611.空から降ってきた彼女 05
「その顔は本物なのか」
厩舎の中、脚を折りたたんで猫のように床に蹲るシーヴァの隣で、家令のジャルシュに命じて持ち込ませたソファに身を沈めながら、わたしは尋ねた。
「どういう意味?」
彼女が首を回してわたしを見る。
「そうね――もちろん本物じゃないわ。でも、ある意味本物ではある」
「わからないな」
「いま、あなたの見ているわたしの顔は、疑似生体プラスティックによる作り物の皮膚を63本ある筋線維型アクチュエータによって表情を作っている偽物よ。でも、その各種、表情用データは3Dマッピングで得られた本物、つまり――」
「その顔は、君が生身であった時の顔そのまま、ということか」
「まあ、そうね。たいていのデータは、持ち主の潜在的な意向で、本物より美化したチューニングが施されるから、実物は、これの80パーセント程度だったと思ってくれたらいいわ」
ざっくばらんなその言いように、思わずわたしは笑った。
正直にも程があるではないか。
「戦闘用の身体なのに、なぜ、わざわざ人間の顔を装備するんだ?」
「王さまは、機械化兵についてくわしくないのね」
「そうだ。サイベリアで学んだのは、農業技術とウェザー・マシンによる気象操作だった」
「機械化兵は、今もあるのよね?」
「ある」
「そう、だったら――たぶん、今もあまり変わってないと思うけど、完全機械化された人間は、いくつかの問題に直面するのよ。ひとつは、半年ほどで精神を病んで自殺してしまうこと。教育者からは、自分が何者かわからなくなるからって教えられたけど……」
「なんとなく分かるような気がするな」
「そう?王さまは頭が良いのね――やがて、長い試行錯誤の末、ひとつの解決法が発見された。それは完全機械化兵に元の顔を与えること。精巧な本来の顔を与えられた機械化兵は、安定した精神を保つことができるの。まあ確かに自分に照らし合わせ考えると、身体はこんなでも、鏡で元の自分の顔を見ていたら、確かにわたし自身って感じがして気持ちが落ち着くのは本当ね」
彼女はゆっくりと瞼を閉じ、開けた。
「それに、兵士としても、緊急時には、表情を見せながら意思伝達したほうが、正しく情報が伝わると言われているわ」
「なるほど」
わたしは感心した。
自分の知らないことばかりだ。
「他にどんな問題がある?」
「いくつかあるけど、大きな問題としては、身体を無くした痛みが全身を駆け巡る幻体通ね。まあ、それはジャルニバール煙草を吸うことで緩和できる。わたしのように身体が大きいと、専用のタンクが体内にあって定期的に投与されるんだけど」
「いまは足りてるのか」
「大丈夫よ。40年経ってるといっても、冬眠していたからほとんど減っていないから」
わたしはうなずき、ふと思いついて尋ねた。
「会話はどうやって行っているんだ。脳から直接、発声指示することはできないと聞いたことがあるが」
「視界に映し出されるバーチャル・スクリーン上で言葉を作って、それを発声させているのよ」
「そのわりに滑らかだな」
「人間の会話の8割は簡単な相槌とパターンでできてるらしいわ。だから普段はほとんど文章を作らずに会話ができるの。たまに変わった話をする時は、AIがわたしの普段の会話を分析した結果をもとに文章の候補をあげてくれるの。悲しいことに、それが本当に良く当たるのよ」
「なるほど、それは確かに――」
突然、厩舎の軒に下げた鐘が鳴り始め、わたしの言葉は遮られた。
「敵襲だ」
代わりにわたしは彼女に言う。
わたしとシーヴァが到着すると、すでに戦闘は始まっていた。
夜陰に乗じて攻め込もうという作戦のようだった。
「下がらせて」
彼女の言葉で、わたしは軽歩兵を後方に移動させた。
「やるわ」
その言葉と同時に、彼女の兵装が展開し、火器が火を噴き始めた。
凄まじい音だ。
時折、銃弾の中に混じる、緑色に輝く弾が敵の姿を浮かび上がらせる。
たちまち、トルメア兵は沈黙した。
しばらく様子を見るが動きは無い。
「終わったのか」
「わたしの索敵装置に反応はないわね」
銃器を格納しながらシーヴァが言う。
彼女の言葉を信じ、数名の見張りを置いて、わたしたちは厩舎に戻った。
