585.トラブル・メーカー
「メデ」
少女は、小さな頭を美しく覆う短い髪を、シュテラ・エミドの光で輝かせながらアキオに歩み寄った。
キィと反対の腕に手を伸ばす。
「もちろん、わたしとの思い出も覚えていますね」
「君のことは――」
アキオは言葉を切り、
「子供の頃から知っている」
「ええ、ええ、そうです」
そして顔を伏せ、アキオにだけ聞こえる小さな声で独り言ちた。
「ヌースクアムでも、幼い頃を知られているのは、わたしだけなのですよ」
「メデ」
「はい」
名を呼ばれ、少女は彼を見上げる。
「なぜ、君たちはやってきた?今さらだが」
ふふ、と少女は笑い。
「本当に今さらですね、アキオ。あなた駒鳥号を呼んだのでしょう」
「そうだ」
確かに、彼は宰相の身体を再生するために、シュテラ・サマスの荒野に置いていた駒鳥を呼んだ。
「そして、アカラにアミノ酸溶液の準備を命じた」
彼がうなずく。
「あなたには黙っていましたが」
アルメデが、夜空に輝く、色とりどりの光を瞳に宿しながら言う。
「先日、セイテンや駒鳥号で、武器及び救護装置が起動すると同時に、わたしたち全員に連絡が来るように設定しました。理由はわかりますね」
「だいたいは」
アキオが苦笑する。
このところはジーナ城で研究三昧の生活を送り、日々、少女たちと食事し庭園を散歩する以外は実験ばかり行っていたが、それ以前は、浮遊都市を見つけたり、火山の噴火を止めたりと、出かけるたびに妙な事件に遭遇していたのだ。
彼女たちが、彼を問題生産者と見なして用意をするのも無理はないと思われた。
「先ほど、その通知が届いたのです。それで手空きの者全員が白鳥号に乗ってやって来たのですよ。今は街の上空5キロで旋回、待機させています」
「了解だ」
おそらく、巨大船を空中に残し彼女たちは身一つで地上にお降り立ったのだろう。
「お強いですね。信じられないほど」
「いや、あなたも強いよ。さすがは剣花姫さまだ」
少し離れた剣技場では、シジマとメルカトラが話をしていた。
「ご存知だったのですね」
「もちろんさ。ボクにとって剣鬼モルワイダさまは憧れの人だし、その娘であり、幼いころから強いといわれていたあなたもまた、剣士として興味があったからね」
「お恥ずかしい話ですが、シジマさま、わたしはあなたのお名前を存じ上げませんでした」
「そりゃそうだよ。ちょっと理由があって、昔の名前は捨てちゃったからね」
「名を捨てた?」
「うん。昔の自分は全部捨てて、アキオのためだけに生きることにしたんだ」
「アキオさまのためだけに――」
少女は、しばし黙ると、
「お羨ましい」
そう言った。
しばらく沈黙が場を支配するが、
「あ、あなたの剣は、全部、モルワイダさまから習ったの?」
シジマの問いに明るく少女が答える。
「そうです。初めは、衛士の剣技指導官に習ったのですが、わたしには合わなかったので」
「合わない、とは」
「実際に戦ってみてお分かりかと思いますが、わたしは人より力が強いのです。母のいうには、初代ウルカトラさま同様、その血統として、他者より膂力に勝り、剣技もそれに合わせたものを身につけた方がよいのだ、と。でも、シジマさまも、力がお強いですね。それも、アキオさまのナノクラフトのお蔭なのですか?」
「いや、試合では、ナノ・マシンによる身体の強化はしてなかったんだ。ボクが人よりよく動けるのは、練習相手のライスのおかげかな」
「ライス?」
「ヌースクアムにいる風船人形のことだよ。使用人っていってもいいかな」
「風船の人形ですか……まるで魔法ですね、シジマさま」
「シジマでいいよ」
「では、わたしもメルカトラ、と」
「わかったよ。まあ魔法というより、この世界でいう高位魔法なんだけどね。調査と研究と検証が基本のね。あ、メルカトラ、痛くしないから、今度、身体を調べさせてくれる」
「はい、勝利者のあなたさまにはすべてをお見せします。存分にお調べくださいませ」
「そんないい方をされたら、なんだか恥ずかしくなっちゃうよ」
可愛らしい笑い声を上げるふたりを、微笑ましい目で見ていたオプティカが、背後のアキオたちの会話を耳にして振り返った。
「宰相に再生処置を施しました。およそ28時間で再生が終了すると思います」
銀色の髪の少女が報告している。
たしかあの娘はカマラという名だった。
「そうか。ありがとう」
「敷地内に寝かされた、あの――」
「サータイアだ」
「サータイアの内部でも、順調に肉体の再生が行われていました」
言いながら、彼女は一歩アキオに近づく。
「でも、あれはなんですか?もとの構成を見ると、上下逆に人の身体を使っているように見えましたが」
「核となるのは子供の身体だ」
「子供の身体、ですか」
「簡単にナノ・マシンで調べただけだが、サータイアは、子供を喰らうか、あるいは取り込んで変化させ、あとで分裂して増えていく疑似生命体だ。しかもその際に生体金属を自製する。子供を使うのは細胞が若く力強いからだろう」
「よくもそんな酷いことを」
美少女が握った拳を震わせる。
「わたしに調べさせてください」
「頼めるか」
「はい」
アキオが少女の頭をポンポンと叩く。
まるで子供のようじゃないか、とオプティカは思うが、シミュラからの聞いた彼女の生い立ち、彼を見つめる少女の目の輝きを見て思い直す。
おそらく、彼女にとってアキオは、父であり兄であり、恋人であり、世界のすべてなのだ。
それは、長い人生を生きてきた彼女には微笑ましく羨ましい感情ではあったが、その一途さに、一抹の不安を彼女は感じるのだ。
「逃げた女のことは衛士から聞きました。脱出ポッド――性能から言って脱出艇だと思いますが――を駒鳥号のレーダーを使って追跡しようとしましたが、荒野の端で見失ってしまいました。申し訳ありません」
隣に立つ赤い瞳の少女が頭を下げる。
「あの女のことは今はいい。あとで追い詰めるさ」
軽い口調だったが、強い意志の感じられる言葉だった。