063.笑顔
深夜、極北の地、ジーナ内部の5人の少女たちは、白い部屋に置かれたベッドの周りに集まっていた。
外は猛吹雪だ。
静かな室内には、バイタルの電子音が低く響いている。
ベッドにはアキオが寝かされていた。
意識はない。
広範囲に背中と首、そして頭部に刺さった金属片はすでに取り除かれていた。
切断された腕と足は、繭が包んで再生が進んでいる。
しかし、電気ショックによるナノ・マシン停止時に受けた放射能被爆と、一部脳に達するほどの刺傷が原因で、彼は生死の境をさまよっているのだ。
「ふたりが来たわ」
ミーナの声が響き、ジーナの後部ハッチが開いた。
外で雪を払ったコートを手にした、ミストラとヴァイユが入ってくる。
「アキオさま!」
「容体はどうなのです」
ふたりはベッドに駆け寄り、周りの少女たちに尋ねる。
「意識はないわ」
ミーナが答える。
「マクスさんは?」
ミストラの質問にキイが研究室を指さした。
「彼女は大丈夫だ」
体の大部分を失ったマクスは、研究室で、ナノ・ジェルで満たした水槽に浸されている。
プログラムに従って、身体に接触するナノ・マシンが、あたかも人工臓器のようにそれぞれ機能して、彼女の生命を生かしているのだ。
激しく動く心臓と肺は、ナノ・マシンによる代替が難しいが、アキオがそれらを残して切断したために、マクスのバイタルは安定したまま、身体の再生が行われつつあった。
「わたしが悪かったわ。今朝、何としてもアキオにバングルを装備させるべきだった」
跪いて、アキオの右手をにぎるカマラがつぶやく。
「誰が悪いわけでもないわ」
ミーナが言う。
「いったい、誰が想像できるの、この世界でワイヤー針スタンガンが使われ、マクスが人間爆弾にされているなんて――」
そもそも身体に爆弾を巻きつけるのではなく、外科的に臓器を取り出して、代わりに爆薬と金属片と放射性物質を仕込む、人間爆弾という手口が異常すぎる。
それは、かつて地球のTエリアでよく使われた手法だった。
体内に仕込むことで、通常使うことのできない武器をエリア内に持ち込み、使用することができたからだ。
この世界で使う意味がわからない。
また、人間爆弾は、地球では女性に行われることが多かった。男と違い、生命維持に不可欠ではない臓器を腹部から取り去ることでスペースを確保しやすいからだ。
マクスは肉体的には男だった。
外科手術は容易ではなかっただろう。
その技術、テーザーガン、そして劣化ウラニウムの使用も、この世界では明らかなオーバー・テクノロジーだ。
「体内に爆弾があることを、どうしてアキオは知ったの」
カマラが尋ねる。
「おそらく、マクスの顔色、彼の経験、そして血のにおいによる直感ね」
ミーナが続ける。
「地球では、昔、よく使われた手法なの」
「よくも、そんな残酷なことを」
キイが歯を食いしばるように言う。
少女たちは黙り込み、バイタル・サインの電子音だけが部屋に響く。
「いけないわね。このまま意識レベルが下がったままだと心臓が持たない」
「どうにかできないのですか」
ヴァイユが叫ぶ。
「彼の精神力に賭けるしかない」
ミーナが答える。
ピアノは蒼白な顔をさらに白くしてうつむいた。
ユスラは、拳を握りしめて静かに泣いている。
「あの時――」
カマラが震える声でつぶやく。
「アキオが動きを止めなければ、これほどの被害を受けなかった」
「――」
「ミーナ、あなたも聞いたわね。あの男の言葉……」
「――ええ」
「あ、あの分からない言葉……」
キイが思い出す。
「あれは地球語だった。そして、その内容は――」
カマラはアキオの手を離して立ち上がった。
「『魂の戻し方を知っている――』だったわね」
ミーナが言い、カマラは拳を握りしめた。
「また彼女のせい――いつもいつもいつもいつも――」
少女は歯を食いしばる。
「何百年もアキオの心をしばって――」
さっとカマラが振り返り、部屋の隅に置かれたコフを見る。
つかつかと近づく。
「カマラ、やめなさい」
ミーナの制止は少女には届かない。
銀色に輝く棺桶の前に立つと静かにカマラは言う。
「アキオの心には、いつもこの人がいる。わたしたちの気持ちは届かない」
「カマラ……」
ユスラがつぶやく。