それから3日、シーヴァは、朝に夜に間欠的に押しよせるトルメア兵をことごとく撃退した。
トルメアは、本来なら強力な軍事力をもって、一気に敵を押しつぶすという戦略をとる大国だが、三方を神の霧に囲まれ、通常なら必ず行うはずの、上空からの絨毯爆撃すら不可能な我が国に対しては、子供の用に稚拙な、生身の兵士による突撃を繰り返すだけだった。
その程度の攻撃なら、わが妻シーヴァの火力で充分押し返すことができる。
見事な彼女の活躍を見るうち、領域内の国民の態度も変わってきた。
兵士はともかく、初めのうちは彼女の異様と巨体を恐れて、声をかけるどころか近づきもしなかった老人や子供が、わたしに寄り添うように、領内を歩き回る彼女に話しかけるようになってきたのだ。
記憶にまだ曖昧な部分はあるものの、日常会話に支障のない、彼女の明るい声と話しぶりは人々の好むものとなり、日ごとにシーヴァは人気者となっていた。
さらに、どこから漏れたのか、彼女がわたしの妻であることも人々の知るところとなっていた。
「そりゃ、シーヴァさまは綺麗な人だからななぁ」
頭部の防御フードから伸びる黒髪、くっきりした黒い瞳、すっと通った鼻筋、濡れたように赤い唇、多少人間離れしたものではあるものの、彼女の美貌は国民に周知され、わずか数日で、強く美しい王妃として国民に受け入れられていたのだ。
もちろん、それは国民だけではない。
わたし自身も、ソファに代えて厩舎に持ち込んだ寝台に横になり、いつものように脚を畳んで床にうずくまるシーヴァの傍で行う彼女との会話が楽しみになっていたのだ。
もちろん、わたしが毎夜シーヴァと寝室を共にするのは、第一にトルメア軍の夜襲に備えてのことで、いかがわしい目的があるわけではない。
だが、今さらながら、この数日ではっきりしたこともあった。
それは、彼女が本当に、わたしの妻として我が国のために戦ってくれている、ということだ。
わたしはそれが嬉しかった。
滅びつつある国の片田舎の王族として、年齢の釣り合う恋人もおらず、いつの頃からか、妻も娶らず、おそらくは最後の王として国の終末を看取るのが生涯の仕事だと考え始めていたのだ。
そこへ彼女が現われ、妻となってくれた。
さらに毎夜、おとぎ話の姫君のように、様々な話でわたしを楽しませてくれる。
彼女の話は、本当に魅力的だった。
体感時間で、ほんの数日前まで40年前の過去を生きていたシーヴァの話は、タイムマシンで時代をさかのぼったように、わたしを歴史上の事件の目撃者にしてくれるのだ。
実際、彼女は、完全機械化された強力な傭兵として当時の重要作戦の多くに参加していた。
シーヴァは、その性格の陽気さ鷹揚さからは考えられないほど歴戦の戦士なのだ。
いまも、彼女は、多少機械的ながらも美しい声で、わたしに話をしてくれている。
「というわけで、わたしの一番の誇りは、上官の一等軍曹殿が腕に巻かれる矢羽の記章を毎日磨くことだったのよ――どうしたの、あなた」
「いや、なんでもない、ただ……」
わたしは少し尖った声を出した。
実のところ、いま、わたしは気分を害しているのだ。
彼女が、またいつもの上官の話を始めたから――
「自分の妻が、そんな甘い声で、他の男のことを話すのは聞きたくないものだ」
「ああ、それは――わたしの不注意だったわ。だけど気にすることはないのよ。上官殿は、女性に興味の無いお方だったから。でもうれしい」
「何がだ?」
「あなたが、妻として、女として務めを果たせない、こんな身体のわたしを大事に思ってくれているのがわかるから」
「そんなこと――」
わたしは、掌で、大きく黒い彼女の身体に触れる。
「それは君の欠点ではない」
「ありがとう、あなた。でも――」
シーヴァが優しい眼でわたしを見る。
「生身のわたしの感触も、夫のあなたには知ってもらいたかったのよ」
言ってからすぐに彼女は首を振り、
「今さらながら馬鹿なことを――とにかく、不思議なめぐり逢いで、命が尽きるまでに、絶対になれないと思って諦めていた人妻にしてもらったのだから、あなたのために、この国のために、妻として王妃として、できる限りのことはするわ」
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