592.離陸
ミリオンにサータイア討伐を命じたものの、アキオたちは、それほど彼女の手を煩わせることはないと考えていた。
基本的に、広域を索敵するのはグレイ・グーの得意分野であったし、サータイアを拘束後、ナノ・マシンを撃ち込んで排出される子供を近隣の村まで運ぶのはグリムがいれば事足りるからだ。
だが、彼らが考えていた以上に、ニューメアの魔女、メンドラ・ドミニスは厄介な存在であり、優秀だった。
彼女は、大陸の街間に横たわる広大で危険な森林地帯に潜みながら、こまかく拠点を移動しつつサータイアにナノ・マシン対策を施し、各地にばら撒き続けたのだ。
その結果、グレイ・グーによるサータイア発見は困難になり、グリムによるナノ・マシン注入もほぼ不可能となった。
最終的に、子供の失踪情報を元に怪物を追い詰め、直接、銃弾によってナノ・マシンを撃ち込むという旧態依然の方法を取らざるを得なくなったのだった。
各地に出没するサータイアの数は多く、それらは王国の兵士の手には負えないため、地道なミリオンの狩りは、数年後にメンドラを捕縛した後も長く続くことになる。
「ありがとうございました」
深夜、工場敷地内で着陸脚を伸ばして羽を休める駒鳥号の、スロープ兼ドロップゲートの手前に立って、メルカトラが頭を下げた。
彼女の背後には、辺境伯夫妻が立っている。
もともと妻より4歳年下の辺境伯は、ここ数か月の心労のためにすっかり老け込んだ印象であったのが、今は愛する妻の手を取って、穏やかな微笑みを見せ、年相応の若々しさを取り戻している。
彼に寄り添う鬼姫モルワイダは、肉体修復によって、メルカトラと姉妹といってもよいような17歳当時の容姿に戻っていた。
挨拶に来た彼女に、首から上だけでも元の容姿に戻そうかと言いかけたアキオを、ヌースクアムの少女たちがあわてて遮る。
当のモルワイダからも、口には出さないものの、夫が喜んでいるので、このままにしてくださいと言われた。
彼らの横には、ザンガとリヴィアイラの兄妹に支えられたソルダ元総務官が立っている。
彼の場合は、自らの希望で首から上は年相応に老けさせてあった。
メンドラがいなくなり、総務官へ復帰するに当たって、若すぎる要望では重みに欠けるから、とのことだった。
身体を支えられているのは、肉体自体は完全に復元しているものの、メンドラが、如何なる目的があってのことかはわからないが、彼とモルワイダの肉体切断後に幻体痛対策を施さなかったため精神的なダメージが残っているからだ。
同じ処置を受けながら、何事もなかったように夫の手を握って微笑むモルワイダはさすがだった。
「あの女狐はどうなりました」
タンクから出て、開口一番にソルダが尋ねた。
逃げられたというと、一瞬、残念そうな表情を浮かべた後、
「街と大嬢さまをお救いくださって感謝します」
そう言って青年の姿をした元総務官は礼を述べたのだ。
彼の調査によって、メンドラのシュテラ・サマスにおける疑惑が明らかになっていた。
ニューメアを追放同然に出国したメンドラは、シュテラ・サマスで違法な人体実験を繰り返した後、街の領主に目を付けられそうになって、逃げるようにこの街にやって来たのだ。
もちろん、ずる賢い彼女のことだ、はっきりした証拠はひとつもなく、領主も他の街まで彼女を捕縛に出るということはできなかったらしい。
「あの女狐のまわりでは、子供たちが行方不明になる事件が続出していたのです」
彼の言葉に、
「その頃からサータイアの実験をしていたんだろうねぇ」
オプティカが、ショックレス・グローブを嵌めたままの手を握りしめる。
「ツケは払わさないとならないね」
ユイノが言い、
「払わせます」
ミリオンがうなずくのだった。
「アキオさま」
別れの挨拶を交わして、スロープを登り始めた彼に少女が声を掛ける。
「また――」
そこで声が途切れ、
「お会いできる日を楽しみにしています。必ず、会いに行きますから」
無表情なアキオのわき腹をオプティカとシミュラが同時に肘でつつく。
「わかった」
そういうと、彼は片手を上げて手を振り、スロープを登って行った。
「わかってはいたけどさ」
シジマが坂を登りながらつぶやく。
「また一人増えたってことだよね?」
「あの子は、まだ10歳だから6、7年後だろうね。エストラのシャロルさまは7歳で10年後だから、まだしばらく時間があるはずよ」
ラピイが、少女の肩を抱く。
身長差が40センチ近くあるので、母子のようだ。
「まあ、メルカトラならいいかな。剣の腕もたいしたもんだしね」
「放鳥って、やられたことありますか」
「ありません。けれど任務で西の国の街に出かけた時に目にしたことはあります」
「一度やってみたいですね」
「鳥っていってますが、亀や飛蝗の時もあるんですよ。鳥だと思い込んでいると、放す時になってびっくりすることがあるそうです」
「そうですか――わたしは蛇でなければ平気ですね」
ヴァイユとヨスルが艦橋の席に座りながら話している。
ミリオンとスぺクトラは、既に並んで座って、にこやかに笑いながら上品に会話を交わしていた。
白い和毛で覆われた形の良い鋭角三角形の耳と、今は帽子をとっているため、人目にさらされている短くも美しい二本の角が会話のたびに穏やかに揺れている。
足せば数千年という年齢のふたりが、いったいどんな会話をしているのだろう、座席につきながらオプティカは思う。
目を転じると、前方の巨大スクリーンの前で、アキオの左右に立ったアルメデとユスラが彼に何かを話しかけていた。
雰囲気から真面目な話をしているのは伝わってくるが、ふたりの少女の表情は、まさしく恋する乙女そのものだ。
離れた席に座って、それら見つめていたオプティカの隣に誰かが座る。
「おや珍しいね」
白髪、緑眼の少女を見て彼女が目を丸くした。
「あまりお話をする機会がありませんから」
カマラがいう。
恋人に似て無表情だが、今は目元が優しいため、冷たい感じは受けない。
反対側の椅子にも誰かが座る。
顔を向けると紅眼が目に入った。
「わたしも仲間にいれてください」
「もちろん」
オプティカはふたりの美少女に笑顔を見せた。
この少女たちのことは、シミュラからよく聞いている。
アキオによって人生のすべてを与えられた狼少女と、彼によって命を与えられた瀕死の暗殺者だ。
「いいよ。あたしもあんたたちと話がしたかったんだ」
その言葉と同時に、
「皆さま、発進いたします」
アカラの声が響き、僅かなショックと微かな加速度を身体に感じる。