583.奥方
「シミュラさま」
誰よりも早くオプティカが反応した。
素早く駆け寄って少女を抱きしめる。
長身の彼女に抱きすくめられ、シミュラは黒紫色の豊かな髪しか見えなくなった。
オプティカは、その髪に顔を埋め、深呼吸すると、ふるふると身体を左右に揺らす。
とんとんと腕を叩いて、ようやく彼女から解放されたシミュラは、水中から顔を出したように大きく深呼吸をした。
「おぬし、こんなに激しかったかの。それとも、わが王によって教育されたか?」
呵呵と笑う。
「すまないねぇ。なんせ、久しぶりに顔をみたもんだから」
「そうじゃったの」
オプティカは、アキオからを離れて、驚いた顔で自分を見ているメルカトラに気づくと、手でシミュラを示した。
「前にいっただろう。この方が本物の魔女さまさ」
するりとオプティカから離れ、シミュラが少女に近づいて優雅に一礼する。
「はじめまして、じゃな。我が名はシミュラ。家名はない。が、こやつの女じゃから――」
話しながら、すっとアキオを指さす。
それは、ひどく蓮っ葉な行為だったが、彼女の気品ある容姿、無駄のない動き、毒のない口調が相まって不愉快さを感じさせない。
「敢えていえばシミュラ・ヌースクアム、ということになるの」
「あなたさまが魔女」
挨拶をされたらすぐに挨拶を返す、という貴族としては最低の礼儀すら忘れて少女がつぶやいた。
目は、シミュラに釘付けだ。
アラント大陸では珍しい黒紫色の髪はエストラの王族の髪色。
さらに猫のように丸く大きな釣り目、細い鼻、小さな口、そして形の良い顎。
その美しさに目を奪われる、が、すぐに我に返ると、
「お初にお目にかかります。わたしの名はメルカトラ・ラメリ」
優雅なカーテシーを見せた。
「なかなかに愛らしい娘ではないか」
シミュラが目を細める。
「剣の腕もなかなかじゃ。のう、シジマよ」
「そうだね。かなりの才能だと思うよ」
声を掛けられ、離れて彼女たちを見ていた小柄な少女が答えた。
先ほどのアキオとの演習を見られていたのだろう。
「あなたさまは――」
話しながら目を向けたメルカトラの言葉が途切れる。
小さな頭、細い肩、形よく自己主張する胸、まるで人形のような、とんでもなく可愛い美少女だ。
「驚いたか。こやつ見た目はなかなか可愛いからの。しかし、中身は、かなりアレじゃぞ。おまけに剣の腕だけみれば大陸一じゃからな」
「アレってなんだよ」
確かに、そう言って口を尖らすその仕草さえ可愛い、と少女は思う。
「始めまして。かわいいお嬢さん。ボクの名はシジマ。アキオの奥さんだから、正式な名前はシジマ・モラミス・ヌースクアムでいいや」
「いいやって、なんだよ。あんたは」
背後から真っ赤な髪の少女が声をかける。
手足の長い印象的な美少女だ。
「だって、考えてみれば、みんな家名はヌースクアムなんだから、それで統一すればいいんだよ。ユイノなら、ユイノ・ツバキ・ヌースクアム!」
「あんたねぇ……でも、いいね。それ」
「そのこと、つまりわたしたちの名については、一度、話そうと思っていましたが――」
ユイノの横に立っていた、美しさと気品を兼ね備えた少女が口を開く。
「あ、あなたさまは?」
メルカトラの問いに、
「アルメデ・シュッツェ――いえ」
ほんの少し間をあけて少女は答える。
「アルメデ・ヌースクアム」
「アルメデ・シュッツェ・ラミリス・モラミス・ヌースクアムさまだ」
横から、美少女と瓜二つの少女が口をはさんだ。
双子だろうか。
本当にそっくりで違いは髪の長さだけだ。
続けて髪の長い少女が言う。
「わたしも自己紹介しておこう。キィ・モラミス・ヌースクアムだ」
彼女を始めとして、居並ぶ少女たちが挨拶を始めた。
「カマラ・シュッツェ・ヌースクアム」
「ピアノ・ヌースクアムです」
「ヨスル・ヌースクアムだ」
「ユスラ・モラミス・ヌースクアム。よろしくね」
次々と名乗っていく。
それぞれに美しさの傾向が違う美少女ばかりだ。
「ラピィ・ヌースクアムだよ」
筋肉質でひどく大柄な、それでいて美しい少女に続き、最後にひとりだけ大きな帽子を被った少女が名乗った。
「スペクトラ・ヌースクアムよ。お知り合いになれてうれしいわ」
もちろん彼女も美しい。
だが、それは、どこか人間から離れた印象を持つ美しさだった。
彼女の後ろには、大きな男が控えている。
少女たちの挨拶を受けて、
「以後、お見知りおきを」
可愛くカーテシーを見せたメルカトラが尋ねた。
「あの……皆さま、アキオさまの」
「妻、いわゆる妃ということになるの。何せ、こやつは意外と女好きでの。出かけるたびに拾って帰ってくるのじゃ。しかもとびきりの上玉ばかりをな」
彼女は要領を得ない顔でうなずいたが、気を取り直したように、さっきの会話の端に出ていて、気になっていた事柄を、緑の髪の少女に尋ねた。
「あの――シジマさまは大陸一の剣達人だとか」
「うーん。どうかな」
本人が、珍しく照れた顔で言葉を濁す。
メルカトラはアキオを見た。
「少なくとも5本の指には入るだろう」
その言葉に、シジマが、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せる。
メルカトラは、改めてシジマを見直した。
自分より少し背が高いだけの少女だ。
こんなに細くて、華奢な女性が大陸一の剣の強者?
にこにこと笑っている、とびっきり可愛い笑顔で――
「お手合わせ願えますか」
反射的に言葉が口をついて出た。
「いいよ」
即答だった。
もったいぶったところなど微塵もない。
「カマラ、ミストラ」
その会話をよそに、アキオがふたりの少女を呼ぶ。
「はい」
二人は、そろって彼に近づいた。
「この先の工場の敷地に、駒鳥号を降ろした」
「はい、街に降りる時に確認しました」
カマラが答える。
「そこに、身体を切断されて首だけになったものがいる。いまはコクーンで包んであるから大丈夫だが、アミノ酸プールで再生して欲しい。溶液は艇内に準備させている」
「人数は?」
「一人だ」
「わかりました。ポータブル・タイプで間に合うでしょう」
アキオはうなずき、
「首は、工場の地下10階だ」
「わかりました」
ふたりは足早に中庭を出て行った。
見送ったアキオは剣技場へ目を向ける。
ちょうど、シジマとメルカトラの試合が始まるところだった。