593.復讐
駒鳥号が上昇する際に感じる独特の浮遊感で、オプティカがしばし黙りこむ。
「で、なんだい」
水平飛行に移ると彼女は少女たちを見た。
「特に質問があるわけではないのです。ただ、少しお話を」
ふ、とオプティカは笑う。
「市井で数十年暮らした、擦れた年寄りがアキオの傍にいるのは心配かい」
「いえ」
カマラは首を振り、
「わたしたちは、普段、ジーナ城で共に暮らしています。その中で、お互いに人となりを知っていくのですが」
ああ、とオプティカがうなずき、
「あたしは、シュテラ・ミルドにいるからね」
「ですから、あなたのお考えを知るために、わたしから、ひとつだけ質問をしたいのです」
「ひとつでいいのかい」
カマラはうなずき、
「わたしからは」
「じゃ、あんたも質問があるんだね」
オプティカはピアノを見た。
黙ったまま灰色髪の少女がうなずく。
オプティカは再びカマラに顔を向けた。
長身の彼女は、座ってもふたりの少女より顔の位置が上にある。
結果的に見下ろす形になるが、彼女を見上げながら、カマラは真っすぐに彼女の瞳を覗き込んでいる。
カマラ?うい奴じゃぞ。それに今のわたしの命の親でもある――
不意にシミュラの言葉が脳裏に蘇った。
彼女については、しばらく前まで言葉すら話すことができなかったと聞いて、どんな少女なのかシミュラに尋ねたことがあったのだ。
深夜、共にベッドに横たわり、息がかかるほど近くで大きな黒紫の目を見開いて彼女は言った。
人の姿を失い、アルドスの魔女として暗い地の穴で淀んでいたわたしの背中を押してくれたのがカマラだった、と。
後にも先にも、小娘のように叫んだのは、あの時だけじゃったな、そういうシミュラの表情は、ひどく静かで懐かし気だった。
「それで、聞きたいことはなんだい」
「復讐の是非について」
「なんだって?」
思わず気の抜けた声が出た。
予想していた質問とはまるで違ったからだ。
質問と聞いて、頭に浮かんだのは、アキオに対する想いの確認だと思ったからだ。
「オプティカさまは、サンクトレイカの王族としてお生まれになり、陥れられて王宮を追われ、その後も命を狙われたと伺っています。だからお聞きしたいのです。ご自分を罠に嵌めた者への復讐心をどう抑えられたのか、そして復讐は為すべきか為さざるべきか――どうされましたか」
少女に言われて、彼女は我に返った。
いつのまにか、自分が微笑みを浮かべていることに気づいたのだ。
「いや、あんたが思ったより良く喋ると思ってね。それに、声が音楽みたいだから、つい聞き惚れてしまったんだよ」
カマラの目が細められる。
馬鹿にされたと思ったのかもしれない。
「ごめんよ、決して馬鹿にしたんじゃないよ。本当にそう思ったんだ。あんたは本当に綺麗だねぇ」
「美しすぎることが不幸を呼び寄せたと考えられて、今現在、敢えて老いた姿をされている方が仰っても嬉しくありません」
「ああ、シミュラがいったんだね。いや、単純に、本当にそう思ったんだよ。あんたは見た目が冷静そうで、口数も少ないように思えたから」
言ってから、オプティカは居住まいを正した。
「まず、自分のことについて話そうかね。あんたも、そういう聞き方をするってことは知ってるんだろうけど、あたしは復讐という道はとらなかった。グレーシア、ユスラの祖父にあたる方の力を借りて、母が集め、あたしが追い落とされることで散逸した美術品を取り戻したのは、復讐ではなくて、母との約束だったからだ。そもそも王という地位に執着が無かったんだよ。どうも、あたしはあまりものに執着がないようでね」
軽く肩をすくめるように言い、
「次に、復讐についてだね。それについてのあたしの考えはこうさ――やりたけりゃやればいい。要は自分が納得できるかどうか、だからね。よく、復讐をしても死んだ者、失ったものは戻らない、なんていって、復讐自体を否定する奴がいるけど、見当違いも甚だしい意見だね」
