589.偶々
彼の言葉どおり、石床に置かれた無数のサータイアの残骸が、むくむくと形を変え始めた。
まもなく、サータイアの身体が空中に溶けるように消え初めた。
その後に全裸の子供が残る。
「う、う」
言葉にならない声を発しながら、それぞれに身体を起こそうとするが、筋力が足りないのか、再生されたばかりの身体をうまく操作できないのか、すぐに床に転がってしまう。
それを見て、袋から取り出した服と白布を手にして、ヌースクアムの少女たちが駆け寄った。
メルカトラとバーク少年も走り出す。
皆がそれぞれに、子供たちを抱き起こした。
「わっ」
バーク少年が声を上げた。
「どうしました」
抱き起した子供をタオルで拭きながらメルカトラが尋ねる。
「こ、この子、女の子、は、裸――」
身体を拭こうとした少年が、相手の小さな胸のふくらみに気づいたのだ。
「落ち着きなさい、緊急事態ですから、そこは目を瞑って。わたしもそうしています」
言いながら、少女は少年の身体を拭き終わり、服を着せる。
「わ、わかった」
少年は、抱き起こした少女の身体をさっと拭くと、タオルを上にかけたまま服を着せようとして――薄い水色の目が自分を見ていることに気づいた。
「あ、ああ、ごめんよ、でも、俺、見てないから。今、服を着せるからね」
「……とう」
「え」
「ありが、とう、たすけ……れて」
助けたのは俺じゃない、と言いかけた彼の口から出たのは、
「よかったな、助かって。早く元気になれよ」
という言葉だった。
少年はタオルが落ちないように、器用に少女に服を着せ終わる。
メルカトラの真似をして、タオルを巻いて枕とし、少女を横たえた。
「しばらく横になっていなよ」
30分ばかりで、およそ160人の子供たち全員に、服を着せ終わることができた。
途中から、宰相邸から帰ってきたシジマも参加している。
着替えさせながら声掛けをしたところ、ショックは受けているものの、全員、精神に異常は見られないようだった。
「これからどうするんだい」
オプティカが、アキオに尋ねる。
「ここからは、わたしの仕事ですね」
メルカトラが口を開いた。
「一度、全員を工場一階にある大食堂へ集めて、そこで、この街の子供なのか、親がいるかを聞き取るつもりです。この街に家族がいるなら、すぐに帰してやりたいのです」
アキオを見る。
「身体の方は問題ない」
「だけど、ひどい目にあったばかりですぐに家に帰していいものかね」
真っ赤な髪の、小柄ながら手足の長い少女が心配そうに眉を顰める。
「精神医学のわからないユイノにしては正しいことをいうじゃない」
からかうようにシジマが言う。
「また、あんたは。この口か、悪いことをいうのは」
メルカトラは、赤髪の少女がシジマの頬をつねり上げるのを見て目を丸くする。
「確かにその通りですね。まずは一晩ここで泊めて、明日以降、戻る場所のある者は帰すということでよいと思います」
ミストラと名乗った少女が、目の前で起こったシジマたちの騒ぎを無いもののように冷静に言った。
「いかがでしょう。メルカトラさま」
「はい。工場内に、一晩、泊まる場所を作りましょう。明日、帰せるものは家に帰して、居場所のない者は、今は使っていない伯爵家の旧別邸に住んでもらおうと思います。そこで何か働く術を身に着けてもらうのも良いですね」
「あんたが決めていいのかい」
オプティカが尋ねる。
「はい。お母さまは、今までも些事はわたしに任せてくださっていましたから」
「まったく……話をしてるとあんたの歳を忘れちまうね」
「バークリィ」
「な、なんだい」
突然、少女に名を呼ばれて少年が驚く。
「その別邸の管理をあなたにして欲しいの。食事その他、お金の関係する実務は誰か他の者をつけるから」
言いながら彼女の頭にザンガとリヴィアイラの兄妹の姿が浮かぶ。
「管理?」
「部屋割りやグループ分け、そして話を聞くことよ。みんなのお世話をしてほしいの。年も近いから適任でしょう」
「わかった――やるよ」
「ありがとう。うれしいわ」
工場を調べてみたところ、未使用の工員用宿泊部屋が、かなりあった。
そこを整え、聞き取りを行った者から部屋に入ってもらう。
子供たちは全員が街の者だ。
結果的に、別邸に行くことになったのは43人だった。
「でも、なんだってアキオが行く先々で問題が起こるんだろうね」
そろそろ午後の日差しが射し始める会議室で、紅髪のユイノが、アルメデが手ずから入れた紅茶をポットへ注ぎながら溜息をつく。
最初、メルカトラは、あのアルメデ女王が自分でお茶を入れると言い出した時、信じられなかった。
鬼姫と呼ばれた母ですら、お茶は使用人か従者にいれさせるのだ。
他の少女たちが手伝おうともせず、平然と嬉しそうに、
「アルメデさまのお茶は久しぶりだねぇ」
「茶葉と水が同じでも、なぜか、カマラとアルメデさまの入れるお茶は美味しいんだよね」
と、テーブルについたまま雑談を交わすのを見てさらに驚く。
ヌースクアムでは、皆が持ち回りでお茶をいれるのは普通のことらしい。
「驚いたか」
彼女のとなりに座った黒の魔女、シミュラが小声で言う。
忙しい時は、ライスという高位魔法の使用人が食事の用意をするらしいが、そうでない時は、手空きの方が食事すらおつくりになるのだという。
「別に珍しいことではないぞ、わが王の妃は半分近くが王族じゃからな」
「アキオが皆さまのように喜んでくれたら嬉しいのですが」
そう可愛く不満を言いながらも、アルメデは嬉しそうにお茶をいれるのだった。
当のアキオは、まったく表情を変えずにカップに口をつけている。
ああ、と少女は思った。
この人は、たぶん、水でもお湯でも同じ表情で飲むのだろうな。
そして、なぜか、それが彼にはひどく相応しいことのように彼女には思えたのだった。
「偶々というには、確かに問題が起こりすぎますね」
ユイノの独言に、ミストラが答えた。
「しかし、今回はちゃんと説明がつきますよ。光石祈年祭に使われるルクサ・メナムを使って、巨人クンパカルナを起動させるのがメンドラ・ドミニスの計画だったのでしょう。その理由は不明ですが、ドッホエーベにおけるコラドの失脚や、アドハード事件が遠因だと思われますね。そして通常なら、ルクサ・メナムが手に入るのは祈年祭最終日だけ。まあ、実際、彼女はどこか他から巨大なメナム石を手に入れたみたいですが――その上で、シミュラさまが、どうせアキオがオプティカさまに会いに行くなら、美しいと評判の祈年祭に合わせて行けば良い、と計画を立てられたのです」
「む、ということは、わたしが今回の騒動の原因か」
「ではなくて、偶然要素は少なく、会うべくしてアキオは事件に遭遇した、ということですね」
「それでも――」
それまで黙っていたメルカトラが口を開く。
「わたしには、アキオさまとオプティカさまが来られて幸運でした」
窓の外を飛び交う鳥の影に目を向けて続ける。
殺されようとしたあの瞬間、彼女の命を救った黒い影、スエイナ鳥。
「オプティカさまから伺いました。おそらく、おふたりが放鳥をされたことで、わたしは命を救われたのです。奇跡とは起こるものなのですね」