「卑怯じゃないの、先にアキオに出会って、勝手に彼を捕まえて、さっさと先に死んで、死んだあともずっと心をしばりつけて……」
カマラは涙をこぼす。
「生きていたら、無理やりにでもアキオを奪ってみせる。でも、死んでいたら勝負にならない。どうにもできない。悔しい。卑怯よ。ずるい――もう、もうアキオを解放して!」
言いながらカマラはコフに殴りかかった。
拳を何度も棺桶に叩きつける。
少女たちは唖然としてそれを見ていた。
一見、理知的で冷静な印象のカマラの激情ぶりに驚いていたのだ。
「離して!アキオの心を、魂を!返して、わたしたちに!生きているわたしたちに」
カマラの手が裂け血が飛び散る。
「離して、離して、離せ、離せ――」
狂ったようにコフを叩き続ける。
そのたび、棺の表面がカマラの血に染まっていく。
少女たちは茫然とし、あるいは涙を流しながら、その姿を見ていた。
カマラの言葉は彼女たち全員の一致した気持ちだったからだ。
「いけない、キイ、彼女を捕まえて」
カマラが棺桶上部の光の鈍い部分を叩き出すと、ミーナが慌てて声を上げた。
はっと我に返った少女たちは一斉に動き出す。
キイを先頭にカマラに近づいた。
少女はコフを叩き続けている。
「いつも、こんな棺に隠れて、せめて顔だけでも見せなさい。卑怯者!」
それは本当に偶然だった。
カマラが叩いていた場所に設置されたタッチパネルを、彼女が正しい順番に触れてしまったのだ。
その瞬間、一面銀色だったコフの顔の部分が透明になる。
「あ、あ、あ」
カマラは、よろめいて後ろに数歩下がり、顔面を蒼白に変えて口元を抑えた。
「ダメ、早く、早く彼女を捕まえて!」
悲鳴のようなミーナの声に押されて、キイがカマラの腕をとった、引き寄せる。
同じようにナノ強化していても基礎体力が違う。
キイの力にカマラは勝てない。
だが、カマラはキイに抵抗しなかった。
彼女に引かれるままにコフから離れる。
ミーナの操作で、コフが不透明に戻った。
「そ、そんな、恐ろしい――何なの、あれは――」
顔を手で覆いながら、カマラはキイに連れられ、部屋の端に置かれたソファに座らせられる。
「ど、どうしたんだい」
ユイノが近づき、カマラに触れて尋ねた。
「そんなバカなことはないわ。あんな化け物を――アキオは……」
言葉にならない悲鳴をあげながら、椅子から立ち上がろうと暴れるカマラを、キイは強靭な体力で抱きしめた。
「落ち着いて、カマラ。あんたらしくないよ」
少女たちも、口々にカマラに話しかけ、身体に触れて落ち着かせようとする。
「カマラ!」
ミーナが、聞いたことのないような厳しい声を出した。
「落ち着きなさい」
その言葉で、キイに抑えられながら、もがくカマラが徐々におとなしくなった。
やがて――
「大丈夫、もう平気よ、キイ」
カマラにそう言われて、キイが抱きしめていた彼女を離す。
が、次の瞬間、少女は再びコフに向かって駆け寄ろうとして、
「駄目だよ、カマラ」
再び、キイに捕まえられる。
「離して、あんな怪物に、化け物に、アキオが囚われているなんて――わたしがすぐに焼いてやる、焼却してやる。殺してやる」
「いったい、どうしたのです。何を見たのですか」
ユスラが茫然と言う。
その時、ずっと部屋に響いていた、弱いながらも規則正しかった電子音が乱れた。
徐々に拍動が弱くなる。
はっとして、カマラが顔をあげ、少女たちが一斉にアキオを見た。
「いけないわ。バイタルが弱い」
ミーナの言葉に、全員がアキオのベッドに駆け寄る。
「色が――アキオの色が感じられない」
「ミーナ、何とかしておくれ」
ユイノが泣きながら叫ぶ。
「駄目です、だめです。アキオさま」
「アキオ!」
「主さま!」
「アキオッ」
カマラがベッドに飛びついて叫ぶ。
「ミーナッ、何とかして」
「もう医学的にできることはないの。アキオが頑張ってくれないと」
「そんな――」
「ミーナ、あなたの考えうる、最良の方法を考えなさい」
ユスラが静かに言う。
「あなたなら、必ず方法を見つけられる」
「――」
全員から見つめられた、スクリーンに映る和装の少女は答えた。
「ひとつだけ、考えられる方法があるわ」
「早くいっておくれ」
「アキオの額に手を当てて、ある言葉を言うの」
「それって……」
