608.空から降ってきた彼女 02
その日、わたしは軽歩兵を率いて、神の霧を超えてやって来たトルメア兵2個小隊100名と戦っていた。
軽歩兵とは、普段は農民として働く農家の次男坊や三男坊を、有事の際に兵士として緊急招集した戦闘員だ。
本来なら、鍬と鋤しか持たない農民による部隊が、科学武装したトルメア兵と戦うことなど不可能なのだが、それを可能にしているのが神の霧、いわゆるT粒子の存在だった。
それは、まるで力のない我々を助けるために存在する、公平性の神に似た働きで、外部からの強力な機械化兵の通過を拒み、力づくで持ちこまれようとする近代兵器を破壊して使用不能にしてくれる。
実際、神の霧は、あたかもそれ自体が知能を持つかのように、ある基準を決めて、それを超えない威力の武器の持ち込み許し、それ以外を使用不能にしてしまうのだ。
いま、大国トルメアの兵士たちは、本来、纏うべき強化服を身に着けず、部下として付き従う機械化兵や護衛ロボットも伴わずに、単純な防弾服と火薬式の銃器のみを用いて、わたしたちと交戦していた。
とはいえ、それでわたしたちが有利なのかといえば、そんなことはない。
わがナーガリ王国の主要武器は、背にした山から豊富に落ちて来る岩石を集め、それを投擲する木製の小型投石器と、そのまま石を一気に敵兵に向けて落とす岩雪崩だけという、通常なら1時間で決着がついてしまうほど貧弱なものだ。
そもそも戦争をするという考えがまったくなかった国なのだから。
ただ幸いなことに、標高1600メートルにある我が国の最前線かつ絶対防衛線は、位置的に攻め手のトルメア兵より上にある。
つまり、神の霧を抜けて出てきた彼らは、高台に陣取るわたしたちを見上げて銃を撃たねばならず、我が兵は下へ向けて岩を投げおろすことができる、これは大きな優位性だった。
航空機を使った攻撃を受ければ、わが軍はたちまち壊滅しただろうが、それも霧によって防がれている。
まことに神の霧、T粒子とは不思議な物体だった――
ただ、今回の戦いが始まってすでに4日、我が兵たちに疲れが見え始めていた。
トルメア兵たちは、強力な武器の持ち込みはできなくても、食料、弾薬その他の長期戦への備えは充分にあるようだった。
やがては、疲労によって生まれた隙をつかれ、王都に攻め込まれることになるだろう。
それはおそらく、避けられない未来だった。
そしてついに――
戦闘が始まって5日目の昼過ぎ、疲れから生じた我々の守備の乱れに乗じて、トルメア兵が銃撃をしながら、我が領地に侵入してきたのだった。
それは凄まじい攻撃だった。
当初2個小隊100名で始まった戦闘は、一時的に20名程度まで減らすことができたが、後続部隊が投入されたのか、いまや500名を超える兵士が旧式のアサルトライフルをかざして我が国の防衛ラインに迫ってきたのだ。
これまで通り投石で撃退しようにも岩石自体が残り少なくなり、投石器を操作する軽歩兵も怪我を負って満足に投擲できなくなっていた。
ついに――敵兵士が崖を登り外壁を越えて我が領土に侵入してきた。
総人口3700人の我が国は、外壁のすぐ近くに首都パコマがある。
銃器を持たないナーガリ王国は、領土への侵入を許した時点で戦争に負けたことになるのだ。
「皆、下がれ」
疲れきった身体をふらつかせながら、なおも鍬を構えて無数の銃口に向かおうとする軽歩兵たちを誇りに思いながら、わたしは王として最後の務めを果たすべくそう命じた。
「指揮官を出してくれ、戦後交渉をしたい」
わたしの言葉に、銃を構える男たちの間から長身の男が歩み出てきた。
「わたしだ」
「名を述べよ」
男は酷薄そうな頬に嘲りの表情を浮かべて言う。
「その必要はない。戦闘は我々が勝利した。わたしに命じられたのは、取るに足りない小国の殲滅のみだ」
「なんだと」
「本来なら、70年前の核攻撃で死に絶えるべきであった小国の息の根を止めるべく、わが偉大なるルペリ王がわたしを遣わされたのだ。頭を垂れてわが銃弾を受けるがいい」
どうやら、トルメアの王は、70年前と変わらぬ殺人狂らしい。
わたしは――そしてわたしの兵たちは銃口から目を逸らさなかった。
眼光で人を射殺すことができるなら、そうしたいとばかりに敵指揮官と膝射体勢でわたしたちを狙う敵兵を睨みつける。
「構え、狙え――」
撃てと男が命じる直前に、奇妙な騒音が空から聞こえてきた。
甲高い笛のような、風を切る音だ。
指揮官は眉を寄せると空を見た。
その顔に黒い影が落ちると共に――
黒く奇怪な塊が凄まじい速さで飛来し、地上に激突する直前に青い炎を吹き出して、わたしたちと敵兵全てを爆風で薙ぎ倒した。
「な、なんだ」
真っ先に立ち上がったのは、敵指揮官とわたしだった。
「これは……」
わたしもつぶやいた。
わたしと指揮官は、間に巨大な黒い塊を挟んで対峙していた。
見たことのない物体だった。
「あらあら」
声がした。
女の声だ。
「この場合、わたしはどちらの味方をするべきかしら」
それが、わたしの運命の女との出会いだった。




