590.対症
「そうさ、あたしなんか奇跡の連続の上に、今、ここに生きているんだからね」
オプティカが笑う。
「そうだね、わたしも奇跡は何度か目にしたよ」
キィが言うと、少女たちも、それぞれに奇跡の経験を口にする。
「ピアノさまは、そんな経験ないのかね」
ユイノが尋ねる。
紅眼の美少女が黙ったままだったからだ。
「あります」
怜悧な印象の彼女が言う。
「アキオと会ったこと」
「わたしも、そう」
ほぼ同時にカマラがつぶやく。
「わたしの知る奇跡はそれだけ。それでいい」
一瞬、皆が黙り込む。
彼女たちの言葉は、少女たち全員の共通の気持ちだったからだ。
「いや、まったくその通りじゃな」
シミュラが立ち上がり、片手を腰に当て、もう片方でアキオを指さした。
「しかし、わたしからすると、こやつが、ここに生きて座っているという事実そのものが奇跡に思えるの。記録に残る数々の任務と、記録に残らぬ危ない汚れ仕事、その上、生きることに、あまり執着しておらぬこやつの性格を考えると、な」
「確かに、アキオは奇跡の存在を証明する必要十分条件だね」
「そうじゃ、よって、わたしは、こやつの厚い胸に抱きしめられるといつも思うのじゃ、己はいま奇跡に抱きしめられておる、との」
「一緒に寝たことのあるボクの意見では、アキオが抱きしめてるんじゃなくて、シミュラさまが、手足を伸ばしてアキオに巻き付けてるように見えるけどね」
「何をいうか、我がアキオを抱きしめる時、アキオもまた我を抱きしめておる、のじゃ」
「哲学的にいったって内容は変わらないよね」
「まあまあ」
珍しくユイノが口論に参加せず間に入る。
「それで、ザンガたちはどうしたんだい」
オプティカが話題を変えて、メルカトラに尋ねる。
「ザンガとリヴィアイラのキムバルク兄妹、それにバークリィは、前にも申しました通り、子供たちの保護施設の管理をさせることにしました」
「でも、あの娘は宰相の配下なんだろう」
「はい、そしてソルダは母上の部下です。母上はわたしの意見を聞いてくださるでしょう」
「なるほど、地球の軍隊でいう、汚物と命令は上から下へ流れる、だね」
ラピィが偏った知識を開陳する。
少女は、ほんの少し、微妙な表情を見せて言った。
「まあ、そういうことです。今、3人は、子供たちと共に工場内の仮眠室で睡眠をとらせています」
「それが良いですね。ナノ・マシンが入っているわたしたちは、少々の徹夜は問題ありませんが、そうでないと休みは取らなければなりませんから」
ミストラが言う。
「ザンガのナノマシンはどうするの」
シジマの問いにアキオが答えた。
「停止させた。今は一般人同様、制限されたグレイ・グーのみが働いている」
「あたしが頼んだんだよ。あの子は、あたしに着いてくるっていうけど、あの子の生きる場所は月猫亭じゃない」
白髪で老けた印象のオプティカが言うと、ザンガのあの子呼ばわりも違和感がない。
「そういえば」
アルメデがポットからお茶のおかわりを注ぎながら、オプティカを見る。
「ティカさまは、昨日、本当の姿を見せて闘われたとか」
「え」
いきなり愛称で呼ばれて、彼女が言葉に詰まる。
「なのに、また、そのお姿に戻られて、わたしたちに素顔をお見せにならないのですね」
「ア、アルメデ女王――」
「前にお会いした時に申しましたでしょう。わたしのことは、メデ、と」
アキオが、一瞬、シミュラを見た。
そういえば、そうじゃったかの、と彼女は思い出す。
アキオには、二人が個人的に会って話をしたことを伝えていなかった。
オプティカは、まっすぐに彼女を見つめるアルメデの青い瞳に吸い込まれそうになる。
長く激動の人生を生きてきた彼女にとって、恐れるものなど、ほとんど存在しない。
しかし、自分以上に長い時間を生き、別世界の国々を実力で統一した後、この世界に来てからニューメアを興したアルメデの激動苛烈な人生を、シミュラから聞かされて彼女は思ったのだ。
これはかなわない、と。
「メデさま、申し訳ありませんが、わたしはアキオが与えてくれた容姿を彼にしか見せたくないのです。今は」
ぱっと、少女の顔が明るくなる。
「今は、と申されましたね。それだけで充分です。いつかは見せてくださいね。この世界で最も美しいと称えられたそのお姿をぜひ、拝見したいのです」
「アルメデさまも、けっこう綺麗なものとか可愛いものが好きだからねぇ」
