061.前夜
「今夜も来ないのかねぇ」
ユイノが不満げにつぶやく。
「せっかく、部屋の用意をしてもらったってのにさ」
彼女は、部屋の中央に置かれた大きなベッドを見つめる。
エクハート邸に二日目の夜が来ていた。
屋敷に泊まるに際し、彼女たちは、我がままを言って大きめの部屋に6つのベッドを用意してもらったのだった。
一つのベッドを5つのベッドが取り囲む形だ。
「こんな用意をしても、主さまが寝たがるとは思えないねぇ」
「アキオの気持ちは関係ありません。ここに来たら、まずなんとしても寝かせるのです。そして、その後、わたしたちが寝かしつけるのです」
「姫さま、それは過激すぎます」
「あはは」
部屋にミーナの声が響いた。
中央に置かれた等身大スクリーンに和装の少女が映る。
「あなたたちは良いわねぇ。本当に良い子たち」
「姉さん。アキオの手伝いをしなくていいのかい」
「してるわよ、向こうで。こっちはこっちのわたしなの」
「便利だねぇ。うらやましいよ」
「アキオと話をしながら、わたしたちと話もできるというのは羨ましいですね」
スクリーンの少女が、ポンと手を打つ。
「そうだ。良い機会だから聞いておこうかな。あなたたちの夢はなに?」
「夢?」
ユスラが不思議そうな顔をする。
「夢というのは、夜寝るとき見る、というより、このあいだキイさんとユイノさんが――」
「あー」
ユイノが言葉をさえぎる。
「その話はいいんだよ。もう済んだことさ、ねえ、キイ」
「そ、そうだね。あれは、まあ事故だよ、事故」
「それで、ミーナのいう夢、とは願望というか希望の意味の夢と考えてよいのですか」
「そうね。それよ」
「だったら、わたしはもう叶ったね」
キイが伸ばした自分の指先と腕を見る。
「そうだねぇ。あたしもそうだよ。叶ったね」
ユイノも自分の体を抱くようにして言った。
「わたしも、ほとんど叶いました」
ユスラが言い、
「ピアノさまは?」
「夢というのがよくわかりませんが、一日でも長くアキオと過ごしたいですね」
「わたしもそう」
少女たちが声を合わせて叫ぶ。
「カマラは?」
「わたし――」
緑の目の少女はつぶやき、
「わたしは――欲張りです。アキオとしたいことがたくさんある――」
「え、それはつまり……」
先回りして、早速ユイノが頬を染める。
「まず、釣りがしたいですね。あと、一緒に狩りもしたい、ムサカ狩りを。空も一緒に飛びたい。でも、なにより……アキオと踊りたい。ユイノさん、聞いてますよ。右から入って――」
皆が驚いて自分を見ているのに気づいて、カマラが黙る。
「驚いた。あんた、そんなに長く自分のことをしゃべるんだ」
「アキオの話だと彼女はたくさん話しますよ」
ピアノが可愛く笑う。
「ピ、ピアノが笑った」
皆が驚く。
それを見てミーナが大笑いする。
「まるで、UMAを発見したみたいな騒ぎね」
「わたしも踊りたい!」
キイが興奮して叫ぶ。
「そうだよ。アキオは踊れたんだ」
そこで少女は、はっとする。
「でも、わたしは踊れないんだった」
「心配しなくてもあたしが教えるよ。あんたぐらい運動神経が良かったらすぐに覚えるさ」
ユイノがキイの背中をバンバン叩く。
小柄な紅髪美少女が金髪美少女を叩く姿はある種シュールな映像だ。
「わたしもお願いします」
カマラも言う。
「いいとも。アキオとのダンスは楽しいよ。あたしが保証する」
少女たちが、わっとユイノに群がる。
その様子をミーナはじっと見つめ、
「変な質問だけど許してね」
伏し目がちに言う。
「あなたたち、もしアキオがいなくなったらどうする?」
「え」
少女たちの表情が凍りついた。
「それは、どこかに行く、ということですか」
ピアノがきく。恐ろしいほど不安な表情だ。
「うーん、いなくなるというか――もし……もし彼が死んだら」
「ああ」
ピアノがほっとしたように息を吐いた。
「どうもしません」
「そうね。変なことを聞かないで、ミーナ」
カマラも安堵したように言う。
「ええ!アキオが死ぬのよ。悲しくないの?」
「それは悲しいです」
「もちろん。それにわたしが守るから、そんなことは、ほとんどないと思うけど」
「あなたたち――意外ね」
「そうだね。あたしなんか、考えるだけで恐ろしくなる……」
「しかたないでしょう。いずれ人は死ぬものだから」
「そうね」
カマラとピアノの視線は揺るぎない。
「悲しくないの」
「きっと悲しいと思います。でも――」
「苦しいでしょうね。でも――」
「それは一瞬ですよ」
「そうね」
ピアノとカマラは口々に言う。
「わからないねぇ」
キイがつぶやく。
「あなたたちなら、息することもできなくなると――」
少女の言葉が止まった。
「やっとわかりましたか?」
落ち着いた微笑みを浮かべたユスラが言う。
「アキオが死んだ時点で、彼女たちは息をしていないのですよ」
「あなたたち!」
ミーナがきつい声を出す。
