062.まだ人間じゃない、
翌日、夜明け前に目を覚ました少女たちは、朝食の後、アキオから腕輪のようなものを受け取った。
かなり幅が太めで留め具が無く、くすんだ銀色をしている。
「これは?」
「バングルだ。二の腕にはめて真ん中のボタンを押してくれ」
少女たちがそうすると、圧搾音が響いて腕にフィットした。
「これはバリアなの。いざというとき、自動的に展開してあなたたちを守る」
ミーナの声が響いた。
「守るって、どうなるんだい」
「馬車の改造の時使ったナノ・コクーンの小型版だ」
「ああ、あれね」
「姫さまの手にも使いましたね」
ピアノが言う。
「アキオの腕にはありませんね」
ユスラが指摘する。
「必要ない」
「コクーンは強力だけど展開した時に自由に動けないのよ」
ミーナが説明する
「わたしたちは、これに包まれて守られるとして、アキオは誰が守るの?」
カマラが尋ねる。
「何だって」
「あなたは誰が守るの?」
「自分で守る」
「それでは足りないわ」
「アキオ」
ミーナが声をかける。こうなった時のカマラが強情なことを知っているからだ。
「では、持っておこう」
アキオが妥協する。
「持ってるだけで、いざという時に間に合うの?」
「あ、あの、カマラ、今回はナノ・コートも改良されているの。だから、よほどの爆発なんかに巻き込まれない限り大丈夫なのよ――アキオ、渡して」
カマラは納得しないながらも黙る。
アキオは一人ずつコートを渡していく。
キイは最初に作ったものと同じ濃紺、カマラは純白、ユイノは真紅、ピアノは灰色、ユスラは桜色だ。
全員が身に着ける。
カマラもコートを着た。
銀髪緑眼の少女が纏う伸縮性のあるコートが、例によってはっきりと身体の線を浮かび上がらせる。
ほどよい大きさながら、くっきりと半球型に盛り上がった胸から締まったウエスト、そして形のよい腰から足へと続くラインは他の少女たちの目を引く。
「風呂でも思ったけどさ」
ユイノがつぶやく。
「カマラの身体って……なんていうんだろう」
「ああ、わかりますよ。ユイノさん。これはね、エロい、というのです。ミーナから教わりました」
ユスラが言い、アキオがミーナをにらむ。
「ユイノも、あいかわらず手足が長いねぇ」
キイに言われて舞姫が苦笑する。
「人のことをパスみたいに……」
パスとは、地球でいうところの猿だ。
「褒めてるんだよ。まるで火の精みたいだ。きれいだね」
そういって、キイがユイノの尻を叩く。
そのキイも、豊かな金髪との対比が美しい濃紺のコートが見事に身体の線を浮かび上がらせていた。
「さあさあ、お嬢さんたち。新しいナノ・コートの性能を見てね」
画面上のミーナが手をたたいて注目を集め、
「アキオ、あれを」
彼は小さな棒をカマラに渡す。
「これまでは、雷球のために、ナノ・マシンがダウンして危険な状態になることが多かったでしょう。カマラ、その棒をアキオに当てて、横のボタン押してみて」
カマラが言われるとおりに操作すると、バシュッと音がして紫色の火花が飛んだ。
アキオは何事もなく立っている。
「今のは、雷球以上の威力を持っていたのよ。それでもこの通り」
「どうやって電圧を消しているの」
カマラが尋ねる。
「空中放電が4割で、残りは地中に逃がしているわ」
「アースなの?」
「そう、電圧を感知すると同時に、何本ものワイヤーが地面に向けて射出されるの。それぞれのワイヤーは細いから、移動すればそのまま切れるわ」
「2回目の攻撃は?」
「もちろん何度でも使えるわ。ダテにアキオが2日もあなたたちを放ったらかしにして作ってはいないわよ」
「いいね、それ」
ユイノが満面の笑みを浮かべる。
彼女は、アキオが雷球に打たれ苦戦する様を直に見ていたのだ。
「あとは、フードさえ被れば火球の熱も10発程度は防げるし、強化魔法によるパンチの衝撃も防げるわ」
そういって、まだフードの出し方を知らなかったキイとユイノたちにミーナが操作を教える。
「これで全部かな――そうね」
「では、いくか」