「つまり、復讐を肯定するのですね」
「そうさ。確かに、復讐しても、死んだ者、失った時間は返らない――もちろんそうさ、お説ごもっとも。だけどそれは論点が違ってる。復讐したら、少なくとも気持ちはすっとする。それが大切なんだ」
「さすがです。オプティカさま」
響くようにカマラが言う。
「もちろん、個別の案件はある。復讐対象者に保護される無辜の家族がいたりする場合だ。何も考えずに復讐すると、復讐の泥仕合になるからね。まあ、それを踏まえても、あたしの意見は、やりたきゃやりな、だね」
「よくわかりました」
カマラが頭を下げた。
「で、あんたは」
彼女の問いに、ピアノが口を開いた。
「今の答えを踏まえてのわたしからの質問です」
ひと呼吸おいて少女が言う。
「誰かにアキオの命を奪われたら、あなたは復讐しますか」
アキオを。
奪われる。
心臓が――彼からもらった心臓が止まりそうになる。
「わかりました。ありがとうございます」
ピアノが軽く会釈した。
「あたしは何もいってないよ」
「それでも、あなたのお気持ちはわかりました」
「そ、そうかい?」
「オプティカさま」
「な、なんだい」
「ようこそ、ヌースクアムへ」
そういって、カマラが、その美しく怜悧な顔に、微かな笑みをうかべて彼女に抱き着いた。
反対からピアノも同様にする。
「ど、どうしたんだい、これは」
そう言いながら、オプティカは少女たちの柔らかな温もりと、自然に発する良い花の香りに陶然となるのだった。
「では、今度はあなたさまから質問をどうぞ」
しばらくして身を離したカマラが言う。
オプティカは、ふたりを見て、指令室にいる他の少女を見まわした。
初めに質問を受けると言われた時から、その内容は決めていたのだ。
「あんたたち全員がアキオの妃だといったね」
「はい」
「それでいいのかい。独り占めしたくはならないのかい」
アキオのいた地球や過去に消え去った王国は知らないが、現在、アラント大陸にある大国で一夫多妻制をとっている国はない。
正室以外に、単数あるいは複数の側室を持つことで、国が乱れることが多かったため、自然にそういう形になったのだ。
よって現在の諸王国の規定においては、国を継ぐのは直系であることが望ましい、とだけ記されている。
これがつまり、サンクトレイカ英雄王ノラン・ジュード誕生の素地でもあった。
「ティカさまは、西の国の王都へ行かれたことは」
「あるよ」
王族であった時は、軽々に外国に出かけることなどできかなったが、市井で生きるようになってからは、様々な理由から、国交がほとんどなかったエストラにすら出かけたことがあった。
当然、西の国にも行ったことはある。
「王都にある湖のほとりに立つ樹はご存知ですね」
「涅槃の樹だね。大きな樹だ」
「はい。わたしも、最近になって初めてアキオと一緒に西の国へ行き、公園に立つ噂の樹に触れてきました。大きく豊かに葉が茂り、その幹は太陽を受けていつも温かい。公園に来る全ての人が、その下で身体を休め、愛情を持って樹を見つめていました。でも、誰もその樹を持って帰ろうとしたり、独り占めしようとはしません」
オプティカは、少女が何を言おうとしているか気づいた。
「ちょっと待っとくれ。あんたはアキオが西の国の涅槃樹と同じだっていいたいのかい」
「そう例えるのがふさわしいのではないか、といつもみんなで話しているのですよ」
「でも、アキオは人間だ」
「その言葉を聞けば、きっとアキオは喜ぶでしょうね」
ピアノが、オプティカが初めて見る儚げな笑顔を見せた。
「確かにアキオは人間です。でも同時に、大きく高く強く、わたしたちの中心にあって、わたしたちをまとめる存在でもあるのです」
カマラは厳か、といってよい口調で言う。