600.クラーケン、
「えーっと」
ユイノが頭を掻く。
「クラーケンって、前にミーナが言ってたやつだね。確か地球の巨大蛸」
「いや、烏賊だよ。なんていったかね。深海に棲むダイオウイカ」
キイが白い怪物に目を凝らす。
「大ウミヘビだといわれています」
「大エビという説も」
「ヒトデではないのですか」
「オウム貝でしょう」
少女たちの活発な会話にオプティカが目を丸くする。
聞いたことのない名前ばかりだ。
おそらくアキオの元いた世界の生物なのだろうが、どんな姿なのか皆目見当もつかない。
「はい、皆さんよくできました。実のところ、クラーケンって何が元になっているかわからない海の怪物なんだよね。だからボクは、ラピィ監修のもと、全部入りのどれでも無しを作り上げました」
シジマに指さされたラピィが説明する。
「要するに、クラーケンってのは、海の中から現れる大きな曲がりくねった複数の触手、って感じの怪物なんだよ。触手だけってのも収まりが悪いから、アンモナイトみたいにベルヌーイ螺旋構造の殻からタコやイカみたいな触手が出ていて、その中の一本に、大ウミヘビみたいな口と目をつけたんだ」
「とんでもない怪物を創ったのね」
ヴァイユが眉を顰めるが、その隣に立つカマラとピアノ、ヨスル姉妹は平然としたものだ。
「うーん、瞳はつぶらで愛嬌はあるようにしたからね。あまり嫌ってやらないでよ」
「つぶらな瞳って……あんた、それ一体誰のためにやってるの」
ユイノが呆れたように肩をすくめるのとほぼ同時に、少女たちの乗るテラスが不気味に振動を始めた。
「そろそろ襲ってくるよ。演習だから致命的な攻撃はしないように設定してるけど、ある程度強くないと演習にならないから攻撃力は高いよ。気を付けてね」
「つまり――」
「いつも通りということじゃな」
アルメデとシミュラがうなずきあう。
「今から止めるっていう選択肢はないのかい」
ユイノが、水中から出てうねる触手を見ながら尋ねる。
「ああいうクネクネしたのは苦手だよ」
「停止できなくはないけど、扉を開けた時点で演習は始まってるから、止めるより退治した方が簡単だと思うね」
「ユイノよ、大きな敵とは戦い慣れたほうが良いぞ。今回も我が王は、身体が際限なく再生するクンパカルナという巨人と戦ったらしいからの」
「巨人と戦った……」
ユイノは復唱し、目を閉じ、再び開けた。
「そうだね」
不安げに揺らめいていたユイノの眼が落ち着く。
「いつアキオの敵が現れるかわからない。やろう」
「さすがはアキオの舞姫」
「あんたにいわれると揶揄われているとしか思えないのが不思議だ」
「誤解だよ」
シジマは人形のような顔をぱっと輝かせると、まじめな顔になり、
「触手は水上にも出るけど、今回は水中戦がメインになると思う。Iテイル(人工尾)は使わないから、ハイドロ・ジェットをうまく使って移動してね。討伐ラインは、全体の85パーセント以上の組織破壊あるいは貝の奥にある3つの宝石の破壊」
彼女に続いてユスラが全員に言う。
「今回は、水中戦のため、連絡を取り合っての連携攻撃は難しいと思います。よって各自の判断で適宜、一時連携を取りながら攻撃を加えましょう。以前に行った半漁人戦と違って、相手が巨大なため反撃に気をつけますように」
「了解」
少女たちが一斉に答えた。
テラスの振動が激しくなる中、
「オプティカさま」
ユスラが彼女に近づく。
「無理はなさらないでくださいね」
「大丈夫だよ。泳ぐのは得意だ」
ユスラがアキオを見る。
彼は、事の経緯を黙って見ていた。
本当は、このように危険なことはさせたくはないのだが、その気になった彼女たちを無理やり止めるのが難しいことは経験で知っている。
ならば、せめて少女たちに危険が及ばないように行動するだけだと覚悟を決めて見ていたのだ。
「アキオ、ティカさまをお願いします」
「わかった」
「あんた、あたしを子供みたいに――」
苦情を言いかける彼女をユスラは優しく諭す。
「あなたさまが傷つかれたら、アキオが悲しみますから。ね、アキオ」
「そうだな」
「そ、そうかね。でも、それは、あんたたちも同じだろう」
「そうです。ですから、わたしたちは定期的に演習をしているのですよ。怪我をしないようにアキオを守るため」
「俺を守る必要は――」
ない、という言葉がアキオから発せられることは無かった。
途中で、クラーケンの触手がテラスを破壊したからだ。
少女たちは、それぞれに、テラスが破壊される前に空中に飛び出していた。
「なかなか狂暴ですね」
水中へ落下しながら、カマラが言い、
「怪物とはこういうものでしょう」
落ち着いた口調で、同様に水面へ向かうスぺクトラが答える。
そういえば、彼女がスぺクトラと共闘するのは初めてだ。
静かな印象の彼女は、従者であるゴルドーと共にジーナ城に来てからも、ユスラの菜園を手伝い、ピアノと共に恋月草の世話をするだけで演習には参加していなかったからだ。
以前から、彼女は大丈夫だよ、というシジマからの言葉は聞いていたが、実際にスぺクトラの戦う姿を見たことがないカマラは、素手の少女を見て尋ねた。
確か、さっきまで三叉槍を手にしていたはずだ。
「武器はお持ちでないのですか」
「あれはゴルドーに預けました。ああいう怪物には二本の腕で充分です」
「そうですか――では」
「ええ、頑張りましょう」
ふたりの少女は、ほとんど水飛沫を上げずに着水した。
「あの子は、ああいったけど、あたしは独りでも大丈夫だよ」
テラスが壊れた瞬間、アキオに抱かれて近くの壁にとりついたオプティカが、他の少女が次々と着水するのを見ながら言う。
「君は水中戦は初めてだろう」
「誰だって初めてはあるものさ。あたしは大丈夫だから他の子たちを守りに行っとくれ。いや、いっそ、あんたが怪物を倒したら――ああ、それは駄目なんだね」
「その通りだ」
あくまで少女たち自身の手で演習を終了させないと、彼女たちは納得しないだろう。
「難儀なことだねぇ」
言ってから彼女は思い出した。
少女たちの表情に、浮ついたところがまるでなかったことに。
彼女たちは真剣なのだ。
帰城したての状態で、怪物相手の突然の演習など嫌がって当然の状況だ。
それを彼女たちは当然のように受け入れて戦おうとしている。
おそらく――いや間違いなく、今、彼女を胸に抱くこの男を守るために。
アキオが戦闘を引き寄せてしまう体質であることを、彼女はシミュラから聞いて知っている。
少女たちが突然の演習を嫌がらないのは、この男の周りには、常に突発的に戦闘が始まるという危険が付きまとっているのを理解しているからだろう。
だからこそ、いつ戦闘になっても対応できるように彼女たちは演習を繰り返しているのだ。
それほどに――少女たちが経験したドッホエーベの戦いは厳しいものだったのだ。
「難儀なことだねぇ」
もういちどオプティカはつぶやく。
眼下の水中では、触手の怪物と少女たちの戦いが本格的に始まっていた。