609.空から降ってきた彼女 03
誤字脱字の報告ありがとうございます。
助かります。
長らく放置されていたものもあり、お恥ずかしい限りです。
さて、今回の「空から降ってきた彼女」は、最終章の前のラスト・エピソードとなる予定です。
もうしばらく、お付き合いください。
期せずして、わたしとトルメアの指揮官は目を合わせた。
空から降ってきた彼女が、どうやって、無事に神の霧を潜り抜けてきたのかはわからない。
しかし、その光沢のある黒い身体と、そこから伸びた8本の脚という、蜘蛛に似た巨体は明らかに人工的な――兵器だった。
わたし自身、軍事に詳しくはなく、ヒト型でない自立兵器など、留学先であったサイベリアの軍事パレードでも見たことはなかったのだが、それは敵の指揮官も同様だったようだ。
「お前はどこの戦闘ロボット、いや機械化兵だ?、形は似ているが護衛ロボットとは明らかに違うようだが……」
彼の言葉を聞きながら、わたしはまったく別なことを考え始めていた。
目の前にいる物体は兵器だ。
しかも、旧型の火薬兵器しか使えない神の霧に囲まれた区域において最大戦力であることは間違いない。
つまり、この黒い自立兵器を味方につけた方が、この場を支配することができるのだ。
わたしは叫ぶように言った。
「我が方につけ」
敵の指揮官も、ほぼ同時にわたしと同じ結論に達したようで、わたしたちの言葉は、奇妙な感じに重なった。
「あら」
蜘蛛型の兵器は、機械的な発声ながら、まるで女性のようにコロコロと笑った。
「突然モテモテになったわね。どちらの味方をすべきかしら」
「見たことの無い型だが、おまえもどこかの国に所属しているのだろう。いずれにせよ、我がトルメアについた方が、お前の国にとっても得策だぞ」
「それなんだけど、わたしは長い間眠っていて、さっき目を覚ましたばかりなのよ。だから、まだ頭がはっきり回らないの」
自立兵器の言葉を聞きながら、わたしは必死に考えていた。
このままでは、我が国は殲滅されてしまう。
なんとかするためには、この兵器を味方につけるしかない。
だが、なにを与えれば味方にできるのだろう。
金は――無い。
権力は――そもそも国力が無い。
適切なメンテナンスを施して調子をもどしてやる――そんな技術など無い。
わたしはもう一度、自立兵器を見た。
少し丸みを帯びた大小2つの長方形が繋がった胴体から、8本の細い脚が伸びている。
おそらく、その上に乗っている丸いものが頭部なのだろう。
そこは全体が光沢のあるスモーク・ガラス状のもので覆われているため、どんな顔――あるとすれば、だが――なのかは分からない。
そして、身体つきはともかく、話し言葉から考えるに、おそらく精神は女性なのだろう。
女――わたしの思考はそこに引っかかった。
敵指揮官が、トルメア側につくことが、いかに今後の『彼女』にとって有益かを滔々とまくしたてるの聞きながら、わたしは思わず口を開いた。
後になって考えても、どうしてそんな馬鹿げた、荒唐無稽なことを口走ったのか分からない。
「我が身方につけば――」
わたしは、彼女を見つめながら続けた。
「お前を、わたしの妻にする」
「なんですって?」
彼女が頭のてっぺんから発したような――具体的に、それがどこをさすかは不明だが――声を上げた。
敵指揮官は、不快そうに、訝し気にわたしを見ている。
「ふうん」
わたしは彼女の胴体の上に載っている頭部からの、ガラス越しの視線を感じた。
よくわからないが、嘗めるようにわたしを見つめているようだ。
「本気なの?」
疑わしそうな声を出す。
「当然だ。ナーガリ・マッラ王国第23代国王マルヘンドラ・ブラッサド・マッヘランの名に懸けて誓おう」
きっぱりとわたしは断言した。
もちろん、冗談ではない。
何せ、この一事に、自らと国民の命が掛かっているのだ。
だが、本当のところは、こんな言葉で彼女を説得できるとは思っていなかった。
彼女が女であると仮定して、言ってみただけだ。
実際のところ、性別に意味があるとは思えない。
何と言っても相手は、人間ではないのだ。
しかし、彼女の返事は予想外のものだった。
「その提案、気に入ったわ。わかった、奥さんになってあげる」
そう言うと、彼女は脚を踏みかえて、わたしたちに銃を向ける敵兵と向き合った。
まるで――魔法のように、滑らかだった彼女の身体の各部が開いて、その無数の穴から巨大な銃口と剥き出しのミサイルがせり出した。
「とりあえず、あなたたちには帰ってもらおうかしら」
「な、何を……」
「ああ、いうことを聞かないなら、それでもいいのよ。身体で分からせることになるから、どう?」
「一斉射撃、目標、ロボット兵器、発射」
男の言葉で銃を構えたままだったトルメア兵が射撃を始めた。
銃声と共に、弾丸が金属に当たって跳ね返る音が響き渡る。
「ここでの敵対行動は愚策よ」
そう言うと、彼女の胴体部からせり出た、無数の銃器が、射撃を始めた。
武器に馴染みのないわたしには分からないが、少なくとも彼女から撃ち出される弾丸は、トルメア兵が撃つ弾丸の数倍の破壊力があるようだった。
しかし、彼女はトルメア兵を射殺するつもりはなかったようだ。
足下ぎりぎりを狙って激しい銃撃を行っている。
指揮官はじめ、兵士たちが悲鳴を上げて撤退を始めた。
中には、彼女に向けて発砲するものもいたが、金属製の彼女の身体には傷一つつかなかった。
数分後、全ての敵兵が霧の中に消え去ったのを見届けると、彼女は武器を収納し、再び脚を踏みかえてわたしを見た。
「さあ、追い返したわよ。約束どおり、わたしを妻にしてくれるんでしょうね」
「も、もちろんだ」
さすがに、いくらわたしが、田舎育ちで世間知らずでも、本当に、それが彼女の望みだとは思ってはいない。
これから、面倒な折衝を始めねばならないのだろう。
だが、とりあえずはこれでよい。
鏖は回避できたのだから。
だが、それに応える彼女の言葉は、わたしの予想を超えていた。
「それでは、これからよろしくね――」
機械的な声に甘さを乗せて彼女が続ける。
「わたしの旦那さま」
その言葉と同時に、彼女の頭部を覆っていたスモーク・ガラスが跳ね上がった。
わたしは言葉を失った。
武骨な蜘蛛型の身体の上の小さな頭部から、黒髪、黒い瞳をした美しい女性の顔がわたしを見つめていたからだ。