「そんなふうに、人の命に自分の命を乗せちゃダメ!」
少女たちは黙っている。
「アキオもそれは望まない」
「そうね」
カマラはうなずき、
「きっとアキオは望まないでしょう。でも、わたしはアキオのいない人生を望まない」
「彼ならきっというわ。それでも人は生きなければならない、って」
「いうかもしれない。でも、わたしも彼なしで生きることはできません」
ピアノが言い切る。
「それではダメなのよ」
「諦めなさい、ミーナ」
ユスラが止める。
「彼女たちは、そういう生き物なのです。そう考えなければなりません。説得は無意味です」
少女は微笑み、
「わたしも……そうですね、国と民への責任がなくなった今なら、彼が死んだら生きる理由はなくなりますね」
「あ、あんたたち。駄目だよ。そんなこといっちゃ」
「ユイノさん、あなたはその天性のダンスの才で人々を幸せにしろ、と彼にいわれているのでしょう。だったらそうすべきです」
「わたしは……アキオのために死ぬ、といった時、死ぬことを前提とした仲間は欲しくない、といわれた」
キイが独り言のようにいう。
「だから死ねない」
これ以上、この話を続けても無益だと判断したミーナは話題を変える。
「では、もうひとつ。アキオがどこかに行ってしまったら」
「そんな可能性があるのですか」
ピアノが叫ぶ。
さっきまでの落ち着きようが嘘のように消え去り、置いてきぼりにされた幼児のような表情だ。
「そんなことは絶対ありません。わたしが許さない。どこに行こうとついていきます」
カマラが言い切る。
「どこかに行くなら、あたしもついていくよ。定期的にアキオの前で踊らなきゃならないし」
「仕える身としては共にあらねば……」
「皆さまご心配なく。本気になったわたしの手から逃れられるものはいません。あらゆる手を使って追跡しますので」
少女たちの言葉を聞いて、ミーナは天を仰いだ。長い黒髪が揺れる。
先日、彼女は、マクスを奪われ宿に戻ったアキオから、この話を持ち出されたのだった。
今回のマクス冤罪および誘拐の件は、どうも、エクハート家というより彼に原因がありそうだ、と。
また、今回はそうでなかったとしても、今後、データ・キューブを王宮から取り戻し、ナノクラフトという名が広まれば、彼の周りは危険になるだろう。
地球世界の彼がそうであったように。
アキオ独りなら問題はない。
傀儡を通じ技術とモノを売って資金と資材を手に入れ、独り研究室に籠っていればよいのだ。
だが、若い娘たちが一緒だとそういうわけにはいかない。
なるべく早く穏便に、もとの生活に近い暮らしができるよう考えてやってくれ、と。
「それはそうかも知れないけど。あの娘たち、案外、雑音なしにあなたとずっと一緒に暮らせる生活が気に入るかも」
「そんなわけがないだろう」
「あら、ずいぶん、女心に詳しくなったのね」
ミーナのからかいにアキオは冷静に答える。
「女心はわからないが、人としての考えはわかる。いずれ気持ちは変わる。戦争でも復讐でも、ひとつの気持ちを持ち続けるのは難しい」
(じゃ、あなたの、その数百年越しの執念はいったい何なの!と叫びそうになりながら、ミーナは何とか自制する)
「だったら、彼女たちが飽きるまで待ってやればいいじゃない。加齢を止めるのもよし、別れる時に若返らせるのもよし。どちらもできるんだから」
「確かにできる……が、その時、彼女たちに知人や家族はいないだろう。世の中も変わっている」
「今浦島、というものね……わかった、一応、彼女たちに、あなたから離れる意思があるか聞いてみるね。無駄だと思うけど」
「早い方がいい。最近、危険度が増している」
「了解」
「身を守る道具を作ろうとは思っているが…俺さえいなければ、彼女たちは普通の子供だからな」
いや、それは違うわよ、という言葉を飲み込んでミーナは言った。
「聞いてみるわ」
そして聞いてみた結果がこれなのだった。
(アキオ、やっぱり駄目みたい)
不安げな少女たちの顔を見て、ミーナは決意する。
「何よ、ちょっと聞いてみただけじゃない。アキオがあなたたちを離すわけないでしょう」
そう言いながら、彼女は胸の中でアキオに手を合わせた。
これはもう仕方がないのだ。
行くところまでいかないと。
アキオはやりすぎてしまったのだ。
そして、そこにはミーナの思惑が介在している。
アキオには、絶対に、生きて暖かい肉体を持つ女性が必要なのだ。
自分では代わりになれない。
そして、天の配剤で彼女たちが選ばれてしまった。
美しく、性格も可愛い少女たちだ。ほかに幸せになる道もあっただろう。
彼女がそれを変えてしまった。
もし、そのことが罪になるなら、喜んで地獄にでもいくつもりだ。
もっとも、アキオにそんなことを言えばきっと彼は苦笑するだろう。
死んだ先には何もない。すでに生きている、ここが地獄なのだ、と。
そう考えながら、ミーナは内心で少女たちにも手を合わせつつ、にこやかに笑うのだった。