アキオたちは揃ってエクハート伯爵の部屋に向かう。
「これが身代金だ」
そう言って、伯爵がアキオの前に革鞄を置いた。
「指定の時間は今日の昼だが、間に合うのかね」
アキオがうなずく。
「それは問題ない。問題があるとすれば――」
「相手が何か小細工をしてくるという方が問題だよ。伯爵」
キイが引き取って言う。
「よろしく頼む」
伯爵が言い、マクスの母が頭を下げた。
「お任せてください」
キイが答え、アキオは鞄を持つと玄関に向かった。
実際には、かなり重量がある鞄なのだが、ナノ身体強化を終えているアキオには重さなど無いに等しい。
全員がすでに強化済みだ。
玄関前の広場に出ると、アキオは少女たちを振り返った。
「用意は」
「できています」
「行くぞ」
「はい」
全員の返事を聞いて、アキオは走り出した。
初めのうちはゆっくりと走る。
だが、それを見ていたエクハート卿にとっては、目にも止まらないスピードで駆けだしたように見えただろう。
徐々にスピードを上げ、森の中を疾走し始める。
走るうちに、地平線近くに浮かぶ紫色の雲が徐々に赤みを帯び、朝焼けに光り始めた。
振り返ると、少女たち全員が嬉しそうに輝く朝焼けを見ながら走っている。
「ミーナ」
「はい」
「全員のバイタルは把握してるな」
「見てるわ。好調そのものよ」
「注意しておいてくれ」
ふっと、AIが笑う。
「なんだ」
「相変わらず過保護なんだから」
そのやり取りをインナーフォンで聞いている少女たちの顔にも微笑みが浮かんだ。
地図上では、ポカロはサンクトレイカ王国の首都シルバラッドの東、エストラ王国寄りの湖水地方にある。
シュテラ・ナマドからは北東方面に向かうわけだ。
エストラ国内は、かなりサンクトレイカと植生その他が違うらしいが、国境沿いにある山脈を超えないかぎり森林の雰囲気は変わらないようだ。
11:13。ポカロの城門に着く。
もともと街として発展した場所ではないため、外から見ると一つの巨大な城のように見える。
「これがポカロか。街ではなく城だな」
「王族の避暑地としてのみ使われていた城です。無駄なことをするものです」
ユスラが冷たく言い放つ。
「中に人は」
「通常は誰もいません。PSが復活して、城内には壁を乗り越えた魔獣もいるでしょうから」
「荒野と同じ状況で、さらに魔獣が潜みやすい建物がある場所に入ろうなんて人間はいないよ」
キイが笑う。
彼女は、2本の長剣をカーボン製の鞘に挿しシリコン・ベルトで背負っている。
一本はアキオが渡した変形ナノ・ナイフの長剣で、もう一本はアイリスだ。
アキオはバンドで時刻を確認した。
11:35だ。
門に手を当て押し開ける。
「待って、アキオ」
ユスラが声をかけた。
「どうした」
「この数日、それからここについてからも考えていたのですが、今の段階で、一番確度の高い推論をいってよいですか」
「いってくれ、君の専門だ」
黒髪の少女はうなずいて話し出す。
「この城はサンクトレイカ王族、それも特に王に近い者たちの所有物です。それと、あなたとマクスさんを襲った暗殺者が使った銀針、さらにピアノさまからの情報を合わせて考えると、おそらく、中で待つのは、この国の王族です。そうであるなら実際に動いているのは、メルヴィル・ド・コント――ピアノさまがご存じの頃は内部調査部の課長とのことでしたが、ここ1年の内部闘争の結果、彼は内務部の長になっていたはずです。少なくとも、わたしが公務を離れる頃はそうでした」
「内務部って、王様の側近中の側近じゃないか」
キイが驚く。
「すみません、キイさん。来る途中で話をしようと思ったのですが、確信を持てなかったのです」
「今はあるのですね。姫さま」
ピアノが聞く。
「はい」
ユスラは、頬にかかる長い黒髪を、手でをはらりと背に回して地面を指さした。
「これが証拠です」
「轍だね」
「砂埃の上に、はっきりと、王族専用馬車の車輪痕が残っています。しかも、これは新しい。今朝がたついたばかりと思われます」
