595.学習
「いかがでしたか?」
ユスラに問われて、庭の東屋――そう呼ぶには縦に長く、大きすぎる建物だが――の椅子に腰を下ろしたオプティカは、大きく溜息をついた。
「なんていうか、すごいねぇ」
ヌースクアムに到着してから今までの出来事は、彼女にとって驚きの連続だった。
「お話の途中ですが、ティカさま、あちらをごらんくださいな」
駒鳥号の座席に座って、少女たちと会話を楽しんでいると、不意にヴァイユが前方を指さした。
促されるまま、そちらを見た彼女の目に、巨大なスクリーンに映し出された外部の様子が飛び込んで来る。
深夜であるにも関わらず、昼間のように明るく浮かび上がった荒地が正方形に地下に陥没し、次いで真ん中から二つに割れて、ぽっかりと巨大な空間が現れた。
駒鳥号は、それへ向けて滑らかに降下を始める。
「駒鳥号や白鳥号は、あまり人目につくべきではありませんから、このように地下から発着するようになっているのです」
「……なるほどね」
オプティカが、驚きに掠れた声で答える。
グリムによる架橋や、大勢の人を乗せて空を飛ぶこの駒鳥号など、今まで何度もアキオが見せる技術には驚かされてきた。
しかし、これほど大規模な仕掛けを目にするのは初めてだ。
「すごいねぇ」
その言葉に、ヴァイユが愛らしい口元をほころばせる。
「最初のシジマの計画では、近くにある湖を割って、そこから出入りする予定だったのですよ」
「それは――とんでもないね」
なぜ、そんなことをする必要があるのか分からないまま彼女はつぶやいた。
「ええ、ですから皆で反対して、ようやく思いとどまらせたんです」
「でも、今でもラピィと組んでシジマが東の滝を割る実験をしているのを、あたしは知ってるよ」
横からユイノが秘密を暴露する。
「滝を割る?」
キィが驚く。
「滝が真ん中から2つに割れて、その間から機体が出入りするんだよ。このあいだ小型ドローンによる実験は成功したらしいね」
「な、なんでユイノが知ってるのさ」
シジマが可愛く口を尖らせる。
「あたしは、いつもあんたのやることには目を光らせてるんだよ、心配だからね」
「酷いよね、敵は味方の中に有り、だ」
シジマの嘆きに、
「こういうのを、地球では獅子身中の虫、っていうのよ」
ラピィが続ける。
「あたしは虫かい」
ユイノが憤慨し、それを見た皆が笑う。
「さあ、着いたよ」
キィの言葉で、少女たちは座席を立って、各々が出口に向かった。
今回は、スロープ兼ドロップゲートではなく、タラップを使うようだ。
部屋を出て、前回も通ったことのある通路を歩き、オプティカは少女たちの後に続く。
「――」
ハッチを抜けて、タラップに出た彼女が思わず息を呑んだ。
目の前に広がる、明るく照らされた広大な格納庫に圧倒されたのだ。
見上げると、無数の白く明るい光が埋め込まれた天井が、それ自体発光しているように区域全体を照らしていた。
「案外広いでしょう」
先ほどまでの会話で、すっかり打ち解けたミストラが茶目っ気たっぷりに話しかける。
「広いなんてもんじゃないよ。いったいどんな――科学を使えば、こんなことができるんだい」
「それ専用の機械を使うのです」
「まったく、わからないことばかりだね」
「学ばれたら良いのです。ティカさまなら、すぐに理解されるでしょう」
背後から来たユスラが優しく言う。
「あんたたちのようにはいかないよ。あたしは、もう――」
振り返ったオプティカは、ユスラの微笑みの意味に気がつく。
「そういえば、あんたはサラヴァツキーさまの養子だったね」
サラヴァツキー家は、戦術の知識を記憶の伝承によって、代々受け継ぐ一族だ。
「はい、妹に悪戯をされまして、本来なら行くはずのない伝承の間に行くことになったのです」
妹とは、前サンクトレイカ女王だ。
ユスラは、女王の座を欲した妹の計略で、右手首に星の形をした痣をつけられた。
そのことで、後継者のいなかったサラヴァツキー家の養子にされ、戦術の能力を強制的に脳の記憶野に焼きつけられたのだ。
ドッホエーベの戦いの後、サフランによって、記憶の伝承は、ヌースクアムでナノ・マシンと併用して行っている学習法とほぼ同じ知識固定方法であることがアキオに知らされていた。
それは、かつてジュノスが、ある目的のためにヒトの知力を強制的に向上させようと行った実験の名残だ。
ある薬品を注入すると、特定の人類に仕込んだ遺伝子が反応して、記憶野が活性化、膨大な知識を記憶できるようになるのだ。
だが、それはイニシエーションを受けない、つまり魔法が使えず、その遺伝子を持つものだけが受けられる恩恵で、それ以外の者が薬品を摂取すると命を失うのだった。
対象者を分かりやすくするため、記憶遺伝子を持つ者は同時に右手首に星形の痣が出るようにしてあったのだ。
それゆえ、本来、ユスラは偽の痣を根拠に記憶の伝承をされた時に死ぬはずだった。
だがいかなる偶然か、痣が現われないながらも彼女は記憶遺伝子を持っていたため、生きて記憶の伝承を終えることができたのだ。
しかしが、やはり痣が無かったためか、彼女は儀式前後の記憶を失うことになった。
「あれとは違い、ヌースクアムの学習方法は安全で効率的ですから、ぜひお試しください」
ユスラが力強く微笑む。
「わかったよ」
オプティカはうなずいて、姪孫の少女を見つめた。
「あんた――妹、前女王を恨んでいるかい」
「いいえ」
少女は朗らかな笑顔を見せ、
「そのお蔭でアキオと会えましたから」
「いい子だ」
その時、ユスラはタラップの下で、シジマが手を振って呼んでいるのに気づいた。
「行きましょう」
彼女がオプティカの手を引いて歩き出す。
誤字、脱字報告ありがとうとざいます。
今回、やっと「記憶の伝承」に、一応の決着をつけることができました。
あと少しで最終章に入りますが、エストラに残したソニャの様子と、サフラン預かりとなったフゥの現状も気になっています。
本筋とは関係ないため、置いて先に進むべきか、間延びを覚悟で描くべきか、迷うところです。