ミストラが首を振って雑念を振り払う。
「いいわ、教えて」
「待って、ミーナ。誰の言葉なの」
カマラが問う。
「彼女の最後の言葉よ」
「また彼女、最後はやっぱり彼女ね……」
少女が悔しそうに言う。
しかし、他の少女はそんなことを気にしない。皆、必死だ。
「教えて、ミーナ。早く」
「アキオの額に手をやって、こう言うの、『アキオ、笑って……』」
それは、最後の最後に彼女がアキオに告げた言葉だった。
密閉されたカプセルの小さな窓から覗く、彼女の唇をアキオとミーナが読み取った言葉だった。
「わかったよ」
そう言って、まず、ユイノがアキオの額に手を触れようとし――
彼の黒髪をくしゃくしゃと掻きまわす。
「いつもやられてばかりだったから、一度やりたかったのさ」
そう言って、額に手を当て、微笑みながら言う、
「アキオ、笑って」
ほんの少し、バイタルが戻る。
キイが代わる。
額に触れ、囁くように主さま、主さま、と何度もつぶやいてから、言う。
「アキオ、笑って」
拍動がリズミカルになる。
ピアノは額に手を置き、唇を瞼と頬にあて、最後に軽く口づけた。
「アキオ、笑って」
心音が強くなる。
ヴァイユは流れていた涙を拭き、囁く。
「英雄さま、あなたが流してくだされた血のおかげで、いま、わたしは生きています。」
少女は無理やり笑顔をつくる。
「アキオ、笑って」
さらに心音が強くなる。
ミストラがアキオの髪をかき上げる。
「アキオさま。あなたが穢れなど存在しないといってくださったから、わたしはここにいるのです。わたしは信じます。決してあなたにも死は存在しません。だから――」
額に口づけし、そっと手を当てて、言う。
「アキオ、笑って」
アキオの瞼が震える。
ユスラは、髪飾りをアキオの手に握らせ、額に手を触れ、頬を寄せてつぶやいた。
「アキオ、笑って」
何度も、何度もつぶやく。
アキオの指先が少し動いた。
カマラは……カマラは動かない。じっと棺桶を見つめている。
「カマラ――」
ピアノが近づき、手を引いてアキオのもとへ誘う。
固い表情のカマラを抱きしめ、赤い眼の少女が頬を当てる。
銀色の髪と灰色の髪が触れ合って軽い音を立てた。
「あ」
カマラが声を上げる。ピアノの手には、少女から取り上げたナノ・ナイフがあった。
「急いではだめです。まだアキオは生きている」
さらにピアノはカマラの額に自分の額をあてて囁く。
「いま、やるべきこと、大切なことを忘れないで」
カマラはピアノを見つめ、うなずいた。
アキオのベッドサイドに跪き、彼の頬を両手で挟む。
「…………」
周りに聞こえない小さな優しい声で、アキオの耳にたくさんの言葉を注ぎ込む。
そして、アキオの額に手を当て、はっきりとした声で言った。
「アキオ、笑って」
アキオの心拍音が力強さを取り戻した。
安定して命のリズムを刻み始める。
ディスプレイに表示された数値が上がっていく。
これまでとは全く違うバイタルだ。
「ああ――」
ミーナが、泣くような、呻くような声を上げる。
「これで落ちついたわ。もう大丈夫。よかった、本当に良かった」
その声の調子で、少女たちは、他の誰よりもAIが心細く不安であったことを知る。
「アキオ!」
少女たちはアキオのベッドの周りに集まる。
笑顔で見つめあい、手をつなぐ。
「みんな聞いて」
ミーナの声が響いた。
「あなたたちは、わたしに感じ取れない『色』が見えるから、わかっているとおもうけど……」
AIは言葉を切り、
「さっき、みんなが声をかけてくれた時、わたしはずっとバイタルを監視していたの」
少女たちがうなずく。
「そしたらね、彼女の言葉と同じか、それ以上に、あなたたち自身の行為、囁いたり、口づけしたり、頬をあわせたりした行為の時に、彼は強く反応していたの――つまり、彼をこの世に引き戻したのは、間違いなく、あなたたち自身の力ということよ」
「ミーナ……」
「ありがとう、わたしにできない方法で彼を呼び戻してくれて。本当にありがとう」
「ミーナ」
少女たちは口々に叫んで、ミーナの映像が映されるディスプレイに走り寄る。
「わたしたちこそありがとう。ミーナ」
ディスプレイに触れ、口々に礼を言う。
深夜、極寒の極北の機内が暖かい気持ちで満たされていった。