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眼下では、海の怪物が溶けるようにその姿を消し、水底から現れたパイプによって銀色のナノ・マシンが回収されていた。
最初にテラスに戻ってきたのはユイノだった。
空中で回転し、まるで重力など感じさせない仕草で軽やかに着地すると、踊るように走り寄った舞姫は彼を見上げる。
「やったよ、アキオ」
「怖がらずによくやった」
「戦い始めたら必死だよ、それにアキオがいるからね」
続けて何か言いかけるが、背後に立つヴァイユの気配を感じて場所を譲る。
「以前より剣の扱いがうまくなった」
彼の言葉に少女の金色の瞳が輝く。
「はい。シジマに習っていますから」
そうして、少女たちが次々と彼に話しかけてくる。
これがいつもの演習後の光景だ。
初めの頃、演習を見学したアキオは、一人ひとりに対して彼が気づいた点を伝えていた。
だが――
おぬしは黙って褒めるだけで良い。あやつらは戦いのすべてを記録して、後で反省会を開いておるからな。余計なことはせぬことじゃ。
そうシミュラに指摘され、その後は彼女のいうとおりにしているのだ。
実際、折に触れアルメデとミストラに戦術の指導を仰ぎ、それぞれに戦闘能力を磨いている少女たちに、彼が口を出す必要はない。
「アキオ」
アルメデが彼の前に立つ。
「また動きが早くなったな」
「ええ、ナノ・マシン2.0にも慣れてきましたから」
美少女が微笑む。
海の怪物と戦う彼女の動きは凄まじかった。
手にする武器は各自ひとつ、という演習の不文律に従って、彼女が手にしたのは細身の剣だけだった。
それを使ってアルメデは、伸びてくる槍を斬り、飛来する砲弾を砕き、クラーケンを削っていた。
その切っ先の速さは、アキオですら追いきれないほどのものだ。
演習用の武器であるため、アキオがクンパカルナ戦で使った至極を付与されない普通の刃ながら、彼女から強力な力を与えられつつ絶妙なタイミングで撃ち込まれるその刃先は無類の切れ味を見せていたのだ。
もちろん、それには彼女が言うように、ナノ・マシンの性能強化が寄与しているだろう。
実際、この世界に来て、ゴラン1体に苦戦していたころに比べると、現在のナノ・マシンの戦闘能力は2倍以上に跳ね上がっているのだ。
先日のナノ・ゴラン戦からもわかるように、今の彼であれば、ゴラン一個小隊程度なら素手で壊滅させることなど容易だろう。
本来、カヅマ博士が生み出し、アキオが発展させたナノ・マシンは、あくまで医療が主目的であり、身体強化は副次的な成果だった。
そのために、戦闘用には灼熱のバイオメタル合金を利用するN.M.C.を通常ナノ・マシンと分けて使っていたのだ。
しかし、ドッホエーべ以後、シジマは積極的にナノ・マシンの性能強化を行い、バージョン2.0にした際に、ナノ・マシンの戦闘能力を飛躍的に高めていた。
彼女の言によると『常在戦場』ということらしい。
その意味と意義ははわかる。
もっとも、それは本来の用法とは違う、とラピィからは異議を唱えられていたが――本来は、平時にあっても常に戦場でいる心づもりで事に当たれ、という意味だ。
いま、アルメデは、ナノ・マシンの性能強化のおかげで動きが早くなったと言った。
「だが、それだけではないな」
アキオは少女の頭を撫でる。
演習時は、身に危険が迫った時のみナノ加速が解禁されるようになっている。
つまり、ナノ加速なしでアルメデはアキオの目ですら追いきれない速さで剣を振うことができるのだ。
ナノ・マシンが行うのはあくまで身体能力の向上のみ。
それを効率的に扱う技術は、記憶野を活性化したとしても、簡単には身につかない。
「日ごろの練習の成果だな」
「はい」
子供のように素直な返事を返す100年女王に、周りの少女たちの眼が優しくなる。
「最後は君が決めたな」
アキオは、次に彼の前に立った赤い眼の少女に言う。
「はい。暗殺は得意ですが乱戦に弱いわたしにできるのは、敵が弱って動きを鈍くした際に、急所を狙うことだけですから」
本来なら、起死回生の行動を少女たちに取らせたくはない。
それは自己犠牲に陥りやすい行為だからだ。
だが、シミュラの言葉を思い出して、ただ彼はこう言った。
「いい動きだった」
次々と彼は、少女たちに労いの言葉をかけていく。
「君は強いな」
アキオは、彼の前に立つ、腕と肩に僅かに鱗の名残を残すスペクトラを見下ろして言う。
最初に彼の前に現れた時、彼女は戦うことを放棄していた――戦うことを恐れていたのだ。
「今も戦うのは好きではありません」
少女は小さな声で言い、
「でも、戦わなければならない時があるのはわかります。自分の身を守り、アキオを守るために。そうミストラが教えてくれました」
彼女の後方で栗色の髪の美少女がうなずく。
最初の出会いからスペクトラと一番仲が良いのはミストラだった。
最近では、フードを被ったスペクトラと彼女が連れだって様々な街に出かけているらしい。
もちろん、そこには常にゴルドーが付き従っている。
次いで彼の前に長身の女性が立つ。
「本当に、殴るのが好きなんだな」
彼の正直過ぎる感想に、オプティカが苦笑する。
「人聞きの悪い表現はやめとくれよ。たしかに、前にそう言ったけどさ。別に殴りたくてうずうずしているってことじゃないよ。ただ――剣も習ったことはあるけど、あたしはやっぱりこっちだね」
そういってショックレス・グローブをつけた拳を見せる。
「あたしの人生では武器を持たずに危ない目に合うことが多かったからね。いざとなったら、この両の(りょう)の拳に勝るものはないんだよ」
「そうか」
最後に彼の前に歩み出たのはフードを被った小柄な少女だった。
ミリオンだ。
彼女が、さっとフードを取った。
形よく頭の上に立った耳が揺れる。
「素晴らしいAPSの腕だった」
「ありがとう」
言いながら優雅に会釈する。
「あのライフルは、射場で何度か撃ったことがあるのです。けれど、今回、水中で撃つと、射程も照準もまるで違って戸惑いました。演習って大切ですね。よい経験になりました」
「弾丸を打ち尽くした時、君は――」
「ええ、ナイフを使いました。そちらはあまり得意ではありませんが」
アキオは、ほんの少し黙ってから、言った。
「君は、まず第一に狙撃手だな」
「はい、あなたから教えてもらいましたから」
「単独任務であれば別だが、友軍がいる時は、残弾なしになったら、慣れない攻撃を行わないで、安全を確保するんだ」
「え、でも」
「頼む」
彼の言葉に、一瞬、シミュラとラピィが目を合わせた。
「はい、わかりました」
そして、いま、オプティカは、湖底から上がってヌースクアムの少女たちと共に庭園の東屋の椅子に座ってお茶を飲んでいる。
湖から出て、シジマがアーム・バンドに手を触れると、身体にぴったりしたスーツが、もとのコートへ戻った。
それと同時に服も髪も乾燥していた。
便利なものだ。