「すごいねぇ。ユスラは」
キイの誉め言葉に少女はうつむく。
「ただひとつのわたしの取り柄ですから」
「ありがとうユスラ。これで行動方針が立つわ」
ミーナが言い、アキオがユスラの頭を撫でた。
「それを踏まえての指針は?二人で考えてくれ」
「内務部長が来ているということは、例の暗殺集団もいるわね」
「その者たちは問題ありません」
「そうとも」
ピアノとキイが穏やかに言う。
「王族と内務部長が来ている、しかも隠密で、ということの意味は二つ、ひとつは狙いはエクハート家でも身代金でもなく、名前が指定されたキイさん、正確にいえば、あなたに必ずついてくるであろうアキオであるということ」
「だろうな」
「そうだね」
「アキオはミストラの話は聞きましたね。『突然現れて不思議な力を使う者を探している組織』がある、と」
「それがサンクトレイカ王族……」
カマラがつぶやく。
「その可能性はあります。アキオのもつナノクラフトが欲しい、他の誰にも知られないうちに。そう彼らは考えたかもしれません。しかし、必ずしもそうとは限らないのです。王族は、他国からの圧力で動くことも考えられます。特に今は――」
「このあいだ行われた海戦ですね」
ピアノが言う。
「今後、サンクトレイカは姫さま抜きで戦わなければならない。必ず負けますね」
「負けるでしょう。あの戦力、練度で勝てるわけがありません」
「あんたは……さらっというんだから」
ユイノが苦笑する。
「海戦後の、今後の対応を変えることを餌に、西の国がアキオを欲しがるっていうのかい?」
「あるいは、第三国が、西の国との仲を取り持つことを条件にアキオを欲しがっている」
「第三国って、ニューメアしかないけどね」
キイが笑う。
「いずれにせよ、王族と取引するのは王族、ということね」
ミーナがまとめる。
「そうです。そうであるならば、王族と内務部長は、外国がそれほど欲しがるアキオを、その目で確かめたいと思うでしょう」
「取引で警戒すべき点は?」
「相手の目的はアキオです。マクスさんは、どうでもいいと考える可能性が高い」
「マクスの命が危ないな」
「まずは彼女を確保するよ」
力強くキイが言う。
「それと、外国勢力が介在している場合、未知の戦力が存在する可能性があります」
「それにしたって、新しいナノ・コートとバングル・バリアがあれば、ほぼ問題ないだろうね」
「油断はするな」
「はい」
「では、行くか。フードは被っておけ」
そういって、アキオは巨大な扉を押し開ける。
露天にも関わらず、城内には淀んだ空気が溜まっていた。
シュテラ・ミルドに似た白い石畳が奥まで続いている。
「相手は、おそらく城の中央部にいるでしょう。こちらです」
ユスラの案内で、アキオたちは進む。
魔獣と出くわす可能性があるので油断はしない。
しばらく進むと、柱の影から黒いフードの男が現れた。
「金は持ってきたか」
くぐもった声で尋ねる。
アキオが革鞄を掲げて見せた。
「こっちだ」
先に立って進む男について歩いていく。
長い道のりだ。
いくつもの回廊を歩き、階段を上がった。
「ここだ」
建物のほぼ最奥、最上階の部屋らしき巨大な扉の前で男が立ち止まる。
両開きの扉が内側から開けられた。
「入れ」
内部は、白を基調とした装飾品と調度品で重厚に飾られた部屋だった。
かなり広い。
かつては王族との拝謁室として使われたのだろう、赤い絨毯が入口から部屋の中央部に向かって伸びている。
その絨毯の端にある、直径10メートルほどの円形模様の縁に背の高い黒フードの男とマクスが立っていた。
少女は蒼白な顔色をして、今にも倒れそうにフラフラしている。
「マクス!」
キイが叫んだ。
「アキオ」
すっと彼の後ろに近づいたユスラが囁く。
「何か変です。男たちの数が5人。人の数が少なすぎます。わたしたちの武器を調べないのもおかしい。部屋に固定の罠がある可能性が高くなりました。気をつけて」
「わかった」
「あと、前方左の壁に、王族が隠れて覗き見る部屋があって、おそらくそこに王族、いえサンクトレイカ女王がいるはずです」
