぶやく少女の顔を見つめる。
頬を指で突くと、アキオは目を閉じてキイの髪に顔をうずめて眠りに入るのだった。