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598.水中

 アキオに手を引かれ、光に満ちた水中を下に向かいながら、オプティカは改めて驚いていた。

 地上と変わらず呼吸ができるのはもちろんだが、眼も同様に良く見える。


 水の中がこんなに快適だなんてねぇ、()()()()の力があれば――



 ユスラに尋ねられて答えたように、彼女は王族としては珍しく、泳ぐことができる。


 もちろん、その能力は、王族でなくなってから身に着けたものだ。


 城を追われてしばらく後、彼女はサンクトレイカ南部に位置するサラメ湖のほとりのシュテラ・ザルクで暮らしたことがあった。


 昨年まで平和の海戦(ピクトリズム)が行われていた、ラトガ海に面したシュテラ・バロンほどではないが、シュテラ・ザルクは、美しい景観と湖の背にそびえるサルコ山の岩塩取引で栄えた街だった。


 今では(すた)れてしまったが、彼女が暮らした当時のシュテラのもうひとつの名物は、サラメ湖に生息するマトヤ貝が生み出す宝石ムアルだった。


 ラトガ海が、海と呼ばれながら、その実、淡水湖たんすいこであったのとは違い、サラメ湖は山から流れ込む岩塩の影響で、微妙に塩分を含んだ鹹湖かんこであった。


 そのため、海水と淡水が入り混じった汽水湖きすいこでのみ発見されるマトヤ貝が多数生息し、それらが生み出すムアル石は名代なだいの宝石として珍重されたのだった。


 おまけに理由は分からないが――おそらく溶け込む岩塩の成分のためといわれていた――サラメ湖のムアル石は、通常は乳白色にゅうはくしょくであるはずのものが、美しい青みを帯びたブルー・ムアルとなることが多く、さらにその価値を高めていた。


 湖底の貝から宝石を取り出す作業は、当然、人の手になるものだ。

 それは危険な仕事だった。

 よって、その多くは魔獣に夫を殺された後、ひとりで子供を養わざるを得なくなった寡婦かふたちが(にな)い手となっていた。


 身ひとつでシュテラに流れ着いたオプティカもまた、生活のために、その危険な仕事に従事しなければならなかったのだ。

 寒さを防ぎ、美貌を隠すために黒く汚れた廃油を体に塗って、半分溺れながら必死で泳ぎを覚えた。

 あの時は、ただ生き延びるために必死だったが、今思うと、あれは辛く苦しい経験だったのだ。


〈どうした〉

 泳ぐ速度を(ゆる)めた彼女に、()()()()()()使()()()アキオが指話で話しかけてきた。


〈なん、でも、ない、よ〉

 訥々(とつとつ)と彼女が言葉を返す。


 シミュラに鍛えられたおかげで、一応、彼女も指話ができるのだ。

 練習相手もいないため、あまり上手には使えないが。


「絶対に覚えておいたほう良いぞ。(だま)されたと思って学ぶのじゃ」

 珍しく強い言葉を使った彼女の言葉が脳裏に蘇る。

 こんな時のために、使えるようになっておけっていったんだね――


 彼女は思う。

 シミュラは正しかった。

 確かに、手に触れてさえいれば、水中でも会話ができるというのは素晴らしいことだ。

 うまく言葉を(つむ)げないのは情けないが。



 アキオにうなずくと、オプティカは水を蹴る足に力を籠めた。


 泳ぎ始めた彼女は、またひとつ新たな発見をする。

 身体に張り付いた服のためか、着衣のまま泳いでもまったく水の抵抗は感じず、それどころか水の抵抗がないようにひと蹴りで面白いように前に進むのだ。

 身体にぴったり過ぎて、裸みたいで恥ずかしいのが難点だけど……


 彼女は知らなかったが、強化服の表面には、ナノ・マシンを用いて水の抵抗を少なくするための工夫が為されているのだ。


 かつて、競技用スイム・スーツには水の抵抗を軽減し、速度を上げるために、魚類の体表を模倣もほうした機構が取り入れられた。

 サメなどが持つV字型に溝の入った小歯状突起しょうしじょうとっきをまねて水の乱流を打ち消そうとしたのだが、アキオたちの強化服は、そんな原始的な方法を採りはしない。


 彼らの強化服に使われているのは、カヅマ博士が、高速艇の()()()を突破するために開発した技術だった。


 かつてカヅマ博士は言った。

 ――自然を真似るな。模倣(もほう)だけでは地球上にすでにある動植物の能力を越えることはできない――


 だから博士は、地球上のあらゆる生物が持ちえない、ナノ・マシンを使った分子レベルの摩擦軽減法を開発したのだ。



「あそこだ」

 アキオの指が伝えてくる。

 湖底の中ほどにある、正方形の広場のような石畳の上に、少女たちは並んで待っていた。

〈体調に問題はないか〉

〈大丈夫だよ〉

 ふたりの手が動くのを見たヴァイユが、さっと泳ぎ寄って彼女の空いた方の手を取った。

 滑らかに彼女の手が言葉を紡ぎ始める。

〈どうですか、この海底遺跡は〉

〈ああ、素敵だね〉

〈そうでしょう〉

〈突然で申し訳ないけど、どうしても見てほしかったんだよ。ボクたちの力作をね〉

 突然語調が変わったので、彼女はヴァイユを見た。

 彼女の反対側の手をシジマが握っている。

 彼女の言葉をヴァイユが伝達してくれたらしい。


〈ティカさまは、本当に泳ぎがお上手ですね〉

〈それほどでもないよ〉

〈あとで水中ダンスをやりましょう〉

〈なんだいそれは?〉

〈それよりも先に見せたいものがあります〉

〈地球の神殿を模した遺跡の奥には、驚くべき謎が隠されているのですよ〉


 物凄い勢いで、言葉が手に流れ込んでくる。

 見ると、少女たちが手をつないで一列に並んでいた。

 それぞれの少女たちの言葉が、伝言されて彼女に届いているのだ。


 一番忙しいのは、オプティカと手をつなぐヴァイユだろう。

 彼女は、次々と伝えられる言葉を、ほぼ同時にオプティカに伝えながら返事も返しているのだ。


 次々と少女たちから質問が為され、彼女がそれに答えていく――

 突然、少女の手がオプティカとヴァイユの手を離した。

 ユスラだ。


 彼女は、ゆっくりと首を振ると、壁面に見える美麗な彫刻が施された洞穴を指さした。

 皆を招くように手を振ると、先にそちらに向かって泳ぎだす。

 彼女に続いて、全員がその後を追った。


 四角い洞窟は、近づくと、重厚な門でもあった。

 中に入ると結構奥行きがある。

 外の光が届かないため、少し暗くなるが、少し進むと、上から明るい光が射し始めた。


 全員が光に向かって上昇し始める。

 ほどなく水面が見えてきて、少女たちは水の上に顔を出した。


 どうなっているのか、肺に入っていたはずの水を吐き出すこともなく、普通に空気で呼吸を続けることができる。

 見回すと、そこは大きくはないが落ちついた石造りの小部屋だった。

 天井で、水に反射した光が美しく投影され揺れている。


「とうぞ、おあがりください」

 先に上に上がったユスラが手を差し伸べた。

 彼女に手を引かれ、オプティカは石畳の上に上がった。


「ここなら落ち着いて話ができますでしょう」

 ユスラが少女たちを見渡して言う。

「あのままでは、ヴァイユが可哀そうですからね」

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