「金を持ってこい。こいつと交換だ」
マクスの腕をつかんで立つ男が叫ぶ。
「分かった」
キイがアキオに近づき、革鞄を取ろうとすると、
「お前じゃない。その男に持ってこさせろ」
アキオはキイと目を合わせ、うなずく。
「この円の反対側の縁に鞄を置け。合図で俺とお前が歩いて入れ替わり、お互いの獲物を持って帰る。簡単だろう」
アキオは鞄を持ってフードの男とマクスの反対の円周上まで歩き、そこに立った。
革鞄を置く。
キイたちにとっては、向かって左がアキオで右がマクスということになる。
「フードを取って、顔を見せろ」
アキオがその通りにする。
「黒い髪、焦げ茶の目、お前、名前は」
「アキオ」
男がうなずく。
「1、2、3で、お互いが歩き始める。いいな」
「わかった」
男の合図で二人はゆっくり歩き始める。
円の中央ですれ違い、さらに二人は歩く。
あと少しのところで、マクスがぐらりと身体を揺らして前に倒れ始めた。
「に……げて」
小さいが、はっきりした声は、その場にいたすべての少女たちに聞こえた。
アキオが振り返りざまキイに言う。
「ナノ・ソードを」
理解するより早くキイは、ナノ強化した身体で鞘ごと剣を投げた。
アキオは空中でそれを受けると、一振りして剣を抜き放つ。
フードの男が、キイにわからない言葉をアキオに向かって叫んだ。
一瞬、アキオの動きが止まる。
「アキオ!」
ミーナの声がインナーフォンに響き、アキオが再び動き出そうと――
すべてがほぼ同時に起こった。
フードの男が、袖口から何かを取り出し、アキオに向けた。
銀の光が彼に走り、フードを取った首筋に当たって火花を上げる。
体勢を崩しながら、アキオはナノ・ソードを一閃させた。
マクスの体が胸の下で両断される。
胸から下と左腕を失い、血しぶきをあげながら回転するマクスの上半身の右手をつかんでアキオは抱き寄せた。
そのまま身体をひねり、少女の下半身を蹴り飛ばす。
「マクス!!」
キイが悲鳴を上げて駆け寄ろうとした。
すでにカマラがその前を走っている。
離れていくマクスの下半身が爆発した。
激しい閃光とともに、多数の異物が飛んでくる。
バシュッと音がして、カマラとキイを繭が包んだ。
アキオは爆発に背を向けてマクスを守る。
だが、爆発源が近すぎた。
ナノ・コートの防御も効かず、アキオの左腕と右足が吹き飛び、マクスの下半身に埋め込まれていたらしい金属片が彼の頭、首、背中に突き刺さる。
「そんな……人間爆弾。ありえない」
ミーナが、一瞬茫然としてつぶやく。
カマラとキイのコクーンが解除され消滅した。
他の少女たちは、爆発から離れていたためコクーンは展開していない。
次の瞬間、広間にいるフードの男たち全員がハリネズミのようになって転がった。
ピアノとユイノの銀針とナイフを身体中に受けたのだ。
「ア、アキオ――そんな」
AIが声を震わせる。
「カマラ、アキオとマクスの手当てを。ミーナ、落ちついて」
ユスラの冷静な声が響く。
「ピアノ、バングルを!」
アキオに駆け寄った少女が叫ぶ。
ピアノが自分のバングルをカマラに投げる。
少女はピアノの腕輪を受け取るとマクスに当ててボタンを押した。
破裂音がして、マクスの上半身はコクーンに包まれる。
続いてアキオの胸元から彼のバングルを取り出し、コクーンで彼を包む。
「ミーナ!」
「え、ええ、マクスは大丈夫。アキオが心臓と肺を残して斬ったから。問題はアキオね」
「アキオ」
少女たちがアキオに駆け寄ってくる。
アームバンドの表示を見てカマラが言う。
「ミーナ、爆弾に劣化ウランが含まれているわ」
「ええ、ナノ・マシンを持つあなたたちは大丈夫だけど、アキオは……直前にワイヤー針スタンガンを受けて、マシンが機能停止していたから――危険ね。今はコクーンに仕込まれた新しいナノ・マシンが働いているし、もうすぐ彼自身のマシンも再起動するだろうけど」
「頭と首の傷も心配ね」
「すぐジーナに連れて帰って」
