610.空から降ってきた彼女 04
だが、もっとも印象的だったのは、その血のように赤い唇だった。
呆けたように、わたしは彼女の顔を見ていたが、切れあがった猫の目のような瞳がわたしを見つめ、瞬きすると、シールドが降りて顔が隠れた。
「詳しい話は後にして、皆さんにわたしを紹介してくださいな。先ほどのわたしたちの会話は聞こえていなかったでしょうから」
彼女の声が響く。
言われてみれば確かに、わたしは兵たちを守るために、トルメア兵たちに向けて独り前方へ飛び出していた。
そこで交わされた声は、背後の我が兵たちには届かなかっただろう。
「わかった――だが、いきなり、君をわたしの妻にしたといったら、動揺するものもでてくるだろう。とりあえず、君が我々の味方をしてくれることになったと伝えるだけでいいか」
「いいわよ」
ほんの少し不満をにじませながら彼女が答える。
「仕方がないわね」
「名前は」
「え」
「君の名前を教えてくれ」
「わからないわ」
間を置かず彼女が答えた。
「どうして」
「ずっと眠っていて、さっき目覚めたばかりだから、まだ頭がはっきしりないのよ。いいわ、あなたが決めて」
わたしは少し考えて言う。
「シーヴァロッタ」
「シーヴァロッタ――いいわ。なにか意味はあるの」
「我が国の古い言葉で黒と赤という意味だ」
「わかったわ。あなたの妻の名はシーヴァロッタ。了解よ。さあ、紹介が終わったら、ふたりだけになれる場所へ連れて行ってね。話しておかなければならないことがあるの」
わたしは振り向くと、遠巻きに恐々とわたしたちを見守る兵士と民に、シーヴァロッタが仲間に加わったことを話した。
ナーガリ・マッラ王国は、辺鄙な山間の国だ。
他国との交流も、ほぼ無いため、ロボットや強化兵を直接見た者はほとんどいなかったが、ずっと前から、そういったものが存在するということは、知識として知っているものが多かったため、彼女を闇雲に恐れるものはいなかった。
ただ、民を安心させるため、とりあえず私がシーヴァロッタと知り合ったのは、サイベリアの軍事基地見学のおりであり、今回、彼女は我が国の窮状を知って、傭兵として急遽駆けつけてくれたということにした。
実際に、彼女の強さを目にした兵士たちは有頂天になっていた。
さすがに近づいて手を触れるものはいないが、次々に親しみの挨拶を送ってくる。
「さあ、こっちだ」
わたしは、自分の住まいへ――本来なら王宮と呼ぶべきなのだろうが、ナーガリには、そのような贅沢なものはない――シーヴァロッタを招いた。
一般国民よりわずかに大きな石造りの建物だ。
しかし、どの出入口も、彼女が通ることができるほど幅広ではないので、とりあえずは、住居に併設された厩舎へ入ってもらう。
もっとも、厩舎と呼んではいるが、一度も馬やロバなどを入れたことは無い。
それらを買うだけの余裕がないからだ。
「殺風景で申し訳ないが、すぐに住みやすいように改良するつもりだ。我慢してほしい」
「湿った洞窟で待機することを考えたら、これで充分よ」
「そんなことをしていたのか」
「軍事行動ってそんなものよ」
「楽にしてくれ、シーヴァロッタ」
わたしは、厩舎内に置かれた折りたたみ椅子に腰を下ろしてシーヴァロッタに声を掛けた。
「シーヴァでいいわ」
そう言いながら、彼女は厩舎内の中央に、脚を畳んで胴体を床に降ろした。
シールドが上がって顔が露わになる。
「まず、お互いのことを知りたい。婚姻――を結ぶためには必要だろう。わたしは気の利かない男だから失礼なことをいうかも知れないが許してほしい」
「気にしないわ。何でも聞いて」
「では」
わたしは彼女を見た。
「根本的なことから聞こう。君はロボットではないんだな」
「そこからなの」
彼女は目を見開くが、すぐに笑顔になる。
「そうよ。わたしは機械化兵。からだはこんなだけど、もとは人間の女兵士で、脳だけがこの身体に収められているの」
「記憶がないというのは」
「言葉通りよ。さっきもいったけど、長い間眠っていて、目が覚めたばかりだから、ところどころ記憶が抜けているの。しばらくすれば戻るかもしれないし、駄目かも知れないわね」
「長い間、とはどのくらいだ」
「体内時計で確かめたけど、今は22世紀の半ばね」
「2158年だ」
「ということは、37年ほど眠っていたことになるわね。機械化兵は緊急時に最低限の生体維持機能を残して冬眠モードに入ることができるんだけど、わたしは、37年前のアンナプル要塞破壊作戦でチョモランマのクレヴァスに落ち込んで身動きがとれなくなったのよ。それで救難信号を発したまま冬眠したんだけど」
シーヴァは少女にも見える若い顔に苦笑を浮かべて言う。
「発見されたのが2日前ということね」
37年の睡眠、わたしはつぶやいた。
シーヴァが何歳で冬眠に入ったかはわからないが50歳は越えていることになる。
「あ、冬眠に入った時、わたしは20歳だったから、今も20歳よ。冬眠中の時間はノーカウントだから」
「どこに所属していた?」
「裏海連合国よ」
「もう無い国だな」
「でしょうね。当時から国力は弱かったから」
「残念だ」
「気にしないで、わたしは傭兵だから。もとは東の果ての、海に沈んだ国の出だし」
「記憶が戻ったのか」
「ある程度はね。でも、ところどころ欠けてるのよ。37年は短くないわ」
「どこの国に救助されたんだ」
「よくわからないけど、無人偵察機がわたしを見つけて回収してくれたみたい。帰投時に、ここの上空を飛んでいて、突然、不調になって墜落したの。結局、無人機は大破したわ。あれはT粒子ね。わたしは、なぜか無事だったけど。あとは知ってるわね」
「そうか」
「あたしからも聞くわ。さっきのはトルメアね」
「そうだ」
「なぜ、この国を狙うの」
「ここには軍事用の希少鉱石があるらしい」
「石だけ出させればいいのに」
彼女はわたしの顔を見て続ける。
「ああ、国ごと滅ぼそうとしてるのね。相変わらずクズの国ね――そうか、だったら、あと数日、たぶん3日ほど耐えれば、なんとかなるかもしれないわね」
「なぜだ」
「思い出したの、ドローンについていた紋章を。わたしを救助したのはサイベリアよ。あの国はしつこいから、墜落したドローンと回収したわたしを確かめるためにここに来るはずよ。トルメア同様、あの国も昔と変わっていないなら、調査隊が来るまで3日はかかるはず。指揮系統が複雑だから。サイベリアもクズだけど、トルメアほどじゃないから、鉱石を差し出したら守ってくれると思う。あなた、サイベリアに伝手はないの」
「先日まで王都に留学していた。知人もいる」
「なら大丈夫ね。本当だったら、サイベリアに連絡できればいいんだけど」
「神の霧、T粒子があるから駄目だな」
「でしょうね。とにかく、3日耐えればなんとなかるわ。わたしに任せて、守ってあげるから。大丈夫よ――あなた」
シーヴァはそういうと、器用に片目を瞑って見せるのだった。




