606.支配
「データ・キューブに入っていた保存記録なんだけど、なぜか本文は破損していて、あらすじしか残ってなかった話なの。シジマによると、次元転移の時に破損した可能性があるということだったけど……」
「それでいいわ。続けてちょうだい」
「わかったわ」
ミストラに促され、皆の注目を浴びてラピィは話し始めた。
ある地域の、国境近くの山間部にある村の話だ。
その小さな村の村長は、村人の生活を少しでも豊かにしようと、長きに渡って、文字の読み書きを人々に教えていた。
文字の読めない者が大多数の当時の社会にあって、識字できるということは、生きていくうえで、素晴らしい優位性を人々にもたらし、同時に、村の運営を円滑に行うことにも貢献していたのだ。
人々への通知が、村長の家の前に立てられた看板ひとつですみ、何度も言葉で繰り返す必要がなかったからだ。
彼は、自分の村の住人が文字を読み書きすることを誇りに思っていた。
なにより、彼は自分の話す言葉が大好きだった。
抑揚が美しく、音楽的で、まるで歌うように話す言葉――彼が村人に文字を教えたのも、彼の愛する言葉を正しく使ってほしかったからだ。
ある時、戦争が起こり、国境線の変更があった。
最近はなかったが、以前にもあったことらしい。
戦争は、村から離れた場所で起こり、村人と村長に何の影響も与えなかった。
知らない場所で起こり、終わった戦争。
いつもと変わらない生活。
平和な毎日。
特に生活に影響は無い。
無いはずだった。
ただひとつ、地域を支配した皇帝の意思によって公用語が変更された。
何も無理難題を押し付けなかった皇帝が、ただひとつ強行に推し進めたのが使用言語の変更だったのだ。
新しい言語は――ひどかった、まるで怒鳴りつけるように荒々しい語感で、穏やかな人々の性質すら荒んだものに変えてしまうように思えて、村長は嘆き悲しむのだった。
彼は皇帝を憎んだ。
戦争という暴力で、人々の魂に根付いた言葉を奪う行為を――
「それで、どうしたんだい」
そこまで話して口を閉じたラピィにユイノが尋ねる。
「どうもしない。これだけの話なの」
「それじゃ寓話じゃないだろう」
ユイノが腑に落ちない顔をする。
寓話とは、たとえ話をつかって人々を諭すために作られた話だ。
「そうね」
軽い微笑みを整った顔にのせて、ラピィが続ける。
「話はこれだけだけど、最後に付記として、こんな但し書きがついていたわ――彼の地方は、60年前の国境線変更で公用語が『美しい言葉の国』へ変更されたが、それ以前は1000年以上にわたって『荒々しい語感の国』の言葉を使っていた、と」
「なんだい、そりゃあ」
ユイノが間の抜けた声を上げた。
「いいね。久しぶりにユイノらしい良い顔を見られたよ
シジマがからかう。
「なるほど、そういうことですか」
ユスラが、静かに微笑むオプティカを見る。
「つまり、先に強制的な言語変更をしていたのは『美しい言葉の国』だったというわけですね。おそらく村長はそれを知らなかった。人は、自らの経験という狭い視野と短い期間でのみ世界を知る、という良い見本です。その言葉の語感に対する好き嫌いは感性の問題だとしても――まさしく寓話ですね」
「すこし意地が悪いような気がしますが」
ヴァイユが頬に指を当てる。
「寓話とは意地悪なものじゃろう」
「異文化の国が並び立つと、いろいろな事が起こるのですね」
1000年を隔離された国で過ごしたミリオンがため息交じりに言い、
「たしかに面倒なものですね」
隣に座った、想像もできない長い年月を独り過ごしてきた角のある少女が、豹人の少女の細い肩に手を掛ける。
「どうしたのじゃ、アルメデ」
シミュラが、しばらく前から沈んだ様子の美少女に話しかけた。
「浮かぬ顔をしているようじゃが」
「さっきの話……」
そう言って、少女が眉を顰める。
「何かが引っかかっているのですが、それを思い出せないのです」
その言葉で、ラピィがシミュラを見た。
彼女がうなずくと、ラピィが、今度はミリオンを見つめる。
「どうかされましたか」
豹人の少女が、もとケルビのラピィに問いかけた。
「さっきアキオは、あなたに、残弾なしになったら慣れない攻撃を行わないで、安全を確保するようにいったでしょう」
「はい」
「やはり、おぬしも気がついておったんじゃな」
「目配せされたのは、シミュラさまでしょう」
ラピィの指摘に、黒紫色の瞳の少女は優しく笑い、
「そうじゃな。で、どうする」
「せっかくだから、話しましょう」
「いいんじゃないかな」
「お待ちください」
ピアノが言った。
真剣な表情だ。
「先ほどからの話の経緯、視線の動きからすると、今話しておられるのは、アキオについてのことなのですね」
「うーん」
ラピィが大柄な自らの身体を抱くような仕草をみせる。
「そういえばそうだし、何か違うような気もするのです」
「つまり」
カマラがラピィを見つめる。
「わたしたちの知らない、語られざる逸話が、あるということですね。シミュラさま、ラピィとシジマだけが知っている」
「アキオの話というか、寓話というか」
「とにかくさ」
シジマが明るい声を上げた。
「オプティカさまも来られてるし、いい機会だから話せばいいじゃない」
「そうですね」
ラピィはうなずき、
「とりあえず、みんなに伝えましょう。判断はそれぞれの人に任せます」
そう言うと、彼女は目を閉じて再び話し始めたのだった。