「分かったわ」
「キイ、マクスを抱いて。カマラ、アキオを頼みます。ユイノさん、泣いてないで2人を守って一緒に行きなさい。ピアノさま、アキオを撃った男の道具を回収してください」
「あなたはどうするの、ユスラ」
「わたしは、少しだけここで用事があります。さあ一刻を争います。行ってください」
少女たちが部屋を走り出ると、ユスラは、部屋の左側に向かって歩いた。
「姫さま」
ピアノが後ろに控える。
「そこにいるのは分かっています。あなたに、このような大それたことができるとは思いません。ですから期限と警告を与えます。よく聞きなさい」
ユスラが凛とした調子で言う。
「お前は誰に向かってものをいっているつもです。姫と呼ばれているようですが貴族風情が姫とは愚かなこと」
若い女の声が響く。
「しかし、あの男、人間なのか?助けに来た者の体を一刀両断とは」
そう言って、おかしそうに含み笑いをもらす。
「黙りなさい!」
ユスラがフードを取る。
「エネラガラスフォレルスミラデサマリオ」
「な、なぜその名を」
「もう一度言います。おまえに期限と警告を与えます。期限は3日。それまでに、今回の経緯を詳細に調べ上げさせなさい。横にいるであろう内務部長に。その間、おまえは祈りなさい。アキオが、わたしの命が亡くならないように」
「まさか……お姉さま?」
ユスラが淡々と続ける。
「もし、3日以内に調査できなければ、地図からこの国を消します。アキオが死んでも消します。抵抗は自由ですが無駄です。髪の色が変わろうとも、右腕から星の痣がなくなろうとも、能力には関係ありません。逃げても無駄ですよ。あなたと隣にいる男、そしてその男との間に生まれシュテラ・ガルンストの民家で育てさせている不義の子も殺します――」
そういってから、少し黙った少女の青灰色の瞳に鬼火が宿る。
「いえ、もう全員消してしまいましょうか。さっき、おまえが、わたしのアキオを人間ではない、といったから――」
少女の脳裏に、雨の中コートに包まれて見上げた彼の顔と温もりがよみがえる。
「誰にもそんなことはいわせません」
「ひっ」
引きつった女の声が響く。
「姫さま……」
ユスラの背後から、そっとピアノが腕に触れる。
「そうですね。やはり待ちましょう。その間、わたしの命を狙ってもかまいませんが――」
「わたしがさせません。義兄上。少なくともあなたの無能な部下では無理です」
ピアノがフードを取って宣言する。
「ピアーノ……」
震える男の声が響く。
「いいえ、わたしはウサギ。いまのわたしは、あなたの無謀な暗殺計画に応えるために過剰な毒を採って死にかけ、捨てられた哀れな娘ではありません。さらに今はアキオから不思議の力をもらい、もはや殺せない者などいません。今夜にでも、お二人の閨に推参いたしましょうか」
少女は微笑み、ユスラが、アキオのようにピアノの頭を撫でる。
「3日です。そして祈りなさい。わたしのアキオの無事を」
そう言い捨て、ユスラは踵を返して部屋を出て行き、ピアノがそれに続いた。
部屋を出ると、全力疾走に移る。
「急ぎましょう。姫さま」
廊下の陰から出てきたゴランを銀針で打ち倒したピアノがユスラを振り返る。
「――」
少女は言葉を失った。
黒髪の少女が、大きな瞳から涙をあふれさせ、身も世もなく泣いていたからだ。
「姫さま」
「ご、ごめんさい。でも、もし……もし、アキオが死んだら――わたしはダメです。あなたやカマラさんのように覚悟はできません。もっと、ずっと、永遠にアキオと一緒にいたい。嫌です。嫌です。アキオ、アキオ――」
走りながら、ピアノは少女と手をつなく。
優しく握り返す。
「あれほど毅然としておられたのに」
「人を説得、恫喝する時は、決して泣いてはいけません。同情心を誘うやり方が通用するのは子供同士だけです。わたしたちは命のやり取りをしているのですから」
そう言って、少女は再び泣き始める。
まるで童女に帰ったように泣きじゃくる少女を見て、ピアノも涙で視界がにじみだすのだった。