「そうですよ、ユイノ」
アルメデは視線を舞姫に転じ、
「だからわたしは、あなたも、あなたの踊る姿も大好きなの」
にっこり笑う。
「サータイアについて、何か分かったか、カマラ」
部屋の雰囲気をまったく無視してアキオが尋ねる。
「はい。子供たちを排出したあとのサータイアは数分で自然消滅しましたが、その前に、数体分、コクーンで確保できました。駒鳥号に運んで、アカラに解析を行わせています。同様に、クンパカルナの生体金属と残骸もゴルドーの手で運び込みました」
「手間をかけた、ゴルドー」
スペクトラの背後に、離れて壁際に立つ大男へアキオは言った。
一瞬、肩を震わせたゴルドーは頬を強張らせる。
部屋にいた少女たちで、アキオとゴランであった時の彼の戦いを知る者は、気の毒そうに顔を見合わせた。
強さが何より大切なゴランが、ナノ強化された全能感の下、アキオによって素手で切り刻まれたのだ。
その衝撃は察するに余りあるが、当のアキオは、そんな出来事などなかったように声をかけ――
「ゴルドー、返事をしなさい」
現場を知らないスペクトラが形の良い細い眉を上げて命じる。
「はっ」
大男はギクシャクとうなずく。
「今の段階で、サータイアについて分かることは」
アキオはカマラに視線を移した。
「はい」
少女が立ち上がって、銀色の髪を揺らしながら手にしたタブレットを見る。
いつも身にまとっている純白のナノ・コートは壁際の椅子に掛けられ、いま彼女は薄いドレス・シャツとこの世界では珍しい、短めのぴったりしたひざ丈のスカートを身に着けていた。
こういう変わった服は、たいていはラピィのアイデアだ。
見慣れぬ服装に躊躇する少女たちの背を押す殺し文句はただ一つ。
――地球の女性がよく着ていて、子供の頃のアキオも見たはずの服よ――
カマラが話し始める。
「サータイアの体内に、ナノ・マシンのような汎用生体修復・強化機能のある機械は発見されていません。アキオが子供の頃に施された細胞強化に似た処置がなされたようです」
ピアノとは違う冴えた美貌は、彼女の冷静な声と相まって冷たい印象を与える。
「遺伝子レベルでか」
「遺伝子レベルでです」
「ナノ・マシンに対する対策は可能か」
メンドラ・ドミニスを取り逃がしたということは、彼女が他の地域で、再びサータイアなどの生体兵器を作ることを意味している。
彼女の性格からいって、新兵器を作るよりも、サータイアを改良して、科学者としてアキオに完全勝利したいと考えるだろう。
そして、おそらく、そのたびに子供が犠牲になる
「ヴァイユのロックがある限り、彼女がナノ・マシンを改造、利用することはないでしょう。そもそも、地球の科学をもってしても、アキオのナノ・マシンは科学水準を大きく上回っているのですから、物理的な複製も不可能です――ですが」
「対症策は取ることができる、か」
アキオが、ナノ・マシンをウイルスのようにいうのを聞いて、カマラが僅かに微笑む。
それだけで、氷が解けたように、匂い立つ色気が出るのはさすがだ。
「そう、ナノ・マシンへの対症療法として、細胞を変化させるでしょうね」
「でも、それは問題ないよね」
シジマが口をはさみ、アキオがうなずいた。
ナノ・マシンは疑似AIだ。
対応の方法さえ与えてやれば、いくらでも相手に合わせて自律的に対策を立てることができる。
「ナノ・マシンのリ・プログラミングは問題ないでしょう。あとは、どうしてサータイアを駆除してメンドラを捕まえるか、ですね。早くしないと、また子供たちが犠牲になります」
「でも、その備えとして、街の衛士に特殊弾を装備した銃を与えるのは反対です」
ミストラが意見を言う。
「そうですね。ドッホエーベに従軍した兵士は仕方ありませんが、なるべく銃の概念は広めたくありませんね」
ユスラもうなずいた。
「となると、こちらも対症療法的に、それらしき兆候を見つけたら、その地へ赴いてサータイアを撃破、子供を救出してメンドラを捕まえる、ということになりますが――」
「ならば、わたしの出番ですね」
会議室の戸口から声がして、全員がそちらを見た。
オプティカとメルカトラが息をのむ。
背中まで流れる白い髪、肩にかけた無骨なライフル――そして頭の上にピンと誇らしげに立った耳、優美に揺れる長い尻尾。
そこには、豹人の狩人、ミリオンが立